2017
08.13

商品化してはいけないもの

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きょうされん声明「A型事業所の閉鎖に伴う障害のある人の大量解雇問題を受けて


障害者支援の分野は医療や教育と同じく、社会共通資本であり、商品化してはいけない分野だと思う。


 ニーズがあるからとずっと手弁当でやってきた思いのある事業所などが行政と協働して開拓して制度化しても、今度は営利で商売にしようとするところが参入してハイエナのように荒らしていく。質の担保のために管理や規制が厳しくなり、そのコストがかさむ。いたちごっこである。

 医療でもそうだが、ビジネスでやっているところは、本当に大変な困っている人に限って、自分たちに何ができるかということも考えもせず、あっさりと排除するからわかる。

 今、何もできないというのなら、せめて一緒に声をあげてくれたりすればいいのだが、次の商売のタネ探しに忙しいのだろう。


 現在の現物給付、事業所への補助金などから支援者も含めだれもが食い詰めないように現金給付(ベーシックインカムと障害加算)に、権利擁護、行使のサポートをセットにして個人に給付する(今は市町村の認定という意味で半々くらい?)制度にシフトしてくべきなのだろうと思う。

 そのためには障害があり通常ではないサポートが必要な方にはなおさら、早くから意思決定の支援、声をあげるスキルというのが必要だ。


 そして、それを突き詰めていけば、それが仕事となる可能性があるともいえる。言葉や理屈を使うのが苦手ならばばアートや表現の世界に、言葉や理屈が使うのが得意ならば、学問の世界、ソーシャルワーカー、政治家などにも向いていると思う。

 

 明日は今日より少しでもマシな世界に。

 



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2017
07.19

PRT 〈Pivotal Response Treatmentの理論と実践〉: 発達障がい児のための新しいABA療育

Category: 未分類

ペアレントトレーニングなどのもとになる考え方であるABA(Applied Behavior Analysis:応用行動分析)の新たな流れであるPRT(Pivotal Response Treatment)について詳しく解説した本。プラクティカルでとても面白かったし具体的なヒントも多い本であった。


日本でASD児へのABAの中でも先鋭的なフリーオペラント形式の療育を行ってきた著者たちが、本家筋のほぼ同じコンセプトの実践であるPRTを紹介するために翻訳した本である。指導には優先順位があり、機軸となる領域(ピボタル領域)があるのではないかという膨大な観察と科学的研究に基づく実践報告と具体的な介入方法が記されている。入院病棟やプレイルームで専門職が絵カードなどを用いた訓練は高頻度に行っても残念ながら投入する労力の割に汎化に乏しく効果が薄いことも多い。PRTでは極端な構造化などの環境設定はほとんど行わなず雑多なもののある日常生活にあるものを利用して”楽しく”、親や保育士、教師、時には同級生などと介入方法を統一して関わる。効果測定をして修正する。モデルとなる模倣対象の多い統合教育をなるべく推進する。注目すべきピボタル領域は、モチベーション、ついで積極的自発性だという。


モチベーションを引き出す方法に関しては①自分で選択、②日常生活内の強化子、③試みる行動を強化する、④維持課題と獲得課題の混ぜ合わせ、⑤課題の多様性 のパッケージで。積極性自発性に関しては質問行動への支援をおこなう。

随時、定型発達との比較、迷信と真実に分けて記載されていてわかりやすい。

その他、問題行動への対処や家族関係の改善、親のストレスの軽減、日常生活での介入とアセスメント、データー集収なども別に章を設けて記載されている。特に親との関係や親のストレスに関しては、家族全体を良い状態にすることも非常に大切であり、ASD児への親の関与が極めて有効に働くのは、親なればこそのエネルギーが秘密兵器として作用しているからということ。親へのフィードバック、情報共有のあり方も具体的で、親にストレスがあるときの子どもたちの積極的なお手伝いは、非常に大きな変化をもたらすなどの記載は秀逸で参考になった。


また、あとがきで役者が自説(くすぐりや逆模倣のアイディアなど)や文化背景の違いなどを考慮した突っ込みをいれまくっていたのが面白かった。

やみくもに介入するのではなく常にレバレッジポイントを意識してシステムズアプローチを行うというのは自分の追求していることでもある。ABAにはアイディア勝負な部分、知的パズルのような側面もあり知的にも面白い。異端のセラピスト奥田健次氏のABAもPRTの流れなのだろうが、施設に通所しての療育やリハビリよりも今後は家庭や学校現場などの生活の場へセラピストが訪問しての療育支援が圧倒的に有効だろうし今後主流になってくるのではないか。

明日を今日より少しでもマシな世界に。




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2017
07.19

子育てにかかわる全ての方へ

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医学書院「総合診療」誌 2017年9月号(特集◆うつより多い「不安」の診方)の「乳幼児健診で発達に問題があるかもしれないと言われて、わたしの育児のやり方が間違っているのではないか、とても心配です」の家庭医と若い母親のやり取りに対する誌上メンタリングの原稿(案)です。 オープンダイアログ、ビレッジアプローチなどの考えを入れています。
①ひとりでしない、ひとりにしない
 受ける側にも余裕が必要ですが、まず相談してくれたお母さんの訴えに真摯に耳を傾け、共感しているところから入っているのはいいですね。助けを求め相談しつつ解決していく力が、こころの健康のために一番大切なことです。この力を身につけるためには相談してよかったという体験を重ねてもらうことが大切で、相談を受けた側もまた「出来ることは助ける、出来ないことは相談する」ということが必要です。支援者の姿は親に、親の姿は子どもにも伝わります。
②ソーシャルサポートの有無と親の病的な不安にも注意
 「子育て、大丈夫かな?」と心配されても、子育てはまだまだ母親任せで、情報的、心理的、実際的なサポートの体制は地域によってまちまちです。継続的に関わり、親子へのサポートの状況を確認して手助けを増やし、余裕と安心感がもてれば不安は軽減していくはずです。それでも不安が強まるようなら病的な不安だったり、他の問題をかかえていたりすることもありますので精神科医もチームに加えてみてください。
③育てにくさに寄り添う子育て支援を
 子どもの育ちは十人十色で多様なもので、本来、多数派か少数派かの違いはあっても正常、異常の区別はありません。ただ感覚過敏などのために情報が多すぎて混乱しやすい子、行動制御に困難を抱えている子、育つペースがゆっくりの子もいます。できるだけ叱らないで、おだやかに言って聞かせる、忍耐強い子育てが大切です。周囲が通常の子育ての方法やペース、環境にこだわると、子どもは苦痛や不安をかかえ、混乱した状態のまま放置されることになります。一般の子育てでも使える構造化やペアトレの方法をアドバイスし、必要なら詳しいアセスメントや支援を得られるよう専門家の助けを求めてみてください。
④社会みんなで育てる
 社会の中で他者の助けをかりつつ生きる力をつけるのを目指すのはどの子であっても同じです。発達の特性は成人になっても残り、福祉的支援が必要になることもありますが、個性や能力として社会の中で上手く活かせることもありますし、困難さに関しても合理的配慮が得られる社会に変わってきています。目先の症状にこだわるよりも二次的な問題を予防することの方が大切です。親がその子をありのままにみて、その子なりの発達をとげられるように、いろんな力を借りながら出来ることで応援していただければと思います。
明日を今日より少しでもマシな世界に。

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2017
07.11

道徳教育は対話をベースに

Category: 未分類
生命倫理学のレポートを出せと言うので以前のまとめをやや改変。学校教育現場ではいまだに効果が薄いとされるベル・ランカスター方式の一斉授業が多く、政治的な議論を避けているのは単に時の権力者に都合がいいからだよねと思わざるをえない。不道徳ら連中が推進する道徳教育(安倍首相の写真が何度も出てくる教科書を使って!)なんて笑い話にもならない。

「適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。一方、倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。倫理に明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしかない。

