2018
02.04

ヘルスリテラシーとヘルスコミュニケーション

Category: 未分類
あるグループでの議論の途中でまとめたので、シェア。

何かが何かのリスクになる、あるいは効果があるというためには、科学的な方法論に則ったものでいないと、いくら主張しても受け入れられず、根拠の乏しいものを断定的、教条的に主張すると宗教や疑似科学の範疇にいれられてしまうことを覚悟しなければなりません。

科学的根拠(エビデンスといいます)にはレベルがあり、高いレベルのものほど質の高い科学的根拠になります。偏り(バイアス)の除去と再現性がポイントです。根拠のレベルはおおざっぱに以下のようになります。

①迷信や風習、伝聞、個人的な経験
②専門家の意見
③単発の事例報告
④複数の事例報告をまとめたもの
⑤過去のデータを集めて確認したもの
⑥未来に向けてデータを収集したもの
⑦条件をできるだけ揃えて治療法の場合は介入群(例えばお薬やある治療法など)、リスクの場合は暴露群、例えば科学物質や放射能など)と非介入群(非暴露群)を出来れば被験者や検査者にもわからないようにして追跡したもの
⑧ 複数の⑦をまとめて解析したもの

の順で、高いレベルの根拠になります。
ポイントは個人的な事例や伝聞でも一応根拠になるということです。
ただし、科学的根拠のレベルは低く、今後の検証や研究を待つ必要があります。
また一見科学的な体裁が整ったものでも批判的に吟味され、バイアスが検証されたり再現性が確認されなければなりません。

倫理的な問題に配慮しながら、細胞実験や動物実験(マウスやラット)なら同一の遺伝背景をもつものでの研究がなされてますが、ヒトの場合はクローン人間を使うわけにはいかないので、ある地域の集団(コホートといいます)や双生児を追跡調査したり(東大でやっていますね)、診断や年齢などできるだけ条件をそろえた人を募集して調査や介入研究をしたりして研究者は科学的根拠づくりにいそしんでいるわけですね。
そして今ある科学的根拠を吟味して診療ガイドラインなどが作成されています。

現実には十分な科学的根拠のない中で治療法やリスク回避を、本人の価値観を尊重しながら、取りうる選択肢のなかから選んでいかなければなりません。

毎日新聞の連載「健康を決める力」も参考になります。

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2018
02.03

プラットフォームとしての高等学校

Category: 未分類
厳しい家庭環境、発達特性、中学までの不登校など様々な困難を抱えている生徒がたくさん通う県立の定時・通信制の高校での進路指導、SSTと情報交換会に参加させていただいた。
私も支援に関わっている方も多数お世話になっている。

なかなか先が見えない、先のことが考えられない、なんとなかると思えない子も多い。経済的に苦しくアルバイトしている生徒も多く、学業だけではなく、進路指導やデートDV防止講座、常設の相談室、個別支援計画などが丁寧で、生徒と先生との関係にもあたたかさを感じる学校であった。

3年次だけではなく、1年生も参加。大手スーパーに就職内定したばかりの生徒、働きだして1年のOB、その会社の教育訓練マネジャーのお話。新人研修の内容と同じであろう働く意味や、バイトと正社員の違い、小売業の歴史、社会的意義といった話も良かったが、働きはじめて1年の方の「マンガやアニメに自由に趣味に使えるお金が増えた。将来はそこそこ出世して結婚して家庭をもちたい。」という話に「二次元、三次元?」と先生が突っ込む掛け合いも素晴らしかった。

講演の後、準備、練習してきたグループに分かれて外部の方も交えての面接の練習だったが、「バイトの経験」と「休日の過ごし方」ってのがキークエッションだなぁ。

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2018
01.26

Ask what you can do for your client!

Category: 未分類

もう還暦なので、理不尽なことにも、かなり鈍感になってきた。 しかしそれでも、時には激しい怒りを抑えられないことがある。 大変残念なことだが、そのほとんどはケアマネがらみ、である。...
BLOG.DRNAGAO.COM

記事中にあるように、逆も真なのなのだろうし一部なのだろうが・・。この問題は認知症だけではなく障害者(特に精神障害)全体に言えることだと思う。 

 私自身、大変なケースを抱えたときにいろんなところから板挟みになり、目の前からいなくなれば、楽したいとは私も思ったことは何度もある。そういうケースが亡くなったり、転院したりしてほっとしたこともある。

 しかしケアマネに限らず支援者と呼ばれる人が、本人のために自分が何ができるかということを考えて動くことができず、ただおとなしくして欲しい、目の前から消えて欲しいという支援者のニーズに対して動いてくれるところをチョイスしていく。
 ここ一番しんどいときに何らかの力のあるところを一時的に頼るのは仕方ないと思うが、それだけを続けていった結果が果たしてどうなるか?。さまざまな悲惨な事件が物語っている。あすは我が身だ。 

 当地でも治療できる部分が少ない強度行動障害の方を精神科への入院医療だけでなんとかしてほしいと丸投げしつづけてきた結果、リソースを使い潰し地域の病院でも受け入れにトラウマティックになり受け入れられるところがなくなった。そこでコーディネーターがコネをつかって知り合いの偉い医師に頼み遠方の他地域の病院へ入院させたりしていた。そこまではしかたないとしても、そこにもいつまでもいられず当然治療もできず退院。先方の病院の医師から頼まれたので地域の方なら自分の仕事ですから出来ることはやりましょうと引き受けたら、本人にも合う前にそのコーディネータや行政の保健師がドヤドヤとやって来て囲まれた。そこでいきなり「入院をさせて欲しい、入院できる医療機関を紹介してつないで欲しい」と詰め寄られ非常に残念で悲しい思いをしたことがある。そういうことが繰り返されてきたために、このコーディネータにはこの一点突破しか手がないのだなぁと・・。  

