2017
10.31

こころの健康の授業(保健体育)

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信大の附属小学校5年生の養護教員の保健体育の授業にゲストティチャーとして参加しました。

先日の親(PTA役員)や教師も参加する学校保健委員会のミニ講演でも「心の健康には援助希求できることが大事、大人は相談されたらちゃんと応えてね、それが相談するという力を育てる。大人もできることは助けて、自分でできないことは専門科や他の人にも相談しましょう」と親や先生の側にもお伝えしておいた、それで子どもに対しても授業・・。
このへん、ちゃんと学習指導要領にもあるのね。

テーマは心身相関を理解する→対処方法を考える。ということ。
このへんは個人精神療法やディケアのプログラム、職場のメンタルヘルスの講演、発達障害の子どもと親のアンガーマネジメントプログラムなどでもやっているのと共通する部分も多くやっぱり基本なんだろうな。

事前アンケートでは悩みの無いという子どもが過半数だったけど思春期にはいっていろいろ出てくるからな・・。特に人間関係、さらに親子関係、自分との関係・・。おまいら覚悟しとけよ・・。
イライラした時や悩みがあるときの対処法として子どもたちに聞いたら・・「殺す」、「自殺する」などと大きな声で言う子も(^_^;)(自分や他人を傷つけない方法で)

グループ話してもらって、好きなことをする、大きな声を出す、物を投げる、寝る、食べる、リラックスする、話す・・。見方を変える、などいろいろ意見がでました。
こちらからお伝えしたのは、まず落ち着け!逃げろ!キレると損ということ。イライラって思い通りにならない時に沸き起こる未分化な感情だからわかりにくいよね・・。
体を動かしたりして発散して、リラックスして、しっかり食べて、よく寝て、スッキリした頭で考えましょう。

つぎに一人で悩むな!ということ。自分の頭だけでいい考えが浮かばなければ他人の頭をかりるための相談しましょうと。相談相手は担任や親、養護の先生やスクールカウンセラーもいるよと・・。どうしても苦しければ病院に来てね・・。とお伝えしました。
ある子どもから「精神科ってどんな相談が多いの?」と本質的な質問が・・。基本は悩みを何でも相談してもらっっていいよろず相談だけど、居場所がないとか、自分をコントロールできないとか、死にたくなったりしたときかなぁ・・。

小ネタとしてもっていったアロマのエッセンシャルオイルも予定通り注目されたけど、みんな匂わせて〜と小瓶を男子に振りまかれて教室に森の香りが充満しましたとさ。

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2017
10.03

”札幌市自閉症者支援センターゆい”のレポート

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 札幌に行く機会があったので、社会福祉法人はるにれの里、札幌市自閉症者支援センターゆいを見学させていただいた。

札幌郊外の公共交通機関や大きな道からやや外れたエリアの、立方体の無落雪屋根の住宅が並ぶ住宅街と、工場や倉庫が点在するエリアにあった。札幌は計画都市であるために全般的に道幅が広く、道も多く渋滞がすくなく(冬季は除雪で雪山ができ違うのかもしれないが)車での移動(今回はタクシーでお金はかかったが)は時間がかからず快適である。

全国から見学者も多いようで見学は3000円(4時間以下)の協力金と明瞭会計である。
1時間弱の時間だったが、所長さんが施設やグループホームを案内してくださり、質問をうけて下さった。 

  SapporoYui2  

札幌市からの指定委託管理のゆいは永久的な入所機能はもっておらず、地域移行のための施設(定員30名)、ショートスティ6名。生活介護(定員44名、自立訓練定員6名)からなる。
コーディネートやコンサルテーション機能や地域の啓発活動は同一建物の2階にある発達障害者支援が担っており、法人内外の他の事業所とも連携しながらやっているそうだ。
ゆいの廊下でつながった建物群にはユニットになった居住エリアと、日中の活動のエリアがある。
体育館もあり大きなトランポリンなども設置されていた。
エリア内は適宜、移動式の壁やパーティションで様々に区切れるようになっており、日中活動においてもなるべく利用者の動線がかぶらないようにと配慮されている。敷地内には生活介護の作業所や築山のあるプレイグラウンドもある。  

自閉症者支援センターゆいは札幌市の児童施設に過年齢児が増え、入所施設からの地域移行が言われるようになって、受け皿として指定委託管理をうけて設立され今年で10年になる。
対象者は人口200万弱の札幌市全域から、地域での支援で何とかならなかったような、支援区分6、行動障害のスコアが10点以上の方などで、IQは測定不能〜20くらいの最重度の知的障害を伴う自閉症かつ強度行動障害のケースを受けている。重度知的障害、重度自閉症の困難ケースは積極的にみるということで他の福祉法人とは住み分けができている。
彼らは人の刺激に弱く、言語でのコミュニケーションは困難で排泄なども自立せず、自傷や他害、異食などの行動障害が続いており、3年間を目処にアセスメントをおこない、環境を整え地域に点在する同一法人の運営するグループホームへと移行している。利用者の平均年齢は30歳弱くらいとのことだが、ショートスティでは土日を中心に4歳位の子どもからも受けているとのこと。
相談をうけると大変なケースは「親は手離せ」と言っている。紆余曲折があり、相談支援事業所が動き、ケース検討をしてショートなどを繋いで、ゆいにたどり着く。
それでも「うちに来たって魔法はかからないよ。ゆっくりと時間をかけてやるしかないね。」と言っているそうだ。ゆいに来るようなケースでは自宅に帰るというケースはほとんどないそうである。  

 法人ではグループホームもたくさん作り、展開しているが、地域移行とは言え、グループホームも集まればコロニーということになる。ケアのことだけを考えたら集めたほうが楽だが、今後は大規模な施設はつくることは難しく、地域に点在させたほうがかっこいい、町内会費も払って、変じゃないでしょと示すのも彼らの仕事と考えているとのこと。集団にはいることで本人の好感度が下がるなら、地域の行事への参加などもしなくてもいいという発想である。  

 全般的にみんな一緒にしようという発想がそもそもなく、それぞれの人にあわせて個別におちつける環境、関わりをつくっていくのが基本。人の刺激に弱いので、パーティション動線なども区切り、活動の場所、活動のペースも個別に決めて対応している。
 もし同じ場を共有できるなら上等という感じだそうだ。居室も物がある方が落ち着く人、シンプルな方が落ち着く人、それぞれにあわせて環境調整し、壁紙を剥いで食べてしまう人などの部屋には木を貼り付け、ぶつかりながら移動する人の動線にはクッションが貼られているなど個別に対応している。そのままの環境をグループホームに持っていくそうだ。
卒業生が近隣のGHから通う生活介護では余暇型のメニューが主だが、働ける人には個別のワークシステムで大根の皮むきなどの仕事を提供している。  

 集団でのかかわりのほとんどないそういう状態をみて、親から「寂しそうだ、かわいそうだ」と懇談などでは言われることもあるが、相談員は「そうですね、できるだけ頑張ります」といいつつ、本人の安定した環境を提供すべく聞き流しているとのこと。

  支援者のスタンスで印象的だったのは大変なケースをみているのにもかかわらず飄々、淡々としているということと、決してこちらのこだわりを利用者に押し付けず、環境調整に徹しているということである。ある程度の知的能力があるなら本人のスキルに働きかけて、対人の距離のとり方などの学習を期待することもできるが、知的に重度だと環境を調整していくことに尽きる。本人が嫌がることは強制せず、不穏になって暴れるならスタッフはすぐに逃げて無理をしない。お互いが持続可能であり、だれもができる方法というのが大事であり、ある支援者としかできないということであればそれはベースラインにはなりえない。担当者が変わっても支援が継続できるように情報共有はしっかりやっているそうだ。  

  どうしても落ち着かないときには、やむを得ず行動制限もすることもあるが、切迫性・非代替性・一時性の原則は確認して親の同意をえて、しっかり記録をしながらおこなう。それでもその状態が頻繁につづくようなときは一時的に協力関係にある精神科病院へ入院を打診する。その際はこれだけのことをやりましたと示しているとのこと。もっとも自閉症に関しては入院しても大きく変わるものではないと思っており、かならず3ヶ月なら3か月で再度引き取っているとのこと。担当できてもらっている精神科医と近所の内科の嘱託医はいるが、医療への依存は全般的に低いように思えた。

食事に関しても他の人のものに手をだしたりするため、ほとんど個別にとっており、歯みがきも自分で磨ききれる人もほとんどおらず、年に2、3回ほど歯科衛生士さんにも来てもらいブラッシング講座をやってもらい、ブラシを帰るなど個別に磨く方法などを検討し仕上げ磨きは丁寧にやっているそう。