 知識の伝授では無知に起因するエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?研究不正を予防するための倫理の教育もまた試行錯誤のようであるが、e-ラーニングとディスカッションを組み合わせた授業などは、ベースとなる知識とともにさまざまな視点も得られ、対話の練習にもなるなど効果的だと思った。我が国でも義務教育の学校教育の時期から一方的な道徳の授業を導入するよりも、このような対話をベースとしたアクティブラーニングを推進すべきだろう。

 自分が強すぎて社会常識に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくかったりする脳のつくりの人は一定数どうしても存在する。特に研究者を志向する人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、反面、コミュニケーションは苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうこともありうる。ルールやガイドラインの明確化や、告発窓口やチェック機構を整備するなどシステムとしての解決も推進すべきだろうが、その上で大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、継続的な対話をあたりまえにすることだろう。

 オープン、フラット、シェアがベースのコミュニティをベースに市民とも対話を繰り返す。さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティの中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができるのだと思う。
 そしてそれは科学の世界のみならず、一般社会においても差別の解消、民主主義、世界の平和にもつながる人類普遍の根本的な考え方だと思う。」

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.11

歪められた行政。加計問題。一次が万事だと思うよ。

Category: 未分類
政治を私物化したあげく嘘やゴマカシで開き直る、いまの政治、行政のあり方が、ちょっとひどすぎるので一言。
結局は国民一人ひとりが賢くなって政治から目をそらさず、それぞれの方法で政治参加しつづけるしかないだろうけどね。

森友、加計問題では国会中には追求から逃げまくっていた与党。
アリバイ的に「行政が歪められた」か否かを問う、閉会中審査が開催された。
安倍首相や加計孝太郎氏をはじめとした関係者がいないんだからそりゃ新しい事実はでてこないだろう。

不透明なところでコソコソやって一部の人達が政治を私物化したというプロセスを問題にしているところに、それを告発した前川氏への個人攻撃に終止する与党議員。
そこしか責めるところがないのだろうけど話のすり替えに必死で滑稽でした。
安倍首相も逃げている中、自民党の鉄砲玉として矢面に立たされた、平井卓也(元自民党ネットサポーターズクラブ代表)議員も、青山繁幸議員、お疲れ様でした。
もう次はないだろうね。

そして参考人としてでてきた加戸守行前愛媛県知事もまたおかしかった。

そもそも「政治が歪められたプロセス」を議論している本筋とは関係ない、四国の産業獣医師不足の悲願と、長年認可をもとめてきたという苦労話を延々としていたけど(そりゃ報道されないのも当たり前だ)、良く聞くとおかしいところばっかり。

あえてその話にのっかるとしても、四国に本当に公務員獣医師、産業獣医師が足りないなら、今わざわざ今治に加計学園の大規模な単科の獣医大学を新設しなくてもより低コストかつ効果的な方策はいくらでもあるだろう。

 まず、奨学金制度や処遇を充実させたりすればいいだろうし、獣医学部の入学定員ではなく、国家資格である獣医師免許の資格のあり方を議論してもいい。
 どうしても四国にも研究、教育機関としての獣医学部が必要というのなら実績もある愛媛大や香川大の農学部などをベースに増設するほうがよほど自然。国策として公務員の産業獣医師がもっと必要というなら、産業獣医大なり、自治獣医大なりをつくるほうが、数も読めるし質も量もコントロールできる。

 加戸さん、途中で話がかわっちゃってたけど世界と勝負できるライフサイエンスを充実させたいというのなら、理学部、農学部、医学部等の他のライフサイエンス系の学部も含めた研究教育費の配分の話しになるだろう。そこで何故、これまでの実績も経験もなく、実力も未知数、というかライフサイエンスっていうのなら今回、同じく獣医学部を新設したいといっていた京産大の案にくらべても圧倒的に期待出来なさそうな加計学園なのか。
それでもどうしてもつくりたければすべて私財を投じてつくってくださいという話です。

 そもそも国公立に比べて学費もかかる私立の大学で募集の時点での地域縛り、産業獣医師、研究職縛りをかけていない時点で、期待したような目的が達成できるともおもえない。国家試験の時点で苦労するだろうし、獣医師資格を得てもペット獣医になる人が多いのではないだろうか・・。

あ、授業の質とか学生の将来とかなんてどうでもよくって、ただたくさん学生さえがあつまればそれでいいのか・・。ビジネスだもんね。

 彼らが獣医学部にこだわるのは、今から地方に新たに大学をつくるとしても、作りやすいグローバル国際環境情報政策福祉学部とかだったら、全入時代の今、よほどの特色がないともはや学生が集まらないからだろう。そりゃよほどじゃないと地方の学生は都会行きたいでしょ。都会の学生もよほどじゃないと地方にはこないよ。
一方で今でも人が集まりやすい医療系だったら教育も許認可も大変そうだけど、獣医学部なら学生も集まりそう、簡単に作れそう、くらいの理由しか無いようにおもえる。

 しまなみバブルでうっかり開発してしまった「塩漬け状態」の土地の精算処分と、地方&国政の政治家とそのお友達の学校屋、土建屋連中に都合がいいだけのスキームを描いていたわけで、この人達は日本国民、今治市民、獣医師、そこで学ぶ学生の人生のことなんてこれっぽっちも考えていないように思えます。

こういった議論をあかるいところでやらないから、加計ありきっていわれるんだよ。

学生はあつまらないだろうなぁ、つくり始めた建物どうするんだろうね・・。
借金だけのこって今治市は夕張市、銚子市のようになるんだろうな・・。そしてそれは日本全体の未来でもある。きっと基地でも、原発でも、中央リニアでも、オリンピックでも似たような構造なんだろう・・。

市民は預けた税金の使いみち、みんなのルールの作成、運用に対してもっと厳しい目を向けならなきゃダメ。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.08

ユニバーサルデザインと合理的配慮

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バニラエアの件、乙武さんのイタリアン襲撃事件がデジャヴですね。(私の過去記事
乙武さんも今回の件に関して意見を述べられているようですが。

少数派ゆえに苦労することは不条理に感じることは多いだろうが、障害を持つ子どもたちには援助希求と、どういうことで困っているか、できればどういう助けが必要かを主張できるようにと関わっている身とすると(あとは社会の側の課題)、どういう配慮が必要か、航空会社としてどういうことが出来るか落ち着いた明るい場で対話はできなかったのかなとは思う。
過去の青い芝の会のバス闘争の頃とは違い、いまは障害者差別解消法もできたのだから、窓口や世論、裁判に訴えることもできたはず。

今回の件に関しては本人はあえて航空会社側が求めていた5日前に予約で相談してないわけです。(対話に応じていないとも言える)。意図的であるようだから乙武氏のイタリアンのときと同じサプライズ(奇襲)であす。
その段階で車椅子を理由にお断りされたらそれを社会で問題にすべきだと思うが(差別解消法ができた今となっては裁判となれば負けないだろう)航空会社側にも安全のための緊急時の90秒脱出ルールとかいろいろあるようだし、他の車椅子の方との座席の兼ね合いなど準備も必要だろう。

現場では規則もあるわけだし、準備する余裕もなく対応せざるをえなかった航空会社側も怪我をした場合の責任問題とかいろいろ考えたのだと思う。まあ、その規則が合理的かどうかはともかく現場で決められないなら可能な限り上の判断を仰ぐくらいはしてもよかったかと思うが。

これが例えば人工呼吸器ならどうか、小錦ならどうか、風呂に入らないことがこだわりの精神障害者ならどうかなどと考えるとモヤモヤしてしまうわけです。

もちろんどんな障害がある人でも、いきなり求めて相応の配慮を得られれば理想ですがあらゆる障害に関してあらゆる備えをしておくのは現実問題として合理的ではないと思う。あらゆる場を100%のユニバーサルとするにはコストが無限に必要ですから不可能です。公共空間でのユニバーサルデザインでできるところはやりつくして、どうしても残った部分が個別の合理的配慮ということになるのだと思います。

そして合理的配慮(障害のある方から何らかの配慮を求められた場合、負担になり過ぎない範囲で配慮をする義務がある)とは対話だから。その場その場で判断は代わり、その妥当性については判例を積み重ねるしか無いというのが法律家の見解です。

木島氏は経験豊富でバリアフリーに関するコンサルタントや講演もされてきた方のようですし、相手は新興のLCCなのだから教えてあげて、それで応えてもらえなければはじめて問題にすればよいことだったのではないかと・・。

それでいろいろ批判もでているわけですが、炎上狙いだとしたら成功したんでしょうね。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.08

倫理とは何か?いかに身につけるのか?