 もちろん医療で出来る部分はきっちりやるが、医療とてなんでも解決できる魔法のような力はない。とくに障害の分野では・・。自分に何ができるかを問うとともに、あなたの仕事はなんですか、自分の全てを総動員して他あらゆる角度から自分たちに出来ることを検討しましたか、焼畑農業のようなことをいつまで続けるのですか、奇跡が起こるのを、スーパーマンが現れるのをいつまで待っているのですか、あなたには何ができますかと・・。病院だけにいても何もかわらないと学校や施設に出向いたり、自宅へ訪問診療したり、家族支援したり、ロビイングしたりして仲間を増やし・・。思えばそこらへんが出発点かな。  

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2018
01.10

高齢者と運転

Category: 未分類

高齢者の運転にかかわる悲惨な事故がまた起きてしまいました。

楽隠居するのが難しい時代ですね。そもそも人は多様性を持って発達し、多様性を持って老化していく存在ではあります。
発達は年齢で横並びではないとは言え、どんなに認知判断能力、運動能力が優れていて18歳まで免許が取れません。また、どんなに元気な人でも多くの組織的な職場には定年というシステムがあります。

ただお金と車は自分の力を何倍にもしてくれるものですからそれを取り上げられるのは抵抗が強いです。また特に地方では車がないと通院や買い物など生活が成り立たないような地域のつくりになってしまっています。

いろいろな意見はあるでしょうが、長生きすればするほど認知症になる割合は確立は高まります。またてんかんなども高齢者で増えます。

認知症割合 tenkan.jpg

出典:日本神経治療学会治療指針作成委員会編集「標準的神経治療:高齢発症てんかん」463ページ、Fig. 1「年齢別てんかん発症数」

1)Epilepsia. 52: 1857–67, 2011. Sillanpää M, et al.: Regional differences and secular trends in the incidence of epilepsy in Finland: a nationwide 23-year registry study. 

(高齢者のてんかんの有病率:てんかんネットより)


これらを考えれば例えば75歳なり81歳になったら免許を全員返納した上で、社会として公共交通の多様性を増やし、モビリティの自由を保証するシステムを作ることに創意工夫するという考え方もあるのではないでしょうか・・。認知症だけではなく交通弱者に優しい社会になるとおもいます。


身体面の衰え以上に、認知機能や精神面の衰えは気づきづらく認めづらいものです。

医師にとっても判断能力の判断というのは難しいものですし、免許更新のたびに認知症検査をヒヤヒヤしながら受けて、ピックアップされて、自尊心を傷つけられながら診察をうけたあげく免許を取り上げられるというよりは段々と諦めや納得感が得られやすい気もします。


免許と金銭管理をいかに手放し諦めるかという問題は認知症診療をしていたときにはかならずぶつかりました。(認知症診療の山場の一つ)
認知機能検査の結果と画像などを示しながら、事故のリスクの割合、事例などを説明しながら、医師として運転は許可できない。他の医療機関を受診してもよいが、どの医師でもそういう判断をするだろう。
これを聞いていて事故をおこしたら民間保険がおりないこともある。家族が責任をとわれることもある。と本人家族に伝えカルテに仰々しく記載することが精一杯でした。
車の維持費とタクシー代を計算したりということもやったりもしました。
今は運転シュミレーターをもちいてリスク判定して自覚を促したり、免許返納に当たっての相談窓口を警察や行政が開いていたりいろいろと仕組みはできてきていると思います。

明日を今日より少しでもマシな世界に。


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2017
11.26

「自分のこと」のおしえ方

Category: 未分類
平成29年11月25日。吉田友子先生を招いての、信州大学子どものこころ診療部セミナー「発達障害の子ども本人への診断告知」まとめ。

 まず、こんな「告知」は危険という話から。幾つかの例があったけど、結局、準備なく告知するのと、周り都合で告知するのがダメ・・。一方で本人が知りたい気持ちを持ち始めたのにごまかすと、何かまずい聞いてはいけないことなんだなというメッセージを受け取ってしまう。
 自分はどうもみんなと違っているようだと気づき始めた時期を狙って説明する。だいたい8歳を過ぎたら聞かれることに備えて準備をしておく必要がある。計画的な告知では安全な診断名との出会いを設定できる。その際には本人も保護者も具体的な支援をうけて生活が安定し、苦手があっても工夫によってうまくいく、特性は強みにもなるということを体験をつうじて実感している大事。支援をうけた体験があると抽象的なキーワードも理解できる。また他の子どもの治療計画をまもるためにも、誰彼話すことはしない能力があることも大事。大事なことだから同じくらい大事におもってくれる人にのみ話そうねと伝える。
 一方で小さいときから継続的に支援をうけられていない子どもたちの場合は、診断説明(告知)で、診断を受け入れずに支援拒否したり、逆に診断を「ご印籠」のように使用するなどの副作用がでることも・・。

 担任の先生を信用している年度で、変化の大きい春休みを避ける、親子ともに相談の場があることが望ましいなど細かな配慮も必要・・。

 脳のタイプ名としての自閉スペクトラム(約10%?)とサービスの入場券としての自閉スペクトラム症(自閉スペクトラム障害)(約1〜2%?)を意識する。医療や福祉が必要なくなれば診断名はつかなくなる。診断告知は流れの中の一つ、自己理解支援の一段階にしかすぎない。血液型や利き手のように優劣のない少数派の一つということを伝えたい。親とも相談して本人に合わせて記載を変更して、長所や苦手が、なるほど自分にはあてはまるということを確認していく。
 診断告知の意味は「なぜ、技術を学ぶ必要があるのか」を伝えられるから。それは「劣っているからではなく少数派だから」ということ・・(日本人が英語圏に旅行するために、安全安心な滞在のために英語を学んだり、翻訳機などの支援機器をつかうのと同じ)。
 自己否定的な技術向上を避けることが肝心。(特別な工夫や技術を使えば使うほど自分が普通でないと感じて、自己嫌悪(=目標は普通になること))では、せっかくの技術習得が自己肯定につながらない。