 親も一回も会いにこない方もいるが、親には親の人生があるとこだわらない。 面会に来る親も、面会からはじめ、落ち着いたら外出、そして帰省と段階を追うとのこと。それでも面会室以外の施設内での親の面会はお断りしているとのこと。それは、本人にも、他の利用者にも施設見学者と親との区別は雰囲気ですぐに分かりみんなが「俺の親はいつ来るのだ」と不穏になるからだそうだ。  

 最近は新たに強度行動障害化するケースが増えているという印象はなく、早期療育がそれなりにすすんでいる効果もあがっており、親の会活動は低迷しているが、支援者が増え、またネットなどでも情報が得やすくなったために勉強しやすくなり、気合と根性の子育てでおかしくなるということが減っているからなのだろうとのこと。まだまだ学校の先生にも学校にも当たり外れはあるが、はずれ先生にあたって、外部からの提案がうけいれられない場合でもずっとじゃないから、そのうち変わるからと相談をうけた側もあくまで淡々と対応している。学齢期は幸いなことに札幌市には放課後ディサービスが山ほどできており、ちゃんとやってくれるところに、アセスメントして整えた環境を引き継いで見てもらえるとのこと。高等部も利用できるなら利用したいとのことだが、学校で対応できず行くと不調になるようなケースは「学校へ行かなくても死にはしない」といっており、福祉サービスを優先することもあるようだ。ただ義務教育年齢卒業以降はなまじ学校に籍があるとやりにくいとはいっていた。

  全国的に有名な「はるにれの里」でも、人手不足で他の仕事もある現状では福祉業界の職員の募集は大変であり特に若い人はなかなかあつまらず、入職時には有資格者でなくても採用しているとのこと。(有資格者には多少の給与の上乗せはある)。研修体制は充実しており、法人で年をとおして週に1回程度は何らかの研修があり、研究発表なども奨励している。勉強のための本も揃っており、資格取得は応援していて試験などは公休にしたりしているそうだ。

  SaaporoYui1  


 行動障害を減らし、本人の落ち着ける状況をつくるために、本人を変えようとするのではなく、全体の流れはあるものの、動線なども他の人と会わないように工夫し、ハード、ソフト、ワークシステムともにここまで!というくらいに個別に対応していること、それでも行動障害がさまざまな要因で悪化する人もいて一定期間遠、病院に行くこともあるが、それも含めてシスティマティックかつ淡々とやっていた。最重度の知的障害と自閉症をもち強度行動障害もある群の人が集まっており、それでもなんとかしているのを見て希望がもつことができた。
 

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2017
09.17

人は、人を浴びて人になる

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夏苅育子先生の新著「人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い」を読んだ。
あざやかな黄色い素敵な表紙の本であり、パワーを感じられる本である。

NPOで安曇野にお呼びして以来、ことあるごとに声をかけていただき、学会などでも何度かお話をうかがった。そのたびに自分と母のこと周囲の人との出会いを堂々とオープンにされていかれるその姿に勇気づけられた人も多いと思う。

これまでの本や講演では統合失調症を病む母とのことが中心であったが、この本はご自身と周囲の人の関わりについてがメインのテーマになっていった。その集大成とも言えるこの本では子ども時代から順に12人の人との出会いと関わりについて丁寧に語られている。

家族会や学会などで度々講演をされているので、これまでに夏苅さんの講演を聞いたことのある方なら、読んでいると夏苅さんの声が聞こえてくるような感覚にとらわれるのでは無いだろうか。

たとえどんなに過酷で壮絶な大変な人生であっても、人が時間と人との出会いで回復していく力がある、回復するのに締め切りはないのだというのを信じさせてくれる。そしてそれを信じられる、信じて待っていてくれる人がいること自体が、病や障害があっても回復していくための最大のファクターなのである。
そうして今、夏苅先生は、夫と運営している診療所で、そして全国に講演にあるきまわり、多くの人にそのことを伝えている。

生きることに投げやりになっている人、支援の現場で悩んでいる人、家族、医療や福祉に従事する人やその卵の方々は必読の書だとおもう。

自分も自分が弱った時には堂々と周囲に助けをもとめ、また自分の周りの人を自分のできることで勇気づけられればとおもった。



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2017
09.12

大人の発達障害のセルフヘルプグループ

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2年くらい前から自分と仲間のために、ほそぼそと大人の発達障害のセルフグループを続けています。 会場を松本、安曇野、塩尻、南松本と変えながら8回目になりました。


 何らかの事業やディケアのプログラムという形にしてしまうと対等性がなくなるので、あくまでも自分(たち)のためにほそぼそとやっているセルフヘルプ・グループ(SHG)の形をとっています。 


運営もボランティアベースで基本的に誰かに何かを強制するということはありませんし、多少盛り上がるような多少のファシリテート、場が荒れすぎないように多少の仕切りはしますが無理はしません。


会場費200円を頂いてということくらいしかきまっていません。

来る者は拒まず、去るものは追わずのスタンスです。 思いついたら即行動、即発言のADHD優位のタイプの人が旗を振っているのに、他の人達が相乗りしている感じだと思います。ADHD(不注意多動優勢、衝動性優勢)とASD(孤立型、受動型、積極奇異型)でもそれぞれ全然違いますが、続けて参加していると人のフリみて我がフリ気づくといういことはあります。人はたいてい自分のことより他人のことのほうがよく見えて、励ましたりアドバイスもできますから・・。 


会場や参加者によって毎回雰囲気が違っていて、女子ばかりの会だったり、会議室でホワイトボードをつかって書きながら3つお題をだして30分ずつくらいで区切ってやったりもしました。前回ははじめて和室でやりましたが和室は輪になれたり横になれたりで良かったと思います。 枠と自由度、参加者がそれぞれに気づきと癒やしを得てかえってもらうための適度なルールやファシリテーション(仕切り)のバランスが難しいとおもいます。


積極的に話せない人への配慮をうんとということになると、小道具やパスカードなどを使って配慮された会のようになると思いますし、型をきめて構造化がすすむと、いいっぱなし、ききっぱなしのAAのようになると思います。


発達障害のSHGでは、それではやや物足りなく感じる人も多いかもしれません。

話せない人への配慮も必要ですが、ADHD優位の話せる元気な人に引っ張ってもらわないとなかなか盛り上がらないということもあります。 発言を強制されない権利もあるので、言語でのリアルタイムでの表現が苦手な人、なれるまでに時間がかかる人、観察していたい人などは場を共有するだけでもいいのかなとも思っています。 


参加条件をしぼりクローズドな会にすると同質性が担保されたほうが運営や目的の遂行はなしとげやすく予定調和的になますが参加者はあつめにくくなります。参加条件をゆるくしておオープンにして多様性があるほうが創発性が高まり気づきや癒やしの機能は高まりますが参加者をあつえめたり運営をするのは難しくなります。参加者も事前に限るとなかなか参加者も集まりにくくクローズドな感じになります。


当日参加ありとすると、集まる人数が読めない(そのため仕切りが難しい)ということいなります。 誰でも運営できる形というのなら型をきめて構造化を強めていけばよいし、ゆるくしていくならファシリテートに慣れた当事者、支援者や専門職のサポートも必要ですね。 


リアルタイムのやりとりでない文字言語のほうが楽な方のための、Facebookグループでの会場もあります。(”大人の発達障害あるあるラボ”で検索してみてください) 


こういった会のあり方の模索もふくめてラボ(実験室)と名乗っています。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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リアル発達障害あるあるラボ9回目 10月28日(土) 13:00〜15:00 

松本市、なんなん広場、音楽室です。 参加費200円です。


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2017
09.06

ジャズの演奏会での指導者の暴行について

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トランペット奏者の日野皓正氏が指導している子どもたちのジャズの演奏会で、演奏中に調子に乗りすぎて暴走し妨害レベルになった中学生にビンタの暴力振るった件、動画もでまわっていますね。
→(こちら)。

いろいろ象徴している気がします。この中学生は夢中になると周りが見えなくなり過去にも同様のことが度々繰り返されていたのでしょうか?であれば、期待する行動(時間なども含めて)明確に伝え、その意味合いをつたえ、守れるようにキューをだすなどの手助けもし、もし守れなかった場合の対処も決めておいて(警告しても聞き入れられなければ、速やかに拘束してタイムアウトをとるなど)、その対処を淡々とするべきだったんじゃないかとおもいます。