Category: 未分類
社会人大学院で「研究における倫理」の授業だった。学生として1日通しての授業は懐かしい感じ。

あらかじめCITIJapanのe-ラーニングを受けた上での、グループディスカッション。
現時点における基礎的な理解の共通基盤、テクニカルターム、キーワードについての理解がズレているとディスカッションにならないので、こういう教授法はとても良いと思った。

なるほどと思ったのは適法性と倫理性の違い。

適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。

そこに明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしか無い。

また科学的分野の研究活動自体、善意(嘘をつかない、不正はしない)ということに基づいているためはっきりいって不正を防止する方法はない。
研究結果はオープンなコミュニティの中でのピアレビューや追試などによる再現性などで評価検証されるが、事後措置としての不正行為に関しての監視はやりきれず、不正行為が増えると防止策や監視のためのコストもかかってしまい科学に対する信頼性も揺らぐ事態になる。

こういった事態の予防のための教育を研究者の卵のうちからしようという話になり、このような授業もあるわけだが、これもまた試行錯誤のようである。無知のための故意でないエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?

グループワークでは小保方氏らのSTAP細胞の事件を彷彿させる、「ばれなきゃOK」という小さな研究不正(捏造、改ざん、盗窃など)が積み重なり、データの捏造という不正が発覚し大事になり、研究者が自殺に至るようなシナリオについて話し合ったりした。

どうして、このようなことがおこるのか?

研究者になる人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、コミュニケーションが苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうのだろう。

どのような対策ができるのだろうか?そして過ちに気づいた時に度のタイミングでどのようにリカバリーできるのか?


一定数、平均的な見方に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくい脳のつくりの人はどうしても存在する。特に研究者を志向する人にはこういう人も多いかもしれない。告発窓口やチェック機構など、システムとしての解決も図られるべきだが、結局、ここでも大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、対話なのだろうということ。

さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティ(ひろくは一般市民を含めた社会全体)の中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができる。

やっぱりここでも「ひとりにしない、ひとりでしない」ことだろう。

ふと、考えたのはこの国の政治体制である。

言葉が乱れ、嘘や不正がまかり通り、対話が成り立たない権力者が、情報を秘匿し、過ちを指摘されても「指摘はまったく当たらない。問題ない。どうだっていいじゃん、そんなこと」と開き直って居座っているこの国の政治のあり方には不安をいだかざるをえない。

選挙を通じて国民の代表として厳正に選ばれた人たちのはずだが、何故か最低限の言葉や倫理性も通じない人たちが権力の中枢に居座って政治を私物化している状況が悪化している。これは国民にとっても政治家にとっても不幸なことであろう。

その結果、倫理性どころか適法性のレベル(憲法尊守など)で疑惑が次から次へとあふれでており情報統制や強権をもってしてももはや糊塗しきれなくなくなってきている。

知名度を売って勢いに乗った政党の公認を受けて当選し、党議拘束に従って投票する簡単なお仕事になりさがってしまっている政治家には、現時点での近代国家の民主主義の到達点の最低限の土台や言葉を学ぶe-ラーニング(特に人権、憲法に関してなど)で学んでもらうことも必要かもしれない。

そして国民全体が賢くなり、社会における対話の総量を増やし、発言、行動していくことが必要なのだろう。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.04

ひとりでしない、ひとりにしない

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自閉症で行動障害がでて手がつけられなくなった方のパターンとして、特別支援学校などで熱心だがスキルに欠ける先生が、素と素で関わりすぎ本人の要求に応えすぎて属人的な対応になり、先生の移動や本人の卒業などでその関わりができなくなった時に本人が混乱してというパターンが多い気がする。

ひどい場合はその先生がお休みのときは対応できる人がいないので休んでくださいといわれたとか・・。大変なケースほど、ひとりでしない、ひとりにしないで、関わり方を統一しつつ多くの人がかかわり手がかりを人からシステムに移して構造化をすすめていくのがセオリーであろう。

 もっともこれは支配性の裏返しと言うか、親や支援者にもあるパターンではある。他に支援がないというのもあるだろうが、何事も一人で頑張っちゃったらいけない。佐久の若月俊一先生や、夕張の村上智彦先生もよくおっしゃっていた事ですが、 地域医療におけるスーパードクターも同じ事。

「ひとりでしない、ひとりにしない」「できることは助ける、できないことは相談する」
これをみんなが自然にこれができる社会ならどれだけ生きやすい社会になることだろう。

明日を今日よりも少しでもマシな社会に。


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2017
06.18

安倍チルドレンの中に”りりぽん”はいないのか?

Category: 未分類

学級会以下の崩壊状態の国会が終了し「共謀罪」が成立した諦めと無気力が蔓延する日本という国ですが、国民の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?


政治に関心を持たせないための国策の「パンと見世物」の一環ともとれる、心底どうでもいい第7回AKB選抜総選挙の発表イベントが開催されました。

沖縄のビーチでの開催も悪天候のために観客なしでの開催だったそうですが・・。


そこで”りりぽん(20)”なるNMBメンバーのアイドルが、「恋愛禁止、うんこもしない」とファンを信じさせるのが掟であったはずのプロアイドルとしては掟破りの電撃結婚発表(超個人的な空気を読まない言動)をしたということが話題になっています。 
そして得票は20位ながら、”さしこ”のトップ、”まゆゆ”の卒業などをすっ飛ばしてすべて話題をかっさらっていったそうです。

「風穴をあけるっす」「面白い未来はりりぽんに任せてくださいっ!!」などと言っていたそうだから、確信犯でのブルーオーシャン戦略なのでしょうか?

まさに目的は達成されたわけであります。

それともそうでもしなければ抜けられないなどの深い事情があったのでしょうか?


いやむしろAKB商法も賞味期限切れの感じもあり、スキャンダルも含めての商品だから、すべて秋元康(&電通&自民党)あたりもかんだ上での仕込みの炎上商法の可能性も捨てきれない。むしろそっちの可能性の方が高いかもしれません。
ファンの悲鳴や先輩方の反応やコメントも話題になっていますし。

だとすると狙い通りなのかもしれません?


ところで、この話題を聞いて個人的に感じたことです。

それは国民からも自民党執行部からもバカにされている職業として政治家を選んだ安倍チルドレンたちのことです。


どう考えても政治家としての資質にもとる元バレー選手や、アイドルユニットスピードのメンバー、料理研究家などが「知名度を元に当選し、党議拘束に従って投票するだけの簡単なお仕事」につられ選挙にでて当選して議員になりました。


しかし今の安倍政権のモラルにもコンプライアンスにも欠ける言動をみて、国民の声を聞いて一人くらい電撃記者会見を開いて政権のあり方に疑問を投げかけ、共謀罪に反対票を投じる与党の議員はいないものかと、こう考えるわけであります・・。


党執行部は過去の経歴からの知名度はあっても、ポリシーはない、執行部に逆らわない、考えもしない、そんな力も無い人、国民ではなく党の方しか見ない人だけを第一に厳選して公認しているのでしょうが・・。

しかしおっちょこちょいで目立ちたがり屋でどうせポリシーなど無いのならば、今こそ人生最大の最大の見せ場だったかもしれないのです・・。

党執行部に反対する自体は違法でもないし、まさか生命まではとられまいでしょう。

今、このタイミングなら国民の多くも全力応援します。


いや、もはやそうでもないのか?