 学齢期、成人までに生きる上での必要な技術全てを身につけることはできない(例えば契約やパートナーシップなど)から、相談する技術が大切。相談したら良いことがあったという実感が相談意欲を育て、相談者としての成長につながる。

詳しくは著書も参照ください。


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2017
10.31

こころの健康の授業(保健体育)

Category: 未分類
信大の附属小学校5年生の養護教員の保健体育の授業にゲストティチャーとして参加しました。

先日の親(PTA役員)や教師も参加する学校保健委員会のミニ講演でも「心の健康には援助希求できることが大事、大人は相談されたらちゃんと応えてね、それが相談するという力を育てる。大人もできることは助けて、自分でできないことは専門科や他の人にも相談しましょう」と親や先生の側にもお伝えしておいた、それで子どもに対しても授業・・。
このへん、ちゃんと学習指導要領にもあるのね。

テーマは心身相関を理解する→対処方法を考える。ということ。
このへんは個人精神療法やディケアのプログラム、職場のメンタルヘルスの講演、発達障害の子どもと親のアンガーマネジメントプログラムなどでもやっているのと共通する部分も多くやっぱり基本なんだろうな。

事前アンケートでは悩みの無いという子どもが過半数だったけど思春期にはいっていろいろ出てくるからな・・。特に人間関係、さらに親子関係、自分との関係・・。おまいら覚悟しとけよ・・。
イライラした時や悩みがあるときの対処法として子どもたちに聞いたら・・「殺す」、「自殺する」などと大きな声で言う子も(^_^;)(自分や他人を傷つけない方法で)

グループ話してもらって、好きなことをする、大きな声を出す、物を投げる、寝る、食べる、リラックスする、話す・・。見方を変える、などいろいろ意見がでました。
こちらからお伝えしたのは、まず落ち着け!逃げろ!キレると損ということ。イライラって思い通りにならない時に沸き起こる未分化な感情だからわかりにくいよね・・。
体を動かしたりして発散して、リラックスして、しっかり食べて、よく寝て、スッキリした頭で考えましょう。

つぎに一人で悩むな!ということ。自分の頭だけでいい考えが浮かばなければ他人の頭をかりるための相談しましょうと。相談相手は担任や親、養護の先生やスクールカウンセラーもいるよと・・。どうしても苦しければ病院に来てね・・。とお伝えしました。
ある子どもから「精神科ってどんな相談が多いの?」と本質的な質問が・・。基本は悩みを何でも相談してもらっっていいよろず相談だけど、居場所がないとか、自分をコントロールできないとか、死にたくなったりしたときかなぁ・・。

小ネタとしてもっていったアロマのエッセンシャルオイルも予定通り注目されたけど、みんな匂わせて〜と小瓶を男子に振りまかれて教室に森の香りが充満しましたとさ。

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2017
10.03

”札幌市自閉症者支援センターゆい”のレポート

Category: 未分類
 札幌に行く機会があったので、社会福祉法人はるにれの里、札幌市自閉症者支援センターゆいを見学させていただいた。

札幌郊外の公共交通機関や大きな道からやや外れたエリアの、立方体の無落雪屋根の住宅が並ぶ住宅街と、工場や倉庫が点在するエリアにあった。札幌は計画都市であるために全般的に道幅が広く、道も多く渋滞がすくなく(冬季は除雪で雪山ができ違うのだろうが)車での移動(今回はタクシーでお金はかかったが)は時間がかからず快適である。

全国から見学者も多いようで見学は3000円(4時間以下)の協力金と明瞭会計である。
1時間弱の時間だったが、所長さんが施設やグループホームを案内してくださり、質問をうけて下さった。 

  SapporoYui2  

札幌市からの指定委託管理のゆいは永久的な入所機能はもっておらず、地域移行のための施設(定員30名)、ショートスティ(定員6名)、生活介護(定員44名)、自立訓練(定員6名)からなる。
コーディネートやコンサルテーション機能や地域の啓発活動は同一建物の2階にある発達障害者支援が担っており、法人内外の他の事業所とも連携しながらやっているそうだ。
ゆいの廊下でつながった建物群にはユニットになった居住エリアと、日中の活動のエリアがある。
体育館もあり大きなトランポリンなども設置されていた。
エリア内は適宜、移動式の壁やパーティションで様々に区切れるようになっており、日中活動においてもなるべく利用者の動線がかぶらないようにと配慮されている。敷地内には生活介護の作業所や築山のあるプレイグラウンドもある。  