その場を守るためとは言え、暴力に至ってしまったというのは日野氏自身、過去にきっとそのような指導をうけてきた歴史があったのではないでしょうか。正当防衛などの例外はあれど、暴力というコミュニケーション手段はいかなる場合でも許されない、結局自分が損をするというのを大人が伝えないと子どもがそういうコミュニケーション方法を誤学習して連鎖してしますから。 明日は今日より少しでもマシな世界に。

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2017
08.26

総合安心センターはるかぜ

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平成29年8月25日に、北信中野の、社会福祉法人高水福祉会、総合安心センターはるかぜさんに見学に行きましたので、そのレポートです。
中信圏域でも危機介入の仕組みとPDCAサイクルを回しつつ関われる人や場をどう増やしていくかを考えていきましょう。

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北信病院に発達障害の研修で行く機会があったので、時間をつくり中野市の高水福祉会の「総合安心センターはるかぜ」さんを見学させていただき、代表の野口さんにお話をうかがうった。
入所施設なども運営する社会福祉法人の内部留保を切り崩し、家族や理事会や近隣の市町村行政との折衝を続け施設を解体しながら大胆に始め、地域に暮らす100名の登録者を18人のスタッフで365日、24時間支える仕組みをつくった。
登録者には在宅の知的障害、発達障害の方が多いが、統合失調症など精神疾患の方、身体障害の方もいる。制度としては18歳以上のハイリスクな方を登録して地域定着支援を利用しているが、独自事業での私的契約もおこなっている。
もちろん生活支援には他の地域のサービス(生活介護、就労など・・)も利用して生活を支える。緊急時の受け入れ、対応、入院や施設入所していた方への体験の場も提供が、はるかぜの役割だ。
消防署や施設のような交代勤務で、常にスタッフが交代で詰めており、何もなければ何もないでおわる。
サービス調整会議、モニタリング会議で起こりうるクライシスに対してクライシスプランを作成。特に、何が緊急事態のスタートなのかケースごとに決め、誰がどのように対応するか予め決めておき、すべての職員が顔合わせしておく。
緊急のコールはコーディネーターに連絡ががあり登録書に従って判断し、スタッフを緊急派遣する。イライラや不安でたまらなかったり、粗暴行為が出たり、体調不良などのときが多いそうだ。地域定着で解決に至らない時は、常に2部屋空けている短期入所施設内の部屋に緊急短期入所で一次避難、そして48時間以内に今後の支援対策会議を開催し登録書を改訂し共有をおこい、予防的な介入を強化する。
昨年は年間100件の駆けつけ、60件の緊急ショートの利用があったというが、安心でき、地域の対応能力が上がることで緊急派遣も緊急ショートも減っているそうだ。
このスピード感が鍵で、不必要な入院や入所を防ぎ、長期の入院や入所になってしなった方も再度、地域で暮らしも選択できるようになる。
施設などの個別性のない状況が強度行動障害を助長している面もあり、入所者を減らすことができ、画一的生活の緩和と個別化が充実できるとのこと。
部屋にモノを溜め込むのも、火と匂いさえ出さなければ、自由でいい。一人暮らしか、相性のいい人とシェアしてすむのがいい。
そこにそっと見守りと支えをいれていく。
そうして逆に入所施設の利用者がへると、本当に必要な人に入所も選択肢になるのだという。
制度に乗れない人や他の事業所のGHとして私的契約もおこなっていて、同様に登録して利用できるようにすることで隙間をうめている。利用者をよく知る支援者が通訳的な立場となりノウハウの移転など様々な可能性があるだろう。個別性が強い障害者をあらかじめ登録書とプラン、バックアップ体制をしっかり作ることで初心者のスタッフでも対応できるようにし、研修などでスキルをアップしていくことで人を育てている。
地域の日中活動の事業所や余暇活動支援、短期入所、行動援護の事業所が増え、365日24時間の対応ができるようになると緊急対応はへるだろう。
高齢者でも365日、24時間対応の小規模多機能事業所や、定期巡回、随時対応型訪問介護看護やなど面で支える仕組みもできてきた(オランダのビュートゾルフなどもモデル)。精神障害の分野でいえば医療の関わりがもう少しあればほぼACTであり、オープンダイアローグ的な側面もあるが、精神疾患以上に自閉症や知的障害に関しては医療が理解も支援も大きく遅れており、出番は少なく密な生活支援以外に手立てがないということだろう。
逆に健康管理や身体合併症、アセスメントなどで医療がバックアップで協働できればさらに多様なニーズに応えられる最強のモデルになるだろうと思った。
報酬や人件費など経営的な数字のことなどもお聞きしたが、行政からの補助金など入れているが、事業としてはまだ赤字であり、母体の入所施設等ももつ社会福祉法人のバックアップがあるからできるという側面もあるようだ。
中信地域では、内部留保を切り崩しての地域支援に本気を出してくれる社会福祉法人でてこなければ、同じような形は難しいかもしれない。
それでも情報共有の体制をつくりホームヘルプサービスや行動援護を増やして日中活動や短期入所の事業所と協働していくことで関われる人や場を増やしていったり、ケースごとにクライシスプランをつくり、さしあたって48時間以内の出口会議をする上で、緊急入所を医療が担う(担えるか?)というあたりからははじめていけそうだと思った。

harukazeheya 

緊急ショート用の極力シンプルな部屋。
緊急の利用時には隔離はせずスタッフがマンツーマンでつくことも多いという。
画像に含まれている可能性があるもの:室内


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2017
08.13

商品化してはいけないもの

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きょうされん声明「A型事業所の閉鎖に伴う障害のある人の大量解雇問題を受けて


障害者支援の分野は医療や教育と同じく、社会共通資本であり、商品化してはいけない分野だと思う。


 ニーズがあるからとずっと手弁当でやってきた思いのある事業所などが行政と協働して開拓して制度化しても、今度は営利で商売にしようとするところが参入してハイエナのように荒らしていく。質の担保のために管理や規制が厳しくなり、そのコストがかさむ。いたちごっこである。

 医療でもそうだが、ビジネスでやっているところは、本当に大変な困っている人に限って、自分たちに何ができるかということも考えもせず、あっさりと排除するからわかる。

 今、何もできないというのなら、せめて一緒に声をあげてくれたりすればいいのだが、次の商売のタネ探しに忙しいのだろう。


 現在の現物給付、事業所への補助金などから支援者も含めだれもが食い詰めないように現金給付(ベーシックインカムと障害加算)に、権利擁護、行使のサポートをセットにして個人に給付する(今は市町村の認定という意味で半々くらい?)制度にシフトしてくべきなのだろうと思う。

 そのためには障害があり通常ではないサポートが必要な方にはなおさら、早くから意思決定の支援、声をあげるスキルというのが必要だ。


 そして、それを突き詰めていけば、それが仕事となる可能性があるともいえる。言葉や理屈を使うのが苦手ならばばアートや表現の世界に、言葉や理屈が使うのが得意ならば、学問の世界、ソーシャルワーカー、政治家などにも向いていると思う。

 

 明日は今日より少しでもマシな世界に。

 



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2017
07.19

PRT 〈Pivotal Response Treatmentの理論と実践〉: 発達障がい児のための新しいABA療育

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ペアレントトレーニングなどのもとになる考え方であるABA(Applied Behavior Analysis:応用行動分析)の新たな流れであるPRT(Pivotal Response Treatment)について詳しく解説した本。プラクティカルでとても面白かったし具体的なヒントも多い本であった。


日本でASD児へのABAの中でも先鋭的なフリーオペラント形式の療育を行ってきた著者たちが、本家筋のほぼ同じコンセプトの実践であるPRTを紹介するために翻訳した本である。指導には優先順位があり、機軸となる領域(ピボタル領域)があるのではないかという膨大な観察と科学的研究に基づく実践報告と具体的な介入方法が記されている。入院病棟やプレイルームで専門職が絵カードなどを用いた訓練は高頻度に行っても残念ながら投入する労力の割に汎化に乏しく効果が薄いことも多い。PRTでは極端な構造化などの環境設定はほとんど行わなず雑多なもののある日常生活にあるものを利用して”楽しく”、親や保育士、教師、時には同級生などと介入方法を統一して関わる。効果測定をして修正する。モデルとなる模倣対象の多い統合教育をなるべく推進する。注目すべきピボタル領域は、モチベーション、ついで積極的自発性だという。


モチベーションを引き出す方法に関しては①自分で選択、②日常生活内の強化子、③試みる行動を強化する、④維持課題と獲得課題の混ぜ合わせ、⑤課題の多様性 のパッケージで。積極性自発性に関しては質問行動への支援をおこなう。