すでに弱みも握られていて見せしめで御用メディアを総動員した人物破壊や、なんだかんだの罪状で無理やり逮捕されたり、裏社会にも手をまわされ家族を人質にとられている奴隷たちなのでしょうか?

((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル)。


私が発達障害の人に期待し希望をもっているのはこういう部分であります。

集団の論理に取り込まれず、普段は集団に排除、迫害されながらも、そのマイペースさ、KYさゆえに集団の危機を救うこともあるかもしれないのです。


明日を今日よりも少しでもマシな社会に。




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2017
05.16

信州の発達障害支援を考えるシンポジウム

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平成28年5月13日、信州大学子どものこころ診療部セミナー(シンポジウム)が開催されました。


シンポジスト
   新保 文彦 氏(長野県松本圏域発達障がいサポマネ)
   藤村 出 氏(NPO法人SUN理事長)
   高橋 知音 氏(信州大学教育学部教授)
コーディネーター
   本田 秀夫(信大病院子どものこころ診療部部長)


セミナー2017 


自分なりのまとめをシェアします。

会場外で聞き取りにくい無線で聞いていたので、自分フィルターを通して、最近読んだ本や当事者や会場での対話などを含め、考えたことを補足して自分の言葉でまとめた理解です。シンポジストの発言と細かい内容は違っていると思います。

支援の必要性に幼少期より気づかれ心配されていても連携がうまくつながらず支援が途切れてしまうことが多い。もったいない。特に思春期〜青年期前後で医療も教育も福祉的支援も空白地帯となる。大学、社会に出る段で失敗体験から二次障害に。ライフステージを見据えて関わることが大切。

気付かず型、がまん型の潜在ニーズを放置し二次障害をきたす事例にしないための啓発活動と、障害の有無をとわない出生時(出生前)からの広く一般を対象としたインクルーシブでユニバーサルな支援が必要。正しい理解と効果的な支援技術を広く一般に知ってもらう。親支援と親の仲間づくりも。

そもそもみんな違うことがスタート。ダイバーシティを前程とする。それぞれにあった育ち方、育て方がある。みんなと同じを捨てる。その上で社会に認められる生き方。協調性、同調圧力よりも社交、公共性。それぞれ得意なこと、苦手なことは認めあい、助け合う。それを認める社会に。

ASDやADHDへの理解は広まってきたが学習障害は見過ごされている。学習困難があるのは成績不良で分かる。学習効果があがらないのは教師の責任。合理的配慮(教育的配慮)は医療の診断を得なくてもどんどんすればよい。視覚支援、聴覚支援、テクノエイドなどはどんどん使っていけばいい。ただ入試などの試験での配慮には現状では医療的な診断が必要。

ASDでは趣味や余暇活動や仲間づくりにも支援が必要。学業や就労支援よりむしろこちらが先。行動援護やネスティングの場が鍵。好きなこと、興味のあることを通じて他者と活動することが自己肯定感を高め、社交スキルを養い、力をためる場になる。部活動などの課外活動を学校教育と切り離した場でできないか?

支援もスペクトラムで。バラバラの医療、教育、福祉の壁を超えるコーディネーターやサポマネのうごきが鍵。ケア会議が大切。ライフステージを見据え、ミクロ、マクロ、メゾの視点、バイオメディカル〜サイコソーシャルの視点をもち、病や障害をもちながらの人生計画の設計士たる医師ももっともっと現場にでていけるような診療上の体制になればいいなぁ・・。


セミナー20172 

いとぐるまの会で作成した啓発パネルも展示


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2017
05.16

子どものための精神医学

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「子どものための精神医学(滝川一廣著)」読了。

この本、めちゃくちゃいいっす。中井久夫先生のお弟子さんだけあって中井久夫の本を読んでいるときに感じるような重厚感と丁寧さ、教養の深さが感じられる本です。
発達をピアジェ的軸(認識の発達)とフロイト的軸(関係性の発達)の二軸から読み解く発達の話が中心ですが、医学生物学的なこと、家族や社会の変化などなことについても丁寧に述べられています。
いわゆるハウツー本のようにスラスラよめる感じではありませんが、骨太で自分が常々考えていたことに言葉やシェマをあたえてくれます。また事例や周辺の知識、具体的、実践的な考え方や姿勢もたくさん述べられており基本的な考えが理屈から整理できました。
子どもの発達にかかわるすべての人にオススメです。


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2017
02.18

人生はアウト・オブ・コントロール

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<「統合失調症のひろば」の原稿(案)。意見求む。 >

  働くってなんだろう。働かざるもの喰うべからず、働かなきゃダメみたいな社会を支配する価値観がボクらを日々追い詰める。働くことは苦しいこと、お給料をもらっているのだから我慢しなきゃだめ?好きなことをやっていちゃダメ?お金をたくさんもらえるほうがエライ?誰のために?何のために働くの?いろいろ考えはつきない。英語でも「働く」という言葉にはレイバー,ジョブ,ワーク, コーリングなどといろいろあるらしい。レイバーは強制労働、コーリングは神様に呼ばれたというニュアンスで、もがきながらもできれば生きている間に少しでも天職に近づきたいと思う。 

  さまざまなものの多様性が減少している時代、職の多様性も急激に減少している。機械化やグローバル化で、農林水産業などの第一次産業、ついで製造業などの第二次産業に従事する人がへり、海外に出ていってしまった。そして今や第三次産業だけで70%を占める。コミュニカティブでない人には辛い時代である。家族、親族や地域の人でやっているような身の丈にあった自営や小規模の会社が減った。そして地方都市はどこの町も同じようなイオンモールの間にセブンイレブンが点在する似た顔つきの町になりつつある。ネットを開けばアマゾンやグーグルはまるでボクの考えや趣味を知っているかのように次々と物欲を刺激して恐ろしくなる。そのバックヤードや配送に従事する人の顔は見えない。一見キレイな世界の裏側は簡単には見えないように隠されている。 頑張って勉強して借金までして大学に行ってよさそうな職場に就職しても、うかうかしていると生活の場から切り離され奴隷のような長時間労働を強いられかねない。株主利益を最大化することが目的にされれば、遠い未来のことなんか考えることもなく、まっとうな働き方なんてすぐにどこかに飛んでいってしまい非道な働かせ方がまかり通るようになる。国民はアンダーコントロールで、ブラック企業で人間の限界に挑戦するオリンピック?まるでブラックジョークだ。本当にこの道しかないのだろうか? 