自閉症者支援センターゆいは札幌市の児童施設に過年齢児が増え、入所施設からの地域移行が言われるようになって、受け皿として指定委託管理をうけて設立され今年で10年になる。
対象者は人口200万弱の札幌市全域から、地域での支援で何とかならなかったような、支援区分6、行動障害のスコアが10点以上の方などで、IQは測定不能〜20くらいの最重度の知的障害を伴う自閉症かつ強度行動障害のケースを受けている。重度知的障害、重度自閉症の困難ケースは積極的にみるということで他の福祉法人とは住み分けができている。
人の刺激に弱く、言語でのコミュニケーションは困難で排泄なども自立せず、自傷や他害、異食などの行動障害が続いているようなケースだ。3年間を目処にアセスメントをおこない、環境を整えほぼ全員が地域に点在する同一法人の運営するグループホームへと移行している。入所の利用者の平均年齢は30歳弱くらいとのことだが、ショートスティでは土日を中心に4歳位の子どもからも受けているとのこと。
相談をうけると大変なケースは「親は手離せ」と言っている。紆余曲折があり、相談支援事業所が動き、ケース検討をしてショートなどを繋いで、ゆいにたどり着く。
それでも「うちに来たって魔法はかからないよ。ゆっくりと時間をかけてやるしかないね。」と言っているそうだ。親の関わり方も様々で、ゆいに来るようなケースでは自宅に帰るというケースはほとんどないそうである。  

 法人ではグループホームもたくさん作り、展開しているが、地域移行とは言え、グループホームも集まればコロニーということになる。ケアのことだけを考えたら集めたほうが楽だが、今後は大規模な施設はつくることは難しく、地域に点在させたほうがかっこいい、町内会費も払って、変じゃないでしょと示すのも彼らの仕事と考えているとのこと。ただ集団にはいることで本人の好感度が下がるなら、地域の行事への参加などもしなくてもいいという発想である。  

 全般的にみんな一緒にしようという発想がそもそもなく、それぞれの人にあわせて個別におちつける環境、関わりをつくっていくのが基本。人の刺激に弱いので、パーティション動線なども区切り、活動の場所、活動のペースも個別に決めて対応している。
 もし活動で同じ場を共有できるなら上等という感じだそうだ。居室も物がある方が落ち着く人、シンプルな方が落ち着く人、それぞれにあわせて環境調整し、壁紙を剥いで食べてしまう人などの部屋には木を貼り付け、ぶつかりながら移動する人の動線にはクッションが貼られているなど個別に対応している。そのままの環境をグループホームに持っていくそうだ。
 卒業生が近隣のGHから通う生活介護では余暇型のメニューが主だが、働ける人には個別のワークシステムで大根の皮むきなどの仕事を提供している。  

 集団でのかかわりのほとんどないそういう状態をみて、親から「寂しそうだ、かわいそうだ」と懇談などでは言われることもあるが、相談員は「そうですね、できるだけ頑張ります」といいつつ、本人の安定した環境を提供すべく聞き流しているとのこと。

  支援者のスタンスで印象的だったのは大変なケースをみているのにもかかわらず飄々、淡々としているということと、決してこちらのこだわりを利用者に押し付けず、環境調整に徹しているということである。
 ある程度の知的能力があるなら本人のスキルに働きかけて、対人の距離のとり方などの学習を期待することもできるが、知的に重度のケースは環境を調整していくことに尽きる。本人が嫌がることは強制せず、不穏になって暴れるならスタッフはすぐに逃げて無理をしない。お互いが持続可能であり、だれもができる方法というのが大事であり、ある支援者としかできないということであればそれはベースラインにはなりえない。担当者が変わっても支援が継続できるように情報共有はしっかりやっているそうだ。  

  どうしても落ち着かないときには、やむを得ず行動制限もすることもあるが、切迫性・非代替性・一時性の原則は確認して親の同意をえて、しっかり記録をしながらおこなう。それでもその状態が頻繁につづくようなときは一時的に協力関係にある精神科病院へ入院を打診する。その際はこれだけのことをやりましたと示しているとのこと。
 もっとも自閉症に関しては入院しても大きく変わるものではないと思っており、かならず3ヶ月なら3か月で再度引き取っているとのこと。担当できてもらっている精神科医と近所の内科の嘱託医はいるが、医療への依存は全般的に低いように思えた。

 食事に関しても他の人のものに手をだしたりするため、ほとんど個別にとっており、歯みがきも自分で磨ききれる人もほとんどおらず、年に2、3回ほど歯科衛生士さんにも来てもらいブラッシング講座をやってもらい、ブラシを帰るなど個別に磨く方法などを検討し仕上げ磨きは丁寧にやっているそう。

 親も一回も会いにこない方もいるが、親には親の人生があるとこだわらない。 面会に来る親も、面会からはじめ、落ち着いたら外出、そして帰省と段階を追うとのこと。それでも面会室以外の施設内での親の面会はお断りしているそうで、それは、本人にも、他の利用者にも施設見学者と親との区別は雰囲気ですぐに分かりみんなが「俺の親はいつ来るのだ」と落ち着かなくなるからだそうだ。  

 最近は新たに強度行動障害化するケースが増えているという印象はなく、早期療育がそれなりにすすんでいる効果もあがっており、親の会活動は低迷しているが、支援者が増え、またネットなどでも情報が得やすくなったために勉強しやすくなり、気合と根性の子育てでおかしくなるということが減っているからなのだろうとのこと。まだまだ学校の先生にも学校にも当たり外れはあるが、はずれ先生にあたって、外部からの提案がうけいれられない場合でもずっとじゃないから、そのうち変わるからと相談をうけた側もあくまで淡々と対応している。学齢期は幸いなことに札幌市には放課後ディサービスが山ほどできており、ちゃんとやってくれるところに、アセスメントして整えた環境を引き継いで見てもらえるとのこと。高等部も利用できるなら利用したいとのことだが、学校で対応できず行くと不調になるようなケースは「学校へ行かなくても死にはしない」といっており、福祉サービスを優先することもあるようだ。ただ義務教育年齢卒業以降はなまじ学校に籍があるとやりにくいとはいっていた。