随時、定型発達との比較、迷信と真実に分けて記載されていてわかりやすい。

その他、問題行動への対処や家族関係の改善、親のストレスの軽減、日常生活での介入とアセスメント、データー集収なども別に章を設けて記載されている。特に親との関係や親のストレスに関しては、家族全体を良い状態にすることも非常に大切であり、ASD児への親の関与が極めて有効に働くのは、親なればこそのエネルギーが秘密兵器として作用しているからということ。親へのフィードバック、情報共有のあり方も具体的で、親にストレスがあるときの子どもたちの積極的なお手伝いは、非常に大きな変化をもたらすなどの記載は秀逸で参考になった。


また、あとがきで役者が自説(くすぐりや逆模倣のアイディアなど)や文化背景の違いなどを考慮した突っ込みをいれまくっていたのが面白かった。

やみくもに介入するのではなく常にレバレッジポイントを意識してシステムズアプローチを行うというのは自分の追求していることでもある。ABAにはアイディア勝負な部分、知的パズルのような側面もあり知的にも面白い。異端のセラピスト奥田健次氏のABAもPRTの流れなのだろうが、施設に通所しての療育やリハビリよりも今後は家庭や学校現場などの生活の場へセラピストが訪問しての療育支援が圧倒的に有効だろうし今後主流になってくるのではないか。

明日を今日より少しでもマシな世界に。




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2017
07.19

子育てにかかわる全ての方へ

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医学書院「総合診療」誌 2017年9月号(特集◆うつより多い「不安」の診方)の「乳幼児健診で発達に問題があるかもしれないと言われて、わたしの育児のやり方が間違っているのではないか、とても心配です」の家庭医と若い母親のやり取りに対する誌上メンタリングの原稿(案)です。 オープンダイアログ、ビレッジアプローチなどの考えを入れています。
①ひとりでしない、ひとりにしない
 受ける側にも余裕が必要ですが、まず相談してくれたお母さんの訴えに真摯に耳を傾け、共感しているところから入っているのはいいですね。助けを求め相談しつつ解決していく力が、こころの健康のために一番大切なことです。この力を身につけるためには相談してよかったという体験を重ねてもらうことが大切で、相談を受けた側もまた「出来ることは助ける、出来ないことは相談する」ということが必要です。支援者の姿は親に、親の姿は子どもにも伝わります。
②ソーシャルサポートの有無と親の病的な不安にも注意
 「子育て、大丈夫かな?」と心配されても、子育てはまだまだ母親任せで、情報的、心理的、実際的なサポートの体制は地域によってまちまちです。継続的に関わり、親子へのサポートの状況を確認して手助けを増やし、余裕と安心感がもてれば不安は軽減していくはずです。それでも不安が強まるようなら病的な不安だったり、他の問題をかかえていたりすることもありますので精神科医もチームに加えてみてください。
③育てにくさに寄り添う子育て支援を
 子どもの育ちは十人十色で多様なもので、本来、多数派か少数派かの違いはあっても正常、異常の区別はありません。ただ感覚過敏などのために情報が多すぎて混乱しやすい子、行動制御に困難を抱えている子、育つペースがゆっくりの子もいます。できるだけ叱らないで、おだやかに言って聞かせる、忍耐強い子育てが大切です。周囲が通常の子育ての方法やペース、環境にこだわると、子どもは苦痛や不安をかかえ、混乱した状態のまま放置されることになります。一般の子育てでも使える構造化やペアトレの方法をアドバイスし、必要なら詳しいアセスメントや支援を得られるよう専門家の助けを求めてみてください。
④社会みんなで育てる
 社会の中で他者の助けをかりつつ生きる力をつけるのを目指すのはどの子であっても同じです。発達の特性は成人になっても残り、福祉的支援が必要になることもありますが、個性や能力として社会の中で上手く活かせることもありますし、困難さに関しても合理的配慮が得られる社会に変わってきています。目先の症状にこだわるよりも二次的な問題を予防することの方が大切です。親がその子をありのままにみて、その子なりの発達をとげられるように、いろんな力を借りながら出来ることで応援していただければと思います。
明日を今日より少しでもマシな世界に。

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2017
07.11

道徳教育は対話をベースに

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生命倫理学のレポートを出せと言うので以前のまとめをやや改変。学校教育現場ではいまだに効果が薄いとされるベル・ランカスター方式の一斉授業が多く、政治的な議論を避けているのは単に時の権力者に都合がいいからだよねと思わざるをえない。不道徳ら連中が推進する道徳教育(安倍首相の写真が何度も出てくる教科書を使って!)なんて笑い話にもならない。

「適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。一方、倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。倫理に明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしかない。

 知識の伝授では無知に起因するエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?研究不正を予防するための倫理の教育もまた試行錯誤のようであるが、e-ラーニングとディスカッションを組み合わせた授業などは、ベースとなる知識とともにさまざまな視点も得られ、対話の練習にもなるなど効果的だと思った。我が国でも義務教育の学校教育の時期から一方的な道徳の授業を導入するよりも、このような対話をベースとしたアクティブラーニングを推進すべきだろう。

 自分が強すぎて社会常識に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくかったりする脳のつくりの人は一定数どうしても存在する。特に研究者を志向する人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、反面、コミュニケーションは苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうこともありうる。ルールやガイドラインの明確化や、告発窓口やチェック機構を整備するなどシステムとしての解決も推進すべきだろうが、その上で大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、継続的な対話をあたりまえにすることだろう。

 オープン、フラット、シェアがベースのコミュニティをベースに市民とも対話を繰り返す。さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティの中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができるのだと思う。
 そしてそれは科学の世界のみならず、一般社会においても差別の解消、民主主義、世界の平和にもつながる人類普遍の根本的な考え方だと思う。」

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.11

歪められた行政。加計問題。一次が万事だと思うよ。

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政治を私物化したあげく嘘やゴマカシで開き直る、いまの政治、行政のあり方が、ちょっとひどすぎるので一言。
結局は国民一人ひとりが賢くなって政治から目をそらさず、それぞれの方法で政治参加しつづけるしかないだろうけどね。

森友、加計問題では国会中には追求から逃げまくっていた与党。
アリバイ的に「行政が歪められた」か否かを問う、閉会中審査が開催された。
安倍首相や加計孝太郎氏をはじめとした関係者がいないんだからそりゃ新しい事実はでてこないだろう。

不透明なところでコソコソやって一部の人達が政治を私物化したというプロセスを問題にしているところに、それを告発した前川氏への個人攻撃に終止する与党議員。
そこしか責めるところがないのだろうけど話のすり替えに必死で滑稽でした。
安倍首相も逃げている中、自民党の鉄砲玉として矢面に立たされた、平井卓也(元自民党ネットサポーターズクラブ代表)議員も、青山繁幸議員、お疲れ様でした。
もう次はないだろうね。

そして参考人としてでてきた加戸守行前愛媛県知事もまたおかしかった。

そもそも「政治が歪められたプロセス」を議論している本筋とは関係ない、四国の産業獣医師不足の悲願と、長年認可をもとめてきたという苦労話を延々としていたけど(そりゃ報道されないのも当たり前だ)、良く聞くとおかしいところばっかり。

あえてその話にのっかるとしても、四国に本当に公務員獣医師、産業獣医師が足りないなら、今わざわざ今治に加計学園の大規模な単科の獣医大学を新設しなくてもより低コストかつ効果的な方策はいくらでもあるだろう。

 まず、奨学金制度や処遇を充実させたりすればいいだろうし、獣医学部の入学定員ではなく、国家資格である獣医師免許の資格のあり方を議論してもいい。
 どうしても四国にも研究、教育機関としての獣医学部が必要というのなら実績もある愛媛大や香川大の農学部などをベースに増設するほうがよほど自然。国策として公務員の産業獣医師がもっと必要というなら、産業獣医大なり、自治獣医大なりをつくるほうが、数も読めるし質も量もコントロールできる。

 加戸さん、途中で話がかわっちゃってたけど世界と勝負できるライフサイエンスを充実させたいというのなら、理学部、農学部、医学部等の他のライフサイエンス系の学部も含めた研究教育費の配分の話しになるだろう。そこで何故、これまでの実績も経験もなく、実力も未知数、というかライフサイエンスっていうのなら今回、同じく獣医学部を新設したいといっていた京産大の案にくらべても圧倒的に期待出来なさそうな加計学園なのか。
それでもどうしてもつくりたければすべて私財を投じてつくってくださいという話です。