  産業革命以後、機械を動かせるようになり、ICTも発展し人工知能がさまざまな人の仕事を代替してくれるようになった現在どうして少ない仕事のポストをあらそって、死ぬほど働かなければならないのか?何かがおかしい。仲間や家族と日々の生活を楽しんだり、じっくりと人を育てたり、いつどのように役に立つかわからないけど自分の興味のまま研究活動や、今の時代のだれにも理解されないかもしれないけど芸術活動などに思う存分皆いそしめる時代になったはずなのに。最後のサンクチュアリであった大学というところすら今やコミュニケーション力や即物的な成果をもとめられる。 

  私が勤務していた北アルプス医療センターあづみ病院のディケアでも就労支援プログラムというのがあり、「就労に向けて必要な病状の管理」みたいなテーマでのレクチャーを担当していたことがある。就労準備性を高めましょうという目的で、「コミュニケーション」、「働くこころがまえ」、「生活リズムを整えようとか」、「自分の調子に気付こう」とか、「だれに相談するか決めておこう」、みたいな内容でのレクチャーとディスカッションが中心のまあよくある内容だ。しかしこのような座学中心のステップアップ方式の就労支援ではなかなか上手く行かない印象であった。これは会社に就職するための職業訓練という発想だからだろうか?なにしろ参加者の状態や程度は様々だし、いろいろ出来ることはあってもハードルが高すぎて働ける場がないのだ。一方で就労支援をうたっている事業所も障害者を支援の対象者に追いやりあえて自立させずに、囲い込み、ビジネスとしてとらえているようななんだかなぁというところもある。地域密着でやっているとそういうところはなんとなく分かるが他に選択肢がなかったりする。 

  障害者就労支援業界では最近はIPS(Individual Placement and Support)モデルという方式が注目されている。まず本人の少しでも働いてみたい、こんなことをやってみたいという気持ちを大事にする。それをとにかく始めてみる。そのために必要なサポートがあとを追いかけていく。この子ども版の実践が「ぷれジョブ」活動で、若者版の実践が「静岡方式」とよばれているものに相当するのだろう。この方が天職に近づけそうな気がする。 そのためにはその人のことを理解した上で面倒をみてくれる人と連絡がとれるくらいの地域に広がるネットワークが大事である。どの街にも理解者やこのようなおせっかいな人がいる。見のいい人が町の何でも屋をつくり、障害支援の制度を利用して事業にしているところもふえてきた。見知った人間関係の中で、支援付きで試行錯誤する。試してみるだけで大成功。難しければ引き下がってもいいというような場だ。こういった場の開拓やつなぎを自分で直接やることもあるし、頼りにしている支援者にお願いすることもある。ピアの場で、他の当事者を元気にする役目をお願いすることもある。当事者からも支援者からも相談をうけ仲介するよろず相談所だ。別に医者がやらなくてもいいのかもしれないけど、ボクの大好きな青木省三先生も自分のやっていることは就労斡旋業だといっておられたから、まあダメではないのだろう。最近の言葉を借りれば社会的処方の一つだろう。 

 だいたい統合失調症の人はまじめな人が多い。過敏で空気を読みすぎるが、厳しい眼差しの中ではヘトヘトになってしまう。やっぱり働きたいと思っているが、自己理解をすすめ自分なりのペースを見つけて対処が上手になるまでには苦労を繰り返しがちだ。最低限のスキルを獲得したら、あとはあたたかいまなざしの中で、仲間を得て、役割をもつことができれば病状も安定することもよく経験する。ただ季節や天気も含め様々な要因で調子を崩しやすいし、無理はできない。このあたりが理解されにくく、精神障害者はわからないということになってしまう。通訳やコーチが必要だ。 あづみ病院では就労支援室というのをつくり、病院の食器洗浄、ついでユニフォームのクリーニング場を支援付きで働く場として提供している。さまざまな精神障害のことをよくわかっているスタッフも一緒に入り、いろいろ試してみることが出来る。これも病院の機能のひとつとしてすっかり定着した。ここを足場に仲間を得て、自信を、ついで人生を取り戻し社会参加の足がかりにしていく方も増えている。人が成長したり回復したりする現場に関わるのはこっちも元気になり成長することができる。その人にあった働き方をすることができ幸せ、支援をする人も仕事を得て幸せ。これぞ広い意味でのワークシェアリングだと思う。

 そもそも人生はアウト・オブ・コントロール。想定外の事態ばかりだ。ひとりでは生きられないのも芸のうち。自分や家族に何らかの障害がある人は、ただ生きているだけで存在役割を果たし、世界の多様性を担保しているという重要な仕事を担っている。自閉的な人は自閉的に、多動的なひとは多動的に、それぞれの表現方法をもって何らかの形でその体験を表現するだけでも十分立派である。さらに余力があり、猛烈なニーズがあれば、それで出来る事業、同じようなニーズのある人を助ける事業をそれぞれの身の丈にあわせて起業したりして行動役割を見つければいい。そんな人たちを日々、自分のできることでお手伝いする毎日が楽しい。

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2017
02.07

多様な親、多様な育ちを支えるために出来ること

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長野県の子ども白書2017に執筆予定の原稿(案)です。ご意見よろしくおねがいします。

【育ちの臨床に関わるようになったわけ】

 昔から私はどうも世間離れしすぎていて生活者としての実感がもてないというコンプレックスがありました。しっかりと地域に根を張って生活している人たちに接したくて、農山村部での地域医療を、そしてリハビリテーション医療(障害の医療)をこころざしました。思うところがあって精神科に軸足を移し、有床総合病院の精神科という第一線の現場で、外来、訪問、病棟と昼夜休日を問わず働いてきました。あらゆる精神疾患と様々な人生が交差する場で地域医療の最後の砦であるという誇りをもった多職種チームで困難なケースに取り組むのは大変だけど、楽しい日々でした。そのうちに思春期や発達障害のケースを多く診るようになり、子どもを授かったのを機に子どものこころや育ちの支援について大学でも学ばせてもらっています。

【ボクらの産後クライシス】

 うちは夫婦とも医師の共働きですが子どもがなかなか授からず不妊治療をおこなってきました。治療中の負担も大きかったですが、先の見えない治療中、子どもがいる人といない人の分断を感じ、親戚や同僚、友人の子どもの話を聞くのも辛いと感じたこともありました。子どもを授かったことは喜びではありましたが、それまでと全く違う生活に突然放り込まれることになりました。小さな子どもは誰かが常に側でケアしなければならない存在で、周囲の大人に生活を変えることを要求します。これまでも家族のケアをしている人に関わることも多かったのですが、本当のところ育児や介護などケア責任を負う生活をイメージできてはいませんでした。どちらの実家も遠方で、寝不足で体力も削られ、仕事もまわらず家は修羅場となりました。遅ればせながら仕事の軽減を職場に求めるも上手くいかず、いったん退職することを決めました。そのころ同じような問題意識をもつ佐久医療センターの仲間が、アイナロハの渡邊大地さんを呼んで父親学級を開催しました。それに夫婦で参加しましたが、産後は夫婦のスレ違いが大きくなり危機となりやすい時期であり、産後の大変さ、夫婦の考え方、感じ方の違いを知り、対話を促すような機会は必須だと痛感しました。

 共働きであったため双方が仕事をセーブして家事と育児をシェアすることにし、妻の職場への本復帰にあたり、退職前にほぼ使ったことのなかった有給を使いきり慣らし保育の送迎をしました。思春期や発達障害中心の外来のみを継続して、大学で比較的自由のきく立場で勉強させてもらうことにしました。

【子どもや親にも厳しい社会】

その頃から不思議な事に診ていた患者さんたちが次々と子どもを授かり始めました。精神疾患をもちながらも結婚し、お薬も調整して何度かの妊娠で子どもを授かった女性がいました。能力はそれなりに高いものの疲れやすく無理はできず、不眠や対人関係のストレスで調子を崩しやすい方でした。本人は自分の病状もよく理解しており、周囲の支援者に頼るスタンスもありました。しかし例にもれず夫は長時間労働で、親も高齢で要介護状態といった状況で、本人と夫、支援者でも何度も話し合い、ヘルパーや訪問看護の導入など出産前から準備を重ねました。しかし周囲が「母親」に求めることはただでさえ多く、特にサポートの必要な産後でもフォーマルな支援は乏しい状態です。父親が育休を取ることができればまた違ったのかもしれませんが、結局、自宅での子育ては無理と判断され子どもは乳児院に保護されました。母も精神不調となり入院も必要となり、紆余曲折の末、面会と外泊を繰り返し、保育園を利用できるタイミングで子どもも家へもどることになりました。なんとか皆でささえていければと思っています。
 出産時期が遅くなると親世代も高齢となり介護を要する状態となる可能性も増えてきす。ただでさえ大変な子育てですから、ダブルケアや親や子どもに何らかの障害があるなどのケースはなおさら大変です。長時間の労働の必要なく生活ができ、男性もあたりまえに育休がとれる文化、出産直後に家族が育児に慣れていける施設やサポート体制、誰もが子育てや教育にお金の心配をしなくてもいい社会制度、そしてフィンランドのネウボラのように切れ目なく全ての子どもと家族に寄り添うフォーマルな支援と地域に様々なインフォーマルな支援がたくさん必要です。