  全国的に有名な「はるにれの里」でも、人手不足で他の仕事もある現状では福祉業界の職員の募集は大変であり特に若い人はなかなかあつまらず、入職時には有資格者でなくても採用しているとのこと。(有資格者には多少の給与の上乗せはある)。研修体制は充実しており、法人で年をとおして週に1回程度は何らかの研修があり、研究発表なども奨励している。勉強のための本も揃っており、資格取得は応援していて試験などは公休にしたりしているそうだ。

  SaaporoYui1  


 行動障害を減らし、本人の落ち着ける状況をつくるために、本人を変えようとするのではなく、全体の流れはあるものの、動線なども他の人と会わないように工夫し、ハード、ソフト、ワークシステムともにここまで!というくらいに個別に対応していること、それでも行動障害がさまざまな要因で悪化する人もいて一定期間遠、病院に行くこともあるが、それも含めてシスティマティックかつ淡々とやっていた。最重度の知的障害と自閉症をもち強度行動障害もある群の人が集まっており、それでもなんとかしているのを見て希望がもつことができた。
 

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2017
09.17

人は、人を浴びて人になる

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夏苅育子先生の新著「人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い」を読んだ。
あざやかな黄色い素敵な表紙の本であり、パワーを感じられる本である。

NPOで安曇野にお呼びして以来、ことあるごとに声をかけていただき、学会などでも何度かお話をうかがった。そのたびに自分と母のこと周囲の人との出会いを堂々とオープンにされていかれるその姿に勇気づけられた人も多いと思う。

これまでの本や講演では統合失調症を病む母とのことが中心であったが、この本はご自身と周囲の人の関わりについてがメインのテーマになっていった。その集大成とも言えるこの本では子ども時代から順に12人の人との出会いと関わりについて丁寧に語られている。

家族会や学会などで度々講演をされているので、これまでに夏苅さんの講演を聞いたことのある方なら、読んでいると夏苅さんの声が聞こえてくるような感覚にとらわれるのでは無いだろうか。

たとえどんなに過酷で壮絶な大変な人生であっても、人が時間と人との出会いで回復していく力がある、回復するのに締め切りはないのだというのを信じさせてくれる。そしてそれを信じられる、信じて待っていてくれる人がいること自体が、病や障害があっても回復していくための最大のファクターなのである。
そうして今、夏苅先生は、夫と運営している診療所で、そして全国に講演にあるきまわり、多くの人にそのことを伝えている。

生きることに投げやりになっている人、支援の現場で悩んでいる人、家族、医療や福祉に従事する人やその卵の方々は必読の書だとおもう。

自分も自分が弱った時には堂々と周囲に助けをもとめ、また自分の周りの人を自分のできることで勇気づけられればとおもった。



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2017
09.12

大人の発達障害のセルフヘルプグループ

Category: 未分類

2年くらい前から自分と仲間のために、ほそぼそと大人の発達障害のセルフグループを続けています。 会場を松本、安曇野、塩尻、南松本と変えながら8回目になりました。


 何らかの事業やディケアのプログラムという形にしてしまうと対等性がなくなるので、あくまでも自分(たち)のためにほそぼそとやっているセルフヘルプ・グループ(SHG)の形をとっています。 


運営もボランティアベースで基本的に誰かに何かを強制するということはありませんし、多少盛り上がるような多少のファシリテート、場が荒れすぎないように多少の仕切りはしますが無理はしません。


会場費200円を頂いてということくらいしかきまっていません。

来る者は拒まず、去るものは追わずのスタンスです。 思いついたら即行動、即発言のADHD優位のタイプの人が旗を振っているのに、他の人達が相乗りしている感じだと思います。ADHD(不注意多動優勢、衝動性優勢)とASD(孤立型、受動型、積極奇異型)でもそれぞれ全然違いますが、続けて参加していると人のフリみて我がフリ気づくといういことはあります。人はたいてい自分のことより他人のことのほうがよく見えて、励ましたりアドバイスもできますから・・。 


会場や参加者によって毎回雰囲気が違っていて、女子ばかりの会だったり、会議室でホワイトボードをつかって書きながら3つお題をだして30分ずつくらいで区切ってやったりもしました。前回ははじめて和室でやりましたが和室は輪になれたり横になれたりで良かったと思います。 枠と自由度、参加者がそれぞれに気づきと癒やしを得てかえってもらうための適度なルールやファシリテーション(仕切り)のバランスが難しいとおもいます。


積極的に話せない人への配慮をうんとということになると、小道具やパスカードなどを使って配慮された会のようになると思いますし、型をきめて構造化がすすむと、いいっぱなし、ききっぱなしのAAのようになると思います。


発達障害のSHGでは、それではやや物足りなく感じる人も多いかもしれません。

話せない人への配慮も必要ですが、ADHD優位の話せる元気な人に引っ張ってもらわないとなかなか盛り上がらないということもあります。 発言を強制されない権利もあるので、言語でのリアルタイムでの表現が苦手な人、なれるまでに時間がかかる人、観察していたい人などは場を共有するだけでもいいのかなとも思っています。 


参加条件をしぼりクローズドな会にすると同質性が担保されたほうが運営や目的の遂行はなしとげやすく予定調和的になますが参加者はあつめにくくなります。参加条件をゆるくしておオープンにして多様性があるほうが創発性が高まり気づきや癒やしの機能は高まりますが参加者をあつえめたり運営をするのは難しくなります。参加者も事前に限るとなかなか参加者も集まりにくくクローズドな感じになります。


当日参加ありとすると、集まる人数が読めない(そのため仕切りが難しい)ということいなります。 誰でも運営できる形というのなら型をきめて構造化を強めていけばよいし、ゆるくしていくならファシリテートに慣れた当事者、支援者や専門職のサポートも必要ですね。 