 そもそも国公立に比べて学費もかかる私立の大学で募集の時点での地域縛り、産業獣医師、研究職縛りをかけていない時点で、期待したような目的が達成できるともおもえない。国家試験の時点で苦労するだろうし、獣医師資格を得てもペット獣医になる人が多いのではないだろうか・・。

あ、授業の質とか学生の将来とかなんてどうでもよくって、ただたくさん学生さえがあつまればそれでいいのか・・。ビジネスだもんね。

 彼らが獣医学部にこだわるのは、今から地方に新たに大学をつくるとしても、作りやすいグローバル国際環境情報政策福祉学部とかだったら、全入時代の今、よほどの特色がないともはや学生が集まらないからだろう。そりゃよほどじゃないと地方の学生は都会行きたいでしょ。都会の学生もよほどじゃないと地方にはこないよ。
一方で今でも人が集まりやすい医療系だったら教育も許認可も大変そうだけど、獣医学部なら学生も集まりそう、簡単に作れそう、くらいの理由しか無いようにおもえる。

 しまなみバブルでうっかり開発してしまった「塩漬け状態」の土地の精算処分と、地方&国政の政治家とそのお友達の学校屋、土建屋連中に都合がいいだけのスキームを描いていたわけで、この人達は日本国民、今治市民、獣医師、そこで学ぶ学生の人生のことなんてこれっぽっちも考えていないように思えます。

こういった議論をあかるいところでやらないから、加計ありきっていわれるんだよ。

学生はあつまらないだろうなぁ、つくり始めた建物どうするんだろうね・・。
借金だけのこって今治市は夕張市、銚子市のようになるんだろうな・・。そしてそれは日本全体の未来でもある。きっと基地でも、原発でも、中央リニアでも、オリンピックでも似たような構造なんだろう・・。

市民は預けた税金の使いみち、みんなのルールの作成、運用に対してもっと厳しい目を向けならなきゃダメ。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.08

ユニバーサルデザインと合理的配慮

Category: 未分類
バニラエアの件、乙武さんのイタリアン襲撃事件がデジャヴですね。(私の過去記事
乙武さんも今回の件に関して意見を述べられているようですが。

少数派ゆえに苦労することは不条理に感じることは多いだろうが、障害を持つ子どもたちには援助希求と、どういうことで困っているか、できればどういう助けが必要かを主張できるようにと関わっている身とすると(あとは社会の側の課題)、どういう配慮が必要か、航空会社としてどういうことが出来るか落ち着いた明るい場で対話はできなかったのかなとは思う。
過去の青い芝の会のバス闘争の頃とは違い、いまは障害者差別解消法もできたのだから、窓口や世論、裁判に訴えることもできたはず。

今回の件に関しては本人はあえて航空会社側が求めていた5日前に予約で相談してないわけです。(対話に応じていないとも言える)。意図的であるようだから乙武氏のイタリアンのときと同じサプライズ(奇襲)であす。
その段階で車椅子を理由にお断りされたらそれを社会で問題にすべきだと思うが(差別解消法ができた今となっては裁判となれば負けないだろう)航空会社側にも安全のための緊急時の90秒脱出ルールとかいろいろあるようだし、他の車椅子の方との座席の兼ね合いなど準備も必要だろう。

現場では規則もあるわけだし、準備する余裕もなく対応せざるをえなかった航空会社側も怪我をした場合の責任問題とかいろいろ考えたのだと思う。まあ、その規則が合理的かどうかはともかく現場で決められないなら可能な限り上の判断を仰ぐくらいはしてもよかったかと思うが。

これが例えば人工呼吸器ならどうか、小錦ならどうか、風呂に入らないことがこだわりの精神障害者ならどうかなどと考えるとモヤモヤしてしまうわけです。

もちろんどんな障害がある人でも、いきなり求めて相応の配慮を得られれば理想ですがあらゆる障害に関してあらゆる備えをしておくのは現実問題として合理的ではないと思う。あらゆる場を100%のユニバーサルとするにはコストが無限に必要ですから不可能です。公共空間でのユニバーサルデザインでできるところはやりつくして、どうしても残った部分が個別の合理的配慮ということになるのだと思います。

そして合理的配慮(障害のある方から何らかの配慮を求められた場合、負担になり過ぎない範囲で配慮をする義務がある)とは対話だから。その場その場で判断は代わり、その妥当性については判例を積み重ねるしか無いというのが法律家の見解です。

木島氏は経験豊富でバリアフリーに関するコンサルタントや講演もされてきた方のようですし、相手は新興のLCCなのだから教えてあげて、それで応えてもらえなければはじめて問題にすればよいことだったのではないかと・・。

それでいろいろ批判もでているわけですが、炎上狙いだとしたら成功したんでしょうね。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.08

倫理とは何か?いかに身につけるのか?

Category: 未分類
社会人大学院で「研究における倫理」の授業だった。学生として1日通しての授業は懐かしい感じ。

あらかじめCITIJapanのe-ラーニングを受けた上での、グループディスカッション。
現時点における基礎的な理解の共通基盤、テクニカルターム、キーワードについての理解がズレているとディスカッションにならないので、こういう教授法はとても良いと思った。

なるほどと思ったのは適法性と倫理性の違い。

適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。

そこに明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしか無い。

また科学的分野の研究活動自体、善意(嘘をつかない、不正はしない)ということに基づいているためはっきりいって不正を防止する方法はない。
研究結果はオープンなコミュニティの中でのピアレビューや追試などによる再現性などで評価検証されるが、事後措置としての不正行為に関しての監視はやりきれず、不正行為が増えると防止策や監視のためのコストもかかってしまい科学に対する信頼性も揺らぐ事態になる。

こういった事態の予防のための教育を研究者の卵のうちからしようという話になり、このような授業もあるわけだが、これもまた試行錯誤のようである。無知のための故意でないエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?

グループワークでは小保方氏らのSTAP細胞の事件を彷彿させる、「ばれなきゃOK」という小さな研究不正(捏造、改ざん、盗窃など)が積み重なり、データの捏造という不正が発覚し大事になり、研究者が自殺に至るようなシナリオについて話し合ったりした。

どうして、このようなことがおこるのか?

研究者になる人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、コミュニケーションが苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうのだろう。

どのような対策ができるのだろうか?そして過ちに気づいた時に度のタイミングでどのようにリカバリーできるのか?


一定数、平均的な見方に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくい脳のつくりの人はどうしても存在する。特に研究者を志向する人にはこういう人も多いかもしれない。告発窓口やチェック機構など、システムとしての解決も図られるべきだが、結局、ここでも大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、対話なのだろうということ。

さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティ(ひろくは一般市民を含めた社会全体)の中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができる。

やっぱりここでも「ひとりにしない、ひとりでしない」ことだろう。

ふと、考えたのはこの国の政治体制である。

言葉が乱れ、嘘や不正がまかり通り、対話が成り立たない権力者が、情報を秘匿し、過ちを指摘されても「指摘はまったく当たらない。問題ない。どうだっていいじゃん、そんなこと」と開き直って居座っているこの国の政治のあり方には不安をいだかざるをえない。

選挙を通じて国民の代表として厳正に選ばれた人たちのはずだが、何故か最低限の言葉や倫理性も通じない人たちが権力の中枢に居座って政治を私物化している状況が悪化している。これは国民にとっても政治家にとっても不幸なことであろう。

その結果、倫理性どころか適法性のレベル(憲法尊守など)で疑惑が次から次へとあふれでており情報統制や強権をもってしてももはや糊塗しきれなくなくなってきている。

知名度を売って勢いに乗った政党の公認を受けて当選し、党議拘束に従って投票する簡単なお仕事になりさがってしまっている政治家には、現時点での近代国家の民主主義の到達点の最低限の土台や言葉を学ぶe-ラーニング(特に人権、憲法に関してなど)で学んでもらうことも必要かもしれない。

そして国民全体が賢くなり、社会における対話の総量を増やし、発言、行動していくことが必要なのだろう。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.04

ひとりでしない、ひとりにしない

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自閉症で行動障害がでて手がつけられなくなった方のパターンとして、特別支援学校などで熱心だがスキルに欠ける先生が、素と素で関わりすぎ本人の要求に応えすぎて属人的な対応になり、先生の移動や本人の卒業などでその関わりができなくなった時に本人が混乱してというパターンが多い気がする。

ひどい場合はその先生がお休みのときは対応できる人がいないので休んでくださいといわれたとか・・。大変なケースほど、ひとりでしない、ひとりにしないで、関わり方を統一しつつ多くの人がかかわり手がかりを人からシステムに移して構造化をすすめていくのがセオリーであろう。

 もっともこれは支配性の裏返しと言うか、親や支援者にもあるパターンではある。他に支援がないというのもあるだろうが、何事も一人で頑張っちゃったらいけない。佐久の若月俊一先生や、夕張の村上智彦先生もよくおっしゃっていた事ですが、 地域医療におけるスーパードクターも同じ事。

「ひとりでしない、ひとりにしない」「できることは助ける、できないことは相談する」
これをみんなが自然にこれができる社会ならどれだけ生きやすい社会になることだろう。

明日を今日よりも少しでもマシな社会に。


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2017
06.18

安倍チルドレンの中に”りりぽん”はいないのか?