【それぞれの育ちを見守りささえる】

 子どもは親とは違う人間であり、親の思うようには育たないものです。それぞれのペースやこだわりがあり、興味や能力を育んでいきます。大人は子どもが本来持っているものを最大限に発揮するための環境を用意すること以外大したことはできません。子どもにとって楽しく、安心でき、やっていることの意味がわかり、あなたは大切な人で生きている価値があるというメッセージがあふれる環境を整え、共に学び、楽しめばいいのだと思います。

 不登校も問題になっていますが、平均的な人向けに仮に用意された教育メニューがどうしても合わない子どももいます。「特別」と「普通」という2匹の魔物にとらわれると、苦しむことになります。同調圧力の強いこの国の学校では個性的な子は、いじめをうけたり、過剰適応して“がまんエネルギー”を使い果たしたりして学校にいけなくなります。障害特性に応じた合理的配慮も必須となり、特別支援教育も以前よりは整備されてきましたが日本で対象となるのは3%弱、これがアメリカだと10%、フィンランドでは30%だそうです。日本の教育の文化が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 思春期には将来の自立に向けた試行錯誤が必要となり、一律の教育よりもだれもが支援をうけながらさまざまな体験を積めるような環境が重要です。自分の権利を守ることができ、他者の権利を侵害しさえしなければ、あとは得手に帆を揚げてナリワイを見つけて生きればよいのです。今ある仕事や組織が将来に渡って安泰とはとても言えません。案外、今後はスローで丁寧な暮らしが見直されるのではないかとも思います。

【医療に出来ること、出来ないこと】

 社会には多様な家族があり、多様な育ちがあります。本人の少数派の特性ゆえに居場所が見つけられず排除され苦労することもある一方、社会的弱者を包摂し救うのもまた文化と社会の多様性です。しかし様々な障害をもって生活することを他者が想像するのは難しいことです。それぞれの体験に耳をすまし、対話をつづける中で、仲間づくりをしたり、だれもが声をあげていける場をつくったりすることが必要でしょう。診察室にはさまざまな悩みをかかえた親子が訪れます。医療に出来ることはあまりないのですが、時にはお薬も使いますし、医学、心理、社会的知見を活かして皆が動きやすいように診立てて、家族や周囲の人との対話がつながるように支援します。心理的、情報的サポートだけでなく、実際的なサポートも圧倒的に足りません。よろず相談かつ自分のすべてを総動員しますが、自分が出来ることは助け、できないことは皆に相談して一緒に悩みます。専門家としてだけではなくときには枠を超えて隣人や友人として付き合わざるを得ないこともあります。

【子どもたちの未来のために】

 子どもの貧困や教育への投資を通じた社会的格差の是正の必要性を強く感じています。お金では幸福を買うことはできないかもしれませんが、不幸は減らすことが出来ます。みんなから集めたお金の使い道や、皆が気持ちよく生きていけるための社会のルールとは自分たちで考えよく話して決めたいものです。まずは生活から切り離された姿の見えない巨大なブラックボックスのシステムに自分たちの生活を委ねるのはやめ、身近な顔の見える関係から対話を重ねることからでしょうか。
 オープン、フラット、シェアが現代のキーワードだそうです。共感する仲間を増やし、様々な社会的課題に挑み、地域に必要な様々な社会共通資本(ソーシャル・キャピタル)を守り、作り、育て、真の意味で豊かな社会をつくっていきたいものです。

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2017
02.05

精神科は患者の医師への依存性が高い?

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いやはや、なんとも・・という事件。


薬物容疑の医師再雇用 「代わりいない」苦渋の選択 北九州の療育センター 警視庁が書類送検


北九州市と同市福祉事業団は2日、市立総合療育センターの30代男性精神科医が、東京都内で危険ドラッグを所持したとして医薬品医療機器法違反の疑いで、警視庁から東京地検に書類送検されたと発表した。医師は1月30日に依願退職したが、センターを運営する同事業団は「代わりの医師がいない」として同31日付で臨時職員に再雇用。3月末まで診察を続ける。

 同事業団によると、医師は昨年12月10日、東京都内で警察官の職務質問を受けた際、危険ドラッグの「ラッシュ」を所持していたことが発覚。1月18日付で書類送検された。尿検査は陰性で同事業団に「知人にもらった。自分で使うつもりだった」と話したという。

 医師は2015年4月から勤務し、発達障害やうつ病の中学、高校生の外来患者など約450人を担当。センターの精神科医は1人だけで、思春期以降の子どもを診る精神科医は全国的にも不足しており、同事業団は臨時雇用の間に代わりの医師や患者の引き継ぎ先を探す。罰金刑以上が確定すれば厚生労働省の「医道審議会」で医師免許停止など行政処分の対象になるが、現時点で診察に問題はないという。

 同事業団は「精神科は医師への依存性が高く、急にいなくなれば、患者が自殺や自傷行為を起こす可能性もある。苦渋の選択だ」と説明。発達障害の子どもがいる福岡市の女性(52)は「医師として正しい判断ができるのか疑問。診てもらいたくないと思う親も多いのでは」と話した。

=2017/02/03付 西日本新聞朝刊=



確かに思春期以降の子どもをちゃんと診ることのできる精神科医は不足しているが・・。 
かつて指導医から「自分に依存させ、自分がいなくなったら自殺するような患者をつくってはいけない。それは下手な治療もいいところ」と教わった。

 これは組織としても個人としてもマズイ治療。
医師一人に依存させ続ける状態を作ってしまってはダメでしょう。
もしもそういう患者がいたとしてもせいぜいクライシス状態の数人のはず。 

多問題で大変なケースほど多職種、多職域で抱え、医師は治療チームの一部としてだんだん引き下がっていくのが理想です。 

容疑の段階ではあるが、本人への治療が必要な状態なのか?どうして危険ドラッグの保持していたのか?好奇心からか新奇追求性からか、危険ドラッグにハマる患者の体験を知りたかったのか?
職務質問を受けたということはみるからに怪しい言動だったのか・・・。

 年度末まで勤務するということは、ひたすら引き継ぎのための申し送りと、患者への説明だろうが、こうなった以上は主治医の弱さと回復を患者にも見せることで治療的になるような関わりとするしかないだろう。

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2017
02.04

「高校で投票でスマホ利用のルールぎめ」へ感じた違和感

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地元の高校の取り組み。興味深い記事があった。
今度の頼まれている教員むけのレクチャーのディスカッションのネタにしようかな・・・。

スマホ利用ルール 自分たちで決める 穂高商業高で投票 (信濃毎日新聞朝刊(2月3日))


穂高商業高校(安曇野市)1年生約150人が2日、校内でのスマートフォンの扱いを巡る学年独自のルールについて、進級する4月以降続けるかどうかを決める「模擬住民投票」に臨んだ。学校にいる時はスマホを廊下のロッカーに入れて保管するという現行ルールに、生徒から異論が相次いだことから、学校側が主権者教育を兼ねて実施。結果は9日に生徒へ伝えられる。

 「スマホがあると人と話すことが少なくなり、コミュニケーション能力が下がる」「いつ使って良いか自分で判断する力をつけるためにも、持っていた方が良い」―。まず生徒代表の6人が抽選で、現行ルールに賛成と反対の立場に分かれて討論した。聞いていた生徒たちは自分の考えをまとめ、それぞれ1票を投じた。