リアルタイムのやりとりでない文字言語のほうが楽な方のための、Facebookグループでの会場もあります。(”大人の発達障害あるあるラボ”で検索してみてください) 


こういった会のあり方の模索もふくめてラボ(実験室)と名乗っています。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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リアル発達障害あるあるラボ9回目 10月28日(土) 13:00〜15:00 

松本市、なんなん広場、音楽室です。 参加費200円です。


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2017
09.06

ジャズの演奏会での指導者の暴行について

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トランペット奏者の日野皓正氏が指導している子どもたちのジャズの演奏会で、演奏中に調子に乗りすぎて暴走し妨害レベルになった中学生にビンタの暴力振るった件、動画もでまわっていますね。
→(こちら)。

いろいろ象徴している気がします。この中学生は夢中になると周りが見えなくなり過去にも同様のことが度々繰り返されていたのでしょうか?であれば、期待する行動(時間なども含めて)明確に伝え、その意味合いをつたえ、守れるようにキューをだすなどの手助けもし、もし守れなかった場合の対処も決めておいて(警告しても聞き入れられなければ、速やかに拘束してタイムアウトをとるなど)、その対処を淡々とするべきだったんじゃないかとおもいます。

その場を守るためとは言え、暴力に至ってしまったというのは日野氏自身、過去にきっとそのような指導をうけてきた歴史があったのではないでしょうか。正当防衛などの例外はあれど、暴力というコミュニケーション手段はいかなる場合でも許されない、結局自分が損をするというのを大人が伝えないと子どもがそういうコミュニケーション方法を誤学習して連鎖してしますから。 明日は今日より少しでもマシな世界に。

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2017
08.26

総合安心センターはるかぜ

Category: 未分類
平成29年8月25日に、北信中野の、社会福祉法人高水福祉会、総合安心センターはるかぜさんに見学に行きましたので、そのレポートです。 中信圏域でも危機介入の仕組みとPDCAサイクルを回しつつ関われる人や場をどう増やしていくかを考えていきましょう。  

********************* 
 北信病院に発達障害の研修で行く機会があったので、中野市の高水福祉会の「総合安心センターはるかぜ」さんを見学させていただき、代表の野口さんにお話をうかがいました。 

 「総合安心センターはるかぜ」は入所施設なども運営する社会福祉法人の内部留保を切り崩し、スタッフも地域展開して、家族や理事会や近隣の市町村行政との折衝を続け施設を解体しながら大胆に始め、地域に暮らす100名の登録者を18人のスタッフで365日、24時間支える仕組みをつくったそうです。

  登録者には在宅の知的障害、発達障害(自閉症)の方が多いが、統合失調症など精神疾患の方、身体障害の方もいます。制度としては18歳以上のハイリスクな方を登録して地域定着支援を利用しているそうですが、独自事業で地域ニーズに応えるべく私的契約もおこなっているそうです。 
もちろん生活支援には他の地域のサービス(生活介護、就労など・・)も利用して生活を支えています。その中で、緊急時の受け入れ、対応、入院や施設入所していた方への体験の場も提供が、はるかぜの役割とのことです。

 はるかぜでは消防署や医療福祉の入所施設のような交代勤務で、常にスタッフが交代で詰めており、何もなければ何もないでおわるそうです。

 サービス調整会議、モニタリング会議で起こりうるクライシスに対してクライシスプランを作成しておくことが一番大事で、特に、何が緊急事態のスタートなのかケースごとに決め、誰がどのように対応するか予め決めておき、すべての職員が顔合わせしておくそうです。そして 緊急のコールはコーディネーターに連絡ががあり登録書に従って判断し、スタッフを緊急派遣する仕組みになっています。

 被支援者が緊急コールするのはイライラや不安でたまらなかったり、粗暴行為が出たり、体調不良などのときが多いそうです。精神科訪問看護と同様ですね。
 そして、地域定着で解決に至らない時は、常に2部屋空けている短期入所施設内の部屋に緊急短期入所で一次避難、そして48時間以内に今後の支援対策会議を開催し登録書を見直して改訂し、共有をおこい、支援体制など予防的な介入を強化するそうです。

 昨年は年間100件の駆けつけ、60件の緊急ショートの利用があったそうですが、安心でき、地域の対応能力が上がることで緊急派遣も緊急ショートも減っているそうです。
 このスピード感が鍵で、不必要な入院や入所を防ぎ、長期の入院や入所になってしなった方も再度、地域で暮らしも選択できるようになるとのことでした

  実は施設などの個別性のない状況が強度行動障害を助長している面もあり、地域で個別性をもった生活を保証することで入所者を減らすことができ、画一的生活の緩和と個別化が充実できるそうです。
 施設でなければ部屋にモノを溜め込むのも、火と匂いさえ出さなければ、自由でいい、一人暮らしか、相性のいい人とシェアしてすむのがいい人はそうすればいい。 そこにそっと見守りと支えをいれていく。 そうして逆に入所施設の利用者がへると、本当に必要な人に施設入所も選択肢になりうるとのことでした。

 制度に乗れない人(例えば若年者)や他の事業所のGHとして私的契約もおこなっていて、同様に登録して利用できるようにすることで隙間をうめているそうです。
 利用者をよく知る支援者が通訳的な立場となりノウハウの移転など様々な可能性があるだろう。個別性が強い障害者をあらかじめ登録書とプラン、バックアップ体制をしっかり作ることで初心者のスタッフでも対応できるようにし、研修などでスキルをアップしていくことで人を育てているとのことでした。
 こういった活動をつづけ地域の日中活動の事業所や余暇活動支援、短期入所、行動援護の事業所が増え、365日24時間の対応ができるようになると緊急対応はへるとのことで、望まぬ施設入所の人の増減をメルクマールとして活動しているとのことでした。