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学級会以下の崩壊状態の国会が終了し「共謀罪」が成立した諦めと無気力が蔓延する日本という国ですが、国民の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?


政治に関心を持たせないための国策の「パンと見世物」の一環ともとれる、心底どうでもいい第7回AKB選抜総選挙の発表イベントが開催されました。

沖縄のビーチでの開催も悪天候のために観客なしでの開催だったそうですが・・。


そこで”りりぽん(20)”なるNMBメンバーのアイドルが、「恋愛禁止、うんこもしない」とファンを信じさせるのが掟であったはずのプロアイドルとしては掟破りの電撃結婚発表(超個人的な空気を読まない言動)をしたということが話題になっています。 
そして得票は20位ながら、”さしこ”のトップ、”まゆゆ”の卒業などをすっ飛ばしてすべて話題をかっさらっていったそうです。

「風穴をあけるっす」「面白い未来はりりぽんに任せてくださいっ!!」などと言っていたそうだから、確信犯でのブルーオーシャン戦略なのでしょうか?

まさに目的は達成されたわけであります。

それともそうでもしなければ抜けられないなどの深い事情があったのでしょうか?


いやむしろAKB商法も賞味期限切れの感じもあり、スキャンダルも含めての商品だから、すべて秋元康(&電通&自民党)あたりもかんだ上での仕込みの炎上商法の可能性も捨てきれない。むしろそっちの可能性の方が高いかもしれません。
ファンの悲鳴や先輩方の反応やコメントも話題になっていますし。

だとすると狙い通りなのかもしれません?


ところで、この話題を聞いて個人的に感じたことです。

それは国民からも自民党執行部からもバカにされている職業として政治家を選んだ安倍チルドレンたちのことです。


どう考えても政治家としての資質にもとる元バレー選手や、アイドルユニットスピードのメンバー、料理研究家などが「知名度を元に当選し、党議拘束に従って投票するだけの簡単なお仕事」につられ選挙にでて当選して議員になりました。


しかし今の安倍政権のモラルにもコンプライアンスにも欠ける言動をみて、国民の声を聞いて一人くらい電撃記者会見を開いて政権のあり方に疑問を投げかけ、共謀罪に反対票を投じる与党の議員はいないものかと、こう考えるわけであります・・。


党執行部は過去の経歴からの知名度はあっても、ポリシーはない、執行部に逆らわない、考えもしない、そんな力も無い人、国民ではなく党の方しか見ない人だけを第一に厳選して公認しているのでしょうが・・。

しかしおっちょこちょいで目立ちたがり屋でどうせポリシーなど無いのならば、今こそ人生最大の最大の見せ場だったかもしれないのです・・。

党執行部に反対する自体は違法でもないし、まさか生命まではとられまいでしょう。

今、このタイミングなら国民の多くも全力応援します。


いや、もはやそうでもないのか?

すでに弱みも握られていて見せしめで御用メディアを総動員した人物破壊や、なんだかんだの罪状で無理やり逮捕されたり、裏社会にも手をまわされ家族を人質にとられている奴隷たちなのでしょうか?

((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル)。


私が発達障害の人に期待し希望をもっているのはこういう部分であります。

集団の論理に取り込まれず、普段は集団に排除、迫害されながらも、そのマイペースさ、KYさゆえに集団の危機を救うこともあるかもしれないのです。


明日を今日よりも少しでもマシな社会に。




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2017
05.16

信州の発達障害支援を考えるシンポジウム

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平成28年5月13日、信州大学子どものこころ診療部セミナー(シンポジウム)が開催されました。


シンポジスト
   新保 文彦 氏(長野県松本圏域発達障がいサポマネ)
   藤村 出 氏(NPO法人SUN理事長)
   高橋 知音 氏(信州大学教育学部教授)
コーディネーター
   本田 秀夫(信大病院子どものこころ診療部部長)


セミナー2017 


自分なりのまとめをシェアします。

会場外で聞き取りにくい無線で聞いていたので、自分フィルターを通して、最近読んだ本や当事者や会場での対話などを含め、考えたことを補足して自分の言葉でまとめた理解です。シンポジストの発言と細かい内容は違っていると思います。

支援の必要性に幼少期より気づかれ心配されていても連携がうまくつながらず支援が途切れてしまうことが多い。もったいない。特に思春期〜青年期前後で医療も教育も福祉的支援も空白地帯となる。大学、社会に出る段で失敗体験から二次障害に。ライフステージを見据えて関わることが大切。

気付かず型、がまん型の潜在ニーズを放置し二次障害をきたす事例にしないための啓発活動と、障害の有無をとわない出生時(出生前)からの広く一般を対象としたインクルーシブでユニバーサルな支援が必要。正しい理解と効果的な支援技術を広く一般に知ってもらう。親支援と親の仲間づくりも。

そもそもみんな違うことがスタート。ダイバーシティを前程とする。それぞれにあった育ち方、育て方がある。みんなと同じを捨てる。その上で社会に認められる生き方。協調性、同調圧力よりも社交、公共性。それぞれ得意なこと、苦手なことは認めあい、助け合う。それを認める社会に。

ASDやADHDへの理解は広まってきたが学習障害は見過ごされている。学習困難があるのは成績不良で分かる。学習効果があがらないのは教師の責任。合理的配慮(教育的配慮)は医療の診断を得なくてもどんどんすればよい。視覚支援、聴覚支援、テクノエイドなどはどんどん使っていけばいい。ただ入試などの試験での配慮には現状では医療的な診断が必要。

ASDでは趣味や余暇活動や仲間づくりにも支援が必要。学業や就労支援よりむしろこちらが先。行動援護やネスティングの場が鍵。好きなこと、興味のあることを通じて他者と活動することが自己肯定感を高め、社交スキルを養い、力をためる場になる。部活動などの課外活動を学校教育と切り離した場でできないか?

支援もスペクトラムで。バラバラの医療、教育、福祉の壁を超えるコーディネーターやサポマネのうごきが鍵。ケア会議が大切。ライフステージを見据え、ミクロ、マクロ、メゾの視点、バイオメディカル〜サイコソーシャルの視点をもち、病や障害をもちながらの人生計画の設計士たる医師ももっともっと現場にでていけるような診療上の体制になればいいなぁ・・。


セミナー20172 

いとぐるまの会で作成した啓発パネルも展示


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2017
05.16

子どものための精神医学

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「子どものための精神医学(滝川一廣著)」読了。

この本、めちゃくちゃいいっす。中井久夫先生のお弟子さんだけあって中井久夫の本を読んでいるときに感じるような重厚感と丁寧さ、教養の深さが感じられる本です。
発達をピアジェ的軸(認識の発達)とフロイト的軸(関係性の発達)の二軸から読み解く発達の話が中心ですが、医学生物学的なこと、家族や社会の変化などなことについても丁寧に述べられています。
いわゆるハウツー本のようにスラスラよめる感じではありませんが、骨太で自分が常々考えていたことに言葉やシェマをあたえてくれます。また事例や周辺の知識、具体的、実践的な考え方や姿勢もたくさん述べられており基本的な考えが理屈から整理できました。
子どもの発達にかかわるすべての人にオススメです。


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2017
02.18

人生はアウト・オブ・コントロール

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<「統合失調症のひろば」の原稿(案)。意見求む。 >

  働くってなんだろう。働かざるもの喰うべからず、働かなきゃダメみたいな社会を支配する価値観がボクらを日々追い詰める。働くことは苦しいこと、お給料をもらっているのだから我慢しなきゃだめ?好きなことをやっていちゃダメ?お金をたくさんもらえるほうがエライ?誰のために?何のために働くの?いろいろ考えはつきない。英語でも「働く」という言葉にはレイバー,ジョブ,ワーク, コーリングなどといろいろあるらしい。レイバーは強制労働、コーリングは神様に呼ばれたというニュアンスで、もがきながらもできれば生きている間に少しでも天職に近づきたいと思う。 