 同校は「スマホばかりを気にしないで、友達との交流を深めてほしい」として本年度の1年生から、校則とは別にスマホの校内での扱いをルール化。登校後は廊下にあるロッカーに入れ、授業間の休み時間は廊下のみで、昼休みは教室でも使えるようにしている。2、3年生は授業時はかばんにしまうことになっている。

 ところが昨年12月ごろから、「廊下の寒さで、スマホの電池がすぐに減る」などと生徒から不満が続出した。学校側はルールの是非を投票で問うことにした。背景には昨年3月、体育祭開催の是非について当時の1、2年生が投票した経緯もあった。

 1年生の横内陸さん(16)は「自分の意見はあるが、投票結果が出たら、学年で考えて決めたことなのでしっかり従いたい」。同校の生徒会活動を担当する畑山路知子(みちこ)教諭(33)は「ルールがあるからというだけで従うのではなく、その意味を考えるきっかけになってほしい」と話していた。

 新ルールは投票結果を踏まえ、職員会を経て最終的に決まるという。




いろんなルールを話し合って決めること自体は良いと思うんだけどね。
学校が一方的に決めて押し付けるよりは・・。
ただなんだか違和感を感じた。

日本的息苦しさを象徴しているものの正体ような気がする。

それは民主主義的手続きのふりをして学校側や先生の価値観や管理、やりやすさを間接的に押し付けているのということが裏に透けて見えるような感じがするからか・・。

実際に高校生の間でどのような議論が行われたのかに興味があります・・。
自分みたいなゼロベース思考の発達特性の生徒がいたらとことん反発しそう。先生は嫌だろうな・・。
もっとも、こんなことされたらその高校は嫌になって辞めちゃうかも。
ルール撤廃というのが学生の結論だったら学校側はそれを最大限尊重するのだろうか?

「ルールの意味を考えてほしい」とか「自分の意見はあるが......学年で考えて決めたことなのだからしっかり従いたい」などという生徒の声が紹介されているが、そもそもルールとは何かトラブルが起こったときの目安だったり、みんなが気持ちよく過ごせるためのものであるはず。

ルール策定や改定の手続きも定まっていなかったり、罰則規定も不明だったり、最終的には職員会を経て決まるなどもおかしい。なんだか今の日本の政治状況とソックリです。

そもそもスマホの利用は他の生徒の学ぶ権利を侵害してないのであれば、別に全体への一律のルールで決めるようなことじゃないのではとも思う。

休み時間に同級生と群れるのが苦痛の人もいるだろうし、コミュニケーションやノートテイクにICTによるアシストが必要な人もいるだろう。スマホ利用の可否は個人ごと授業ごとで個別に決めれば良い話だと思う。

中学などでも学習障害の子にタブレット端末やPCを教室に持ち込むのに許可証や診断書が必要だったりするけど、どうして一律の教育やルールがデフォルトなのだろうか?

個人的には、こういう学習規律はせめて義務教育の間くらいまでにしてほしいと思う。もちろん合理的配慮の考え方は徹底した上で・・。
北欧などでは学習規律があるのは小学低学年までらしい・・。
北欧の小学生レベルということだろうか?

大学だとどうなのだろう。
授業を聞かず、スマホをかまっていて先生が当惑したり怒り出すみたいなのことも多いのだろうか?
授業が成り立たなくなるという言い分も分かるが、それは授業の魅力がスマホのコンテンツに負けているということ。
スマホをかまっていられないくらいの、あるいはスマホをフル活用したアクティブラーニングにすればよいのだ・・。

この取り組みを素晴らしい民主主義の教育のように誇っているところが日本での民主主義の浸透の低さを物語っているように私には思える。

主権者教育や法律を専門とする人の意見も聞いてみたい。
全国の学校でのスマホ利用に関するルール、またルールをきめるルールはどうなっているのだろうか?
世界的にはどうなのだろう?
主権者教育関係の文献をあさってみるかな・・。


P.S
1年以内くらいで『民主主義と発達障害』みたいな内容で本を書いてみたい
(まずKindle出版。その後、できたら新書で)


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2017
02.02

学校現場でも使えるスキルに焦点をあてたおすすめ本

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以下、学校現場向けにスキルに焦点をあてた内容のオススメの参考書籍をあげておきます。
実戦的で具体的なスキルがたくさん載っていますので常備しておき、類似する事例への対応を参照すると参考になるとおもいます。
発達障害の思春期や青年への具体的な関わりに関しては、小栗 正幸先生の本がオススメです。
少年院等で心理職をされていた著者で発達障害の子どもたちへの関わりが具体的ですぐに役に立ちます。



「発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ」
「青年期の発達課題と支援のシナリオ」
「ファンタジーマネジメント “生きづらさ”を和らげる対話術」
など

また応用行動分析のカリスマ、奥田健次氏の本も読んでおくと対応と発想がかわります。



「メリットの法則」
「世界に1つだけの子育ての教科書―子育ての失敗を100%取り戻す方法」
「背景、アスペルガー先生」
など


自傷行為や自殺に関しては依存症や自殺研究の第一人者である松本俊彦先生の本が具体的でオススメです。



「自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント」
「自傷行為の理解と援助」
など。

最後にいじめに関しては精神科の最後の巨人、中井久夫先生の論文「いじめの社会学」を子供でも読めるようにリライトした本がすごくいいです。
読んでおくといじめへの対応が変わります。



「いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉」
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2017
01.31

学校教育にSSTを

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支援会議への参加に合わせて中学校の特別支援学級でSST(ライフスキルトレーニングと称していた)を中心とした取り組みをしている学級を見学させていただいた。1〜3年の支援級の生徒が中心で全校からあつまり1年を通じてSSTの時間がとられている。オープンダイアローグや、べてるの家にも通じるような最先端の取り組み。

かなりチャレンジングな発達特性の児童の育ちを支えているが、学校という枠組みを利用しながらも、定型発達児童の年齢相応の達成を求めるようなことはしない。一方的に命令や強制したり叱責することなく、本人の体験を共有する対話と提案と合意を重視している。常に肯定的評価ができるような関わりをおこない強みや出来たところに注目。授業や集団にも最初は5分でも参加できれば十分とするなどスモールステップをきざむ。

スキルに焦点をあてモデリングとロールプレイで3年間を通じて繰り返し練習、特に問題がおきたときはわからないところをわからないままにせず、仲間で徹底的に対話をおこない、スキルの練習につなげる。実際に生徒の間で起きたトラブルをもとに、先生たちも照れたり、動じたりすることなくロールプレイを行っていた。

教室の黒板には「挨拶スキル、参加スキル・・感情コントロールスキル・・・・話し合いスキル、男女関係づくりスキル」などの基本スキルのボードが常に張られている。

また授業やグループ以外の時間では見守りがありながらも自由に使える部屋があり、そこでは自閉性や多動性、衝動性も保証されており、みんなでゲームをしたり、個別のブースで勉強したり昼寝するのもOK。発散あるいはクールダウンしてもらう。

一方で個別に家族との関係や進路などさまざまな相談に関してもとても丁寧に関わっていた。
非定型発達の児童への発達支援として、いや定型発達のこどもたちにとっても道徳教育などよりよほど有用なユニバーサルな教育方法ではないだろうか?