  高齢者でも365日、24時間対応の小規模多機能事業所や、定期巡回、随時対応型訪問介護看護やなど面で支える仕組みもできてきています。(オランダのビュートゾルフなどもモデル)。また精神障害の分野でいえば医療の関わりがもう少しあればほぼACTモデル(Assertive Community Therapy)と同一のコンセプトだとおもいます。
 ただ、精神疾患以上に自閉症や知的障害に関しては医療は理解も支援も大きく遅れており、むしろ医療の出番は少なく密な生活支援以外に手立てがないということでしょう。 

 逆に健康管理や身体合併症、アセスメントなどで医療がバックアップで協働できればさらに多様なニーズに応えられる最強のモデルになるだろうと思います。
  報酬や人件費など経営的な数字のことなどもお聞きしたが、お願いして行政からの補助金など入れているものの、事業としてはまだ赤字であり、母体の入所施設等ももつ社会福祉法人のバックアップがあるからできるという側面もあるようです。
  中信地域では、内部留保を切り崩しての地域支援に本気を出してくれる社会福祉法人でてこなければ、同じような形は難しいかもしれません。 それでも情報共有の体制をつくりホームヘルプサービスや行動援護を増やして日中活動や短期入所の事業所と協働していくことで関われる人や場を増やしていったり、ケースごとにクライシスプランをつくり、さしあたって48時間以内の出口会議をする上で、緊急入所を医療が担う(担えるか?)というあたりからははじめていけそうだと思いました。


harukazeheya 

 緊急ショート用の極力シンプルな部屋。 緊急の利用時には隔離はせずスタッフがマンツーマンでつくことも多いという。



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2017
08.13

商品化してはいけないもの

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きょうされん声明「A型事業所の閉鎖に伴う障害のある人の大量解雇問題を受けて


障害者支援の分野は医療や教育と同じく、社会共通資本であり、商品化してはいけない分野だと思う。


 ニーズがあるからとずっと手弁当でやってきた思いのある事業所などが行政と協働して開拓して制度化しても、今度は営利で商売にしようとするところが参入してハイエナのように荒らしていく。質の担保のために管理や規制が厳しくなり、そのコストがかさむ。いたちごっこである。

 医療でもそうだが、ビジネスでやっているところは、本当に大変な困っている人に限って、自分たちに何ができるかということも考えもせず、あっさりと排除するからわかる。

 今、何もできないというのなら、せめて一緒に声をあげてくれたりすればいいのだが、次の商売のタネ探しに忙しいのだろう。


 現在の現物給付、事業所への補助金などから支援者も含めだれもが食い詰めないように現金給付(ベーシックインカムと障害加算)に、権利擁護、行使のサポートをセットにして個人に給付する(今は市町村の認定という意味で半々くらい?)制度にシフトしてくべきなのだろうと思う。

 そのためには障害があり通常ではないサポートが必要な方にはなおさら、早くから意思決定の支援、声をあげるスキルというのが必要だ。


 そして、それを突き詰めていけば、それが仕事となる可能性があるともいえる。言葉や理屈を使うのが苦手ならばばアートや表現の世界に、言葉や理屈が使うのが得意ならば、学問の世界、ソーシャルワーカー、政治家などにも向いていると思う。

 

 明日は今日より少しでもマシな世界に。

 



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2017
07.19

PRT 〈Pivotal Response Treatmentの理論と実践〉: 発達障がい児のための新しいABA療育

Category: 未分類

ペアレントトレーニングなどのもとになる考え方であるABA(Applied Behavior Analysis:応用行動分析)の新たな流れであるPRT(Pivotal Response Treatment)について詳しく解説した本。プラクティカルでとても面白かったし具体的なヒントも多い本であった。


日本でASD児へのABAの中でも先鋭的なフリーオペラント形式の療育を行ってきた著者たちが、本家筋のほぼ同じコンセプトの実践であるPRTを紹介するために翻訳した本である。指導には優先順位があり、機軸となる領域(ピボタル領域)があるのではないかという膨大な観察と科学的研究に基づく実践報告と具体的な介入方法が記されている。入院病棟やプレイルームで専門職が絵カードなどを用いた訓練は高頻度に行っても残念ながら投入する労力の割に汎化に乏しく効果が薄いことも多い。PRTでは極端な構造化などの環境設定はほとんど行わなず雑多なもののある日常生活にあるものを利用して”楽しく”、親や保育士、教師、時には同級生などと介入方法を統一して関わる。効果測定をして修正する。モデルとなる模倣対象の多い統合教育をなるべく推進する。注目すべきピボタル領域は、モチベーション、ついで積極的自発性だという。


モチベーションを引き出す方法に関しては①自分で選択、②日常生活内の強化子、③試みる行動を強化する、④維持課題と獲得課題の混ぜ合わせ、⑤課題の多様性 のパッケージで。積極性自発性に関しては質問行動への支援をおこなう。

随時、定型発達との比較、迷信と真実に分けて記載されていてわかりやすい。

その他、問題行動への対処や家族関係の改善、親のストレスの軽減、日常生活での介入とアセスメント、データー集収なども別に章を設けて記載されている。特に親との関係や親のストレスに関しては、家族全体を良い状態にすることも非常に大切であり、ASD児への親の関与が極めて有効に働くのは、親なればこそのエネルギーが秘密兵器として作用しているからということ。親へのフィードバック、情報共有のあり方も具体的で、親にストレスがあるときの子どもたちの積極的なお手伝いは、非常に大きな変化をもたらすなどの記載は秀逸で参考になった。