  さまざまなものの多様性が減少している時代、職の多様性も急激に減少している。機械化やグローバル化で、農林水産業などの第一次産業、ついで製造業などの第二次産業に従事する人がへり、海外に出ていってしまった。そして今や第三次産業だけで70%を占める。コミュニカティブでない人には辛い時代である。家族、親族や地域の人でやっているような身の丈にあった自営や小規模の会社が減った。そして地方都市はどこの町も同じようなイオンモールの間にセブンイレブンが点在する似た顔つきの町になりつつある。ネットを開けばアマゾンやグーグルはまるでボクの考えや趣味を知っているかのように次々と物欲を刺激して恐ろしくなる。そのバックヤードや配送に従事する人の顔は見えない。一見キレイな世界の裏側は簡単には見えないように隠されている。 頑張って勉強して借金までして大学に行ってよさそうな職場に就職しても、うかうかしていると生活の場から切り離され奴隷のような長時間労働を強いられかねない。株主利益を最大化することが目的にされれば、遠い未来のことなんか考えることもなく、まっとうな働き方なんてすぐにどこかに飛んでいってしまい非道な働かせ方がまかり通るようになる。国民はアンダーコントロールで、ブラック企業で人間の限界に挑戦するオリンピック?まるでブラックジョークだ。本当にこの道しかないのだろうか? 

  産業革命以後、機械を動かせるようになり、ICTも発展し人工知能がさまざまな人の仕事を代替してくれるようになった現在どうして少ない仕事のポストをあらそって、死ぬほど働かなければならないのか?何かがおかしい。仲間や家族と日々の生活を楽しんだり、じっくりと人を育てたり、いつどのように役に立つかわからないけど自分の興味のまま研究活動や、今の時代のだれにも理解されないかもしれないけど芸術活動などに思う存分皆いそしめる時代になったはずなのに。最後のサンクチュアリであった大学というところすら今やコミュニケーション力や即物的な成果をもとめられる。 

  私が勤務していた北アルプス医療センターあづみ病院のディケアでも就労支援プログラムというのがあり、「就労に向けて必要な病状の管理」みたいなテーマでのレクチャーを担当していたことがある。就労準備性を高めましょうという目的で、「コミュニケーション」、「働くこころがまえ」、「生活リズムを整えようとか」、「自分の調子に気付こう」とか、「だれに相談するか決めておこう」、みたいな内容でのレクチャーとディスカッションが中心のまあよくある内容だ。しかしこのような座学中心のステップアップ方式の就労支援ではなかなか上手く行かない印象であった。これは会社に就職するための職業訓練という発想だからだろうか?なにしろ参加者の状態や程度は様々だし、いろいろ出来ることはあってもハードルが高すぎて働ける場がないのだ。一方で就労支援をうたっている事業所も障害者を支援の対象者に追いやりあえて自立させずに、囲い込み、ビジネスとしてとらえているようななんだかなぁというところもある。地域密着でやっているとそういうところはなんとなく分かるが他に選択肢がなかったりする。 

  障害者就労支援業界では最近はIPS(Individual Placement and Support)モデルという方式が注目されている。まず本人の少しでも働いてみたい、こんなことをやってみたいという気持ちを大事にする。それをとにかく始めてみる。そのために必要なサポートがあとを追いかけていく。この子ども版の実践が「ぷれジョブ」活動で、若者版の実践が「静岡方式」とよばれているものに相当するのだろう。この方が天職に近づけそうな気がする。 そのためにはその人のことを理解した上で面倒をみてくれる人と連絡がとれるくらいの地域に広がるネットワークが大事である。どの街にも理解者やこのようなおせっかいな人がいる。見のいい人が町の何でも屋をつくり、障害支援の制度を利用して事業にしているところもふえてきた。見知った人間関係の中で、支援付きで試行錯誤する。試してみるだけで大成功。難しければ引き下がってもいいというような場だ。こういった場の開拓やつなぎを自分で直接やることもあるし、頼りにしている支援者にお願いすることもある。ピアの場で、他の当事者を元気にする役目をお願いすることもある。当事者からも支援者からも相談をうけ仲介するよろず相談所だ。別に医者がやらなくてもいいのかもしれないけど、ボクの大好きな青木省三先生も自分のやっていることは就労斡旋業だといっておられたから、まあダメではないのだろう。最近の言葉を借りれば社会的処方の一つだろう。 

 だいたい統合失調症の人はまじめな人が多い。過敏で空気を読みすぎるが、厳しい眼差しの中ではヘトヘトになってしまう。やっぱり働きたいと思っているが、自己理解をすすめ自分なりのペースを見つけて対処が上手になるまでには苦労を繰り返しがちだ。最低限のスキルを獲得したら、あとはあたたかいまなざしの中で、仲間を得て、役割をもつことができれば病状も安定することもよく経験する。ただ季節や天気も含め様々な要因で調子を崩しやすいし、無理はできない。このあたりが理解されにくく、精神障害者はわからないということになってしまう。通訳やコーチが必要だ。 あづみ病院では就労支援室というのをつくり、病院の食器洗浄、ついでユニフォームのクリーニング場を支援付きで働く場として提供している。さまざまな精神障害のことをよくわかっているスタッフも一緒に入り、いろいろ試してみることが出来る。これも病院の機能のひとつとしてすっかり定着した。ここを足場に仲間を得て、自信を、ついで人生を取り戻し社会参加の足がかりにしていく方も増えている。人が成長したり回復したりする現場に関わるのはこっちも元気になり成長することができる。その人にあった働き方をすることができ幸せ、支援をする人も仕事を得て幸せ。これぞ広い意味でのワークシェアリングだと思う。

 そもそも人生はアウト・オブ・コントロール。想定外の事態ばかりだ。ひとりでは生きられないのも芸のうち。自分や家族に何らかの障害がある人は、ただ生きているだけで存在役割を果たし、世界の多様性を担保しているという重要な仕事を担っている。自閉的な人は自閉的に、多動的なひとは多動的に、それぞれの表現方法をもって何らかの形でその体験を表現するだけでも十分立派である。さらに余力があり、猛烈なニーズがあれば、それで出来る事業、同じようなニーズのある人を助ける事業をそれぞれの身の丈にあわせて起業したりして行動役割を見つければいい。そんな人たちを日々、自分のできることでお手伝いする毎日が楽しい。

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2017
02.07

多様な親、多様な育ちを支えるために出来ること

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長野県の子ども白書2017に執筆予定の原稿(案)です。ご意見よろしくおねがいします。

【育ちの臨床に関わるようになったわけ】

 昔から私はどうも世間離れしすぎていて生活者としての実感がもてないというコンプレックスがありました。しっかりと地域に根を張って生活している人たちに接したくて、農山村部での地域医療を、そしてリハビリテーション医療(障害の医療)をこころざしました。思うところがあって精神科に軸足を移し、有床総合病院の精神科という第一線の現場で、外来、訪問、病棟と昼夜休日を問わず働いてきました。あらゆる精神疾患と様々な人生が交差する場で地域医療の最後の砦であるという誇りをもった多職種チームで困難なケースに取り組むのは大変だけど、楽しい日々でした。そのうちに思春期や発達障害のケースを多く診るようになり、子どもを授かったのを機に子どものこころや育ちの支援について大学でも学ばせてもらっています。

【ボクらの産後クライシス】

 うちは夫婦とも医師の共働きですが子どもがなかなか授からず不妊治療をおこなってきました。治療中の負担も大きかったですが、先の見えない治療中、子どもがいる人といない人の分断を感じ、親戚や同僚、友人の子どもの話を聞くのも辛いと感じたこともありました。子どもを授かったことは喜びではありましたが、それまでと全く違う生活に突然放り込まれることになりました。小さな子どもは誰かが常に側でケアしなければならない存在で、周囲の大人に生活を変えることを要求します。これまでも家族のケアをしている人に関わることも多かったのですが、本当のところ育児や介護などケア責任を負う生活をイメージできてはいませんでした。どちらの実家も遠方で、寝不足で体力も削られ、仕事もまわらず家は修羅場となりました。遅ればせながら仕事の軽減を職場に求めるも上手くいかず、いったん退職することを決めました。そのころ同じような問題意識をもつ佐久医療センターの仲間が、アイナロハの渡邊大地さんを呼んで父親学級を開催しました。それに夫婦で参加しましたが、産後は夫婦のスレ違いが大きくなり危機となりやすい時期であり、産後の大変さ、夫婦の考え方、感じ方の違いを知り、対話を促すような機会は必須だと痛感しました。