ただ中心となって実践されている先生も(大学病院にも内地留学されしばらく診療やSSTなども勉強していかれた先生)、ひろく教育現場にも広まってほしいが、なかなか難しいのだと嘆いていた。
医療として出来る形でアシストしていきたい。
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2017
01.26

子ども発達支援。政策と草の根、それぞれの動き

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東京で発達障害支援の調査研究の会議に書記として参加。

全国の医療や行政の中で発達支援の仕組みづくりに関わってきた人たちが、行政、教育、医療の現状をマクロ的に現状把握し、良い実践は属人的なものにせず、システムとして成り立たせていきたいという視点で研究をしている。大都市や地方都市、小規模町村の特性や支援内容のあり方、連携や質の担保などが話題になった。こういった研究成果が厚生労働省の政策のベースになるらしい。厚生労働省からも参加があり内部の様子を聞くことが出来た。

そして『長野県子ども白書』の執筆者会議にも執筆者として一部参加。
長野県の子どもにかかわるさまざまな現場(医療、教育、外国人の子ども、貧困、社会的養護、子育て支援など・・。)で実践しているアツイ人たちが参加。目の前の現場にニーズがあるが応えられるものがなければ自分たちで作り、あらゆるところと協業するスタンスで皆思いがほとばしる。白書は県内のいろんな現場の実践を共有し、ネットワークを作るのが目的。県の政策などへの提言も積極的におこなっている。

2つの会議の雰囲気の違いが面白かった。

精神医療、認知症など高齢者、障害者医療の施策や実践も知っていながら、自身の育児も含めた現場、小学生〜成人までの発達障害の方の教育・就労・生活支援を中心に診療するというフィールドをもち、マクロ的な視点で子ども支援や発達支援も概観できるという実に面白い立場にいさせてもらっているのだと再確認。

自分のできる実践をしつつ何らかの形にしていきたい。
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2017
01.21

「この世界の片隅に」つまらない?

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観ておくべきと複数のひとからすすめられていた「この世界の片隅に」やっとみることができました。

 あったかさと、怒りと、そして愛しさと、切なさと、心強さとが同時に湧いてくるような不思議な映画でした。おわったあと映画館の空気(その時代の空気?)を共有していた観客客はしばらくの間だれも言葉を発しませんでした。

 全編、背景もほのぼの、人物の絵もかわいらしく、登場する人たちは良い人で、あたたかいトーンではあるのですが、豊かな戦前の生活から、だんだん物がなくなり、食事も貧しくなり、男性が戦地に取られ、そのうち空襲が始まり、大切な人が次々とあっけなくいなくなる戦時下の日常の空気が淡々かかれていて逆に恐ろしいほどのリアリティがありました。

ほんわかおっとり天然系の自閉スペクトラムであろう主人公のすずさん(能年玲奈=のん)の声がぴったりあっていてすばらしい。ふだん普段ぽーっとしているすずが玉音放送のあと怒りをぶちまけて泣いていたシーン。いつもいつも強がっていて意地悪に見えた義姉さんの本音・・。淡い恋愛の描写など、心を揺さぶられ自然に涙がポロポロ湧いてくるシーンが次々と続きます。

 その時期に広島に住んでいて間一髪で難をのがれた祖母、原爆のあとしばらく医療救助に入ったという医学生だった祖父も、戦争のことはあまり語ることはなかったけど、生きているときにもっと話を聞いておけばよかったな。

 昨年ヒットした「シン・ゴジラ」も「君の名は。」も東日本大震災をモチーフにしていますが、原発事故はともかく震災は自然災害でだれの責任でもありません。しかし「この世界の片隅に」に描かれているのはつい70年ちょっとまえの現実にあった戦争であり防げたかもしれない悲劇です。なぜこんな戦争に突き進んでしまったのか改めてきちんと考えるべきですね。

 紛れもない名作だと思いますが、あまり地上波のTVなどでプロモーションがなされないのは現政権にとって都合が悪いためでしょうか?それでも口コミの評判ジワジワと見る人がふえ100万人を突破したようです。(めざせロングラン上映、超えろ「君の名は。」)

 今だけ金だけ自分だけ、人々のいのちや暮らしよりお国の方が大切な日本バ会議の連中やアレ首相たちはこの映画は見たのでしょうかね?見たのであれば是非感想をきいてみたいものです。
 まだ見ていないこの世界の人は映画館に足を運んで見てほしいです。
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2017
01.09

思春期の諸問題への対応(学校編)

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高校の先生を対象とした勉強会の事例への対応の質問(一部改変)に答えてみました。まず大切なことはジャッジメントよりアセスメント。「Why?」(原因追求志向)より「How?」(問題解決志向)です。

①男女交際に依存しすぎる女子生徒。関係が破たんすると欠席、リストカット、自殺願望のネットやラインへの書き込み、家出などが頻回。

周囲に甘えるが、うまく対人関係の距離がとれず、見捨てられ不安が強く、周囲の人に過度に期待して助けを求め巻き込みますが、じきに相手も応えきれなくなり、やっぱりダメだったという思いを強化してしまいます。安全が確保され、安心感の得られる場所で、ていねいに関われれば年単位で落ち着いてくるでしょうが支援者は決してひとりで抱えないことが大切です。本人に困り感があればスキルに焦点をあてたカウンセリングも有効でしょう。(過去に原因をもとめるよりは、今に焦点をあて成功体験をつんでいく方がいいです。)

②すぐに「死にたい」と訴え、リストカットもしてしまう。

これも①と同様の要素もあるでしょうが、「死にたいくらい辛い」が上手くSOSがだせず助けを得られないのだと思います。どこでもだれでもよいのですが、安心して愚痴をいったり、SOSを出せる場所がまず必要です。あるいは④のように周囲にインパクトを与える言葉として選んでいるということも考えられます。まず相談してくれたことを評価し、その上で自傷行為から愚痴、愚痴から必要な支援や、コーピングスキルの獲得につなぎましょう。

③心を閉ざし、自己の思いを全く発しない。

これまでの経験から周囲の人に対して諦めてしまった状態でしょうか?派手な目立つ問題行動こそないですが、難しいパターンです。少なくともどこかの場につながっているようであればきっかけが必ずありますから、ひだまりのような環境を提供しつつ、本人が語ってくれるタイミングを逃さないようにこちらも余裕をもって関わることでしょうか。そのうち②や①のように変化してくることも考えられます。

④教室をはじめ所かまわず卑猥なことを言う男子生徒。何度注意しても繰り返す

ASDがベースにありそうです。あまり意味をわかっておらず、周囲が面白い反応がでるからその行動が強化されているのかもしれません。こうした言動は定型発達では小学生くらいまでで卒業しますが、発達障害があると高校生以降でもありえます。そのような言動は望ましくないということはあらかじめ伝えておき、他の話題などでは楽しく話していても、卑猥発言があれば、周囲は「ハァ?」みたいなつまらなそうな顔、嫌そうな顔をしてあっさり流すという対応を統一してするのがよいでしょう。ただ子ども同士なら難しく、いじめの対象になってしまうかもしれません。

⑤授業中落ち着いて座っていられない

ADHDがベースにあるのかもしれません。授業が理解できていないか、じっと座っている授業スタイルがそもそも向いていないのではないでしょうか。本人にその授業で学びたい気持ちがあるのなら、自助具としてコンサータやストラテラも多少は有効かもしれませんが・・。座学なら一番前の席に座らせたり、バランスボールやクッションなどを使ったり、プリントを配る役目をあたえたり、インタラクティブなアクティブラーニングにしたりといった工夫はするとして、出来れば体験型、体得型のほうが本人も伸びるとおもいます。本人に合わない環境で無理をさせると②、③、④、⑥のように問題にみえる行動がでてくるかもしれません。

⑥自己流の正義感から暴力や暴言を繰り返してしまう

自分が強すぎて周りが見えなくなるASDがベースにありそうです。ASDの人は言行一致した人を信頼します。きちんとした対話になるのであれば自己流の正義感や考えを主張することは自由であり尊重されるべきですが、それを他者が受け入れるかどうかは別の話です。また他者の権利を侵害する暴言や暴力に関しては絶対許されないことだと宣言しておいた上で、周囲は統一した関わりをしましょう。六法全書を活用したり、警察の生活安全課などにも相談しておき一芝居売ってもらうことも有効でしょう。本人の言動に対して対応する周りの人は(「みんな」ではなく「私は」)どう考えているか、感じているかということは繰り返しフィードバックをしましょう。
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