また、あとがきで役者が自説(くすぐりや逆模倣のアイディアなど)や文化背景の違いなどを考慮した突っ込みをいれまくっていたのが面白かった。

やみくもに介入するのではなく常にレバレッジポイントを意識してシステムズアプローチを行うというのは自分の追求していることでもある。ABAにはアイディア勝負な部分、知的パズルのような側面もあり知的にも面白い。異端のセラピスト奥田健次氏のABAもPRTの流れなのだろうが、施設に通所しての療育やリハビリよりも今後は家庭や学校現場などの生活の場へセラピストが訪問しての療育支援が圧倒的に有効だろうし今後主流になってくるのではないか。

明日を今日より少しでもマシな世界に。




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2017
07.19

子育てにかかわる全ての方へ

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医学書院「総合診療」誌 2017年9月号(特集◆うつより多い「不安」の診方)の「乳幼児健診で発達に問題があるかもしれないと言われて、わたしの育児のやり方が間違っているのではないか、とても心配です」の家庭医と若い母親のやり取りに対する誌上メンタリングの原稿(案)です。 オープンダイアログ、ビレッジアプローチなどの考えを入れています。
①ひとりでしない、ひとりにしない
 受ける側にも余裕が必要ですが、まず相談してくれたお母さんの訴えに真摯に耳を傾け、共感しているところから入っているのはいいですね。助けを求め相談しつつ解決していく力が、こころの健康のために一番大切なことです。この力を身につけるためには相談してよかったという体験を重ねてもらうことが大切で、相談を受けた側もまた「出来ることは助ける、出来ないことは相談する」ということが必要です。支援者の姿は親に、親の姿は子どもにも伝わります。
②ソーシャルサポートの有無と親の病的な不安にも注意
 「子育て、大丈夫かな?」と心配されても、子育てはまだまだ母親任せで、情報的、心理的、実際的なサポートの体制は地域によってまちまちです。継続的に関わり、親子へのサポートの状況を確認して手助けを増やし、余裕と安心感がもてれば不安は軽減していくはずです。それでも不安が強まるようなら病的な不安だったり、他の問題をかかえていたりすることもありますので精神科医もチームに加えてみてください。
③育てにくさに寄り添う子育て支援を
 子どもの育ちは十人十色で多様なもので、本来、多数派か少数派かの違いはあっても正常、異常の区別はありません。ただ感覚過敏などのために情報が多すぎて混乱しやすい子、行動制御に困難を抱えている子、育つペースがゆっくりの子もいます。できるだけ叱らないで、おだやかに言って聞かせる、忍耐強い子育てが大切です。周囲が通常の子育ての方法やペース、環境にこだわると、子どもは苦痛や不安をかかえ、混乱した状態のまま放置されることになります。一般の子育てでも使える構造化やペアトレの方法をアドバイスし、必要なら詳しいアセスメントや支援を得られるよう専門家の助けを求めてみてください。
④社会みんなで育てる
 社会の中で他者の助けをかりつつ生きる力をつけるのを目指すのはどの子であっても同じです。発達の特性は成人になっても残り、福祉的支援が必要になることもありますが、個性や能力として社会の中で上手く活かせることもありますし、困難さに関しても合理的配慮が得られる社会に変わってきています。目先の症状にこだわるよりも二次的な問題を予防することの方が大切です。親がその子をありのままにみて、その子なりの発達をとげられるように、いろんな力を借りながら出来ることで応援していただければと思います。
明日を今日より少しでもマシな世界に。

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2017
07.11

道徳教育は対話をベースに

Category: 未分類
生命倫理学のレポートを出せと言うので以前のまとめをやや改変。学校教育現場ではいまだに効果が薄いとされるベル・ランカスター方式の一斉授業が多く、政治的な議論を避けているのは単に時の権力者に都合がいいからだよねと思わざるをえない。不道徳ら連中が推進する道徳教育(安倍首相の写真が何度も出てくる教科書を使って!)なんて笑い話にもならない。

「適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。一方、倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。倫理に明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしかない。

 知識の伝授では無知に起因するエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?研究不正を予防するための倫理の教育もまた試行錯誤のようであるが、e-ラーニングとディスカッションを組み合わせた授業などは、ベースとなる知識とともにさまざまな視点も得られ、対話の練習にもなるなど効果的だと思った。我が国でも義務教育の学校教育の時期から一方的な道徳の授業を導入するよりも、このような対話をベースとしたアクティブラーニングを推進すべきだろう。

 自分が強すぎて社会常識に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくかったりする脳のつくりの人は一定数どうしても存在する。特に研究者を志向する人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、反面、コミュニケーションは苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうこともありうる。ルールやガイドラインの明確化や、告発窓口やチェック機構を整備するなどシステムとしての解決も推進すべきだろうが、その上で大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、継続的な対話をあたりまえにすることだろう。

 オープン、フラット、シェアがベースのコミュニティをベースに市民とも対話を繰り返す。さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティの中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができるのだと思う。
 そしてそれは科学の世界のみならず、一般社会においても差別の解消、民主主義、世界の平和にもつながる人類普遍の根本的な考え方だと思う。」

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.11

歪められた行政。加計問題。一次が万事だと思うよ。

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政治を私物化したあげく嘘やゴマカシで開き直る、いまの政治、行政のあり方が、ちょっとひどすぎるので一言。
結局は国民一人ひとりが賢くなって政治から目をそらさず、それぞれの方法で政治参加しつづけるしかないだろうけどね。

森友、加計問題では国会中には追求から逃げまくっていた与党。
アリバイ的に「行政が歪められた」か否かを問う、閉会中審査が開催された。
安倍首相や加計孝太郎氏をはじめとした関