 共働きであったため双方が仕事をセーブして家事と育児をシェアすることにし、妻の職場への本復帰にあたり、退職前にほぼ使ったことのなかった有給を使いきり慣らし保育の送迎をしました。思春期や発達障害中心の外来のみを継続して、大学で比較的自由のきく立場で勉強させてもらうことにしました。

【子どもや親にも厳しい社会】

その頃から不思議な事に診ていた患者さんたちが次々と子どもを授かり始めました。精神疾患をもちながらも結婚し、お薬も調整して何度かの妊娠で子どもを授かった女性がいました。能力はそれなりに高いものの疲れやすく無理はできず、不眠や対人関係のストレスで調子を崩しやすい方でした。本人は自分の病状もよく理解しており、周囲の支援者に頼るスタンスもありました。しかし例にもれず夫は長時間労働で、親も高齢で要介護状態といった状況で、本人と夫、支援者でも何度も話し合い、ヘルパーや訪問看護の導入など出産前から準備を重ねました。しかし周囲が「母親」に求めることはただでさえ多く、特にサポートの必要な産後でもフォーマルな支援は乏しい状態です。父親が育休を取ることができればまた違ったのかもしれませんが、結局、自宅での子育ては無理と判断され子どもは乳児院に保護されました。母も精神不調となり入院も必要となり、紆余曲折の末、面会と外泊を繰り返し、保育園を利用できるタイミングで子どもも家へもどることになりました。なんとか皆でささえていければと思っています。
 出産時期が遅くなると親世代も高齢となり介護を要する状態となる可能性も増えてきす。ただでさえ大変な子育てですから、ダブルケアや親や子どもに何らかの障害があるなどのケースはなおさら大変です。長時間の労働の必要なく生活ができ、男性もあたりまえに育休がとれる文化、出産直後に家族が育児に慣れていける施設やサポート体制、誰もが子育てや教育にお金の心配をしなくてもいい社会制度、そしてフィンランドのネウボラのように切れ目なく全ての子どもと家族に寄り添うフォーマルな支援と地域に様々なインフォーマルな支援がたくさん必要です。

【それぞれの育ちを見守りささえる】

 子どもは親とは違う人間であり、親の思うようには育たないものです。それぞれのペースやこだわりがあり、興味や能力を育んでいきます。大人は子どもが本来持っているものを最大限に発揮するための環境を用意すること以外大したことはできません。子どもにとって楽しく、安心でき、やっていることの意味がわかり、あなたは大切な人で生きている価値があるというメッセージがあふれる環境を整え、共に学び、楽しめばいいのだと思います。

 不登校も問題になっていますが、平均的な人向けに仮に用意された教育メニューがどうしても合わない子どももいます。「特別」と「普通」という2匹の魔物にとらわれると、苦しむことになります。同調圧力の強いこの国の学校では個性的な子は、いじめをうけたり、過剰適応して“がまんエネルギー”を使い果たしたりして学校にいけなくなります。障害特性に応じた合理的配慮も必須となり、特別支援教育も以前よりは整備されてきましたが日本で対象となるのは3%弱、これがアメリカだと10%、フィンランドでは30%だそうです。日本の教育の文化が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 思春期には将来の自立に向けた試行錯誤が必要となり、一律の教育よりもだれもが支援をうけながらさまざまな体験を積めるような環境が重要です。自分の権利を守ることができ、他者の権利を侵害しさえしなければ、あとは得手に帆を揚げてナリワイを見つけて生きればよいのです。今ある仕事や組織が将来に渡って安泰とはとても言えません。案外、今後はスローで丁寧な暮らしが見直されるのではないかとも思います。

【医療に出来ること、出来ないこと】

 社会には多様な家族があり、多様な育ちがあります。本人の少数派の特性ゆえに居場所が見つけられず排除され苦労することもある一方、社会的弱者を包摂し救うのもまた文化と社会の多様性です。しかし様々な障害をもって生活することを他者が想像するのは難しいことです。それぞれの体験に耳をすまし、対話をつづける中で、仲間づくりをしたり、だれもが声をあげていける場をつくったりすることが必要でしょう。診察室にはさまざまな悩みをかかえた親子が訪れます。医療に出来ることはあまりないのですが、時にはお薬も使いますし、医学、心理、社会的知見を活かして皆が動きやすいように診立てて、家族や周囲の人との対話がつながるように支援します。心理的、情報的サポートだけでなく、実際的なサポートも圧倒的に足りません。よろず相談かつ自分のすべてを総動員しますが、自分が出来ることは助け、できないことは皆に相談して一緒に悩みます。専門家としてだけではなくときには枠を超えて隣人や友人として付き合わざるを得ないこともあります。

【子どもたちの未来のために】

 子どもの貧困や教育への投資を通じた社会的格差の是正の必要性を強く感じています。お金では幸福を買うことはできないかもしれませんが、不幸は減らすことが出来ます。みんなから集めたお金の使い道や、皆が気持ちよく生きていけるための社会のルールとは自分たちで考えよく話して決めたいものです。まずは生活から切り離された姿の見えない巨大なブラックボックスのシステムに自分たちの生活を委ねるのはやめ、身近な顔の見える関係から対話を重ねることからでしょうか。
 オープン、フラット、シェアが現代のキーワードだそうです。共感する仲間を増やし、様々な社会的課題に挑み、地域に必要な様々な社会共通資本(ソーシャル・キャピタル)を守り、作り、育て、真の意味で豊かな社会をつくっていきたいものです。

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2017
02.05

精神科は患者の医師への依存性が高い?

Category: 未分類
いやはや、なんとも・・という事件。


薬物容疑の医師再雇用 「代わりいない」苦渋の選択 北九州の療育センター 警視庁が書類送検


北九州市と同市福祉事業団は2日、市立総合療育センターの30代男性精神科医が、東京都内で危険ドラッグを所持したとして医薬品医療機器法違反の疑いで、警視庁から東京地検に書類送検されたと発表した。医師は1月30日に依願退職したが、センターを運営する同事業団は「代わりの医師がいない」として同31日付で臨時職員に再雇用。3月末まで診察を続ける。

 同事業団によると、医師は昨年12月10日、東京都内で警察官の職務質問を受けた際、危険ドラッグの「ラッシュ」を所持していたことが発覚。1月18日付で書類送検された。尿検査は陰性で同事業団に「知人にもらった。自分で使うつもりだった」と話したという。

 医師は2015年4月から勤務し、発達障害やうつ病の中学、高校生の外来患者など約450人を担当。センターの精神科医は1人だけで、思春期以降の子どもを診る精神科医は全国的にも不足しており、同事業団は臨時雇用の間に代わりの医師や患者の引き継ぎ先を探す。罰金刑以上が確定すれば厚生労働省の「医道審議会」で医師免許停止など行政処分の対象になるが、現時点で診察に問題はないという。

 同事業団は「精神科は医師への依存性が高く、急にいなくなれば、患者が自殺や自傷行為を起こす可能性もある。苦渋の選択だ」と説明。発達障害の子どもがいる福岡市の女性(52)は「医師として正しい判断ができるのか疑問。診てもらいたくないと思う親も多いのでは」と話した。

=2017/02/03付 西日本新聞朝刊=



確かに思春期以降の子どもをちゃんと診ることのできる精神科医は不足しているが・・。 
かつて指導医から「自分に依存させ、自分がいなくなったら自殺するような患者をつくってはいけない。それは下手な治療もいいところ」と教わった。

 これは組織としても個人としてもマズイ治療。
医師一人に依存させ続ける状態を作ってしまってはダメでしょう。
もしもそういう患者がいたとしてもせいぜいクライシス状態の数人のはず。 

多問題で大変なケースほど多職種、多職域で抱え、医師は治療チームの一部としてだんだん引き下がっていくのが理想です。 

容疑の段階ではあるが、本人への治療が必要な状態なのか?どうして危険ドラッグの保持していたのか?好奇心からか新奇追求性からか、危険ドラッグにハマる患者の体験を知りたかったのか?
職務質問を受けたということはみるからに怪しい言動だったのか・・・。

 年度末まで勤務するということは、ひたすら引き継ぎのための申し送りと、患者への説明だろうが、こうなった以上は主治医の弱さと回復を患者にも見せることで治療的になるような関わりとするしかないだろう。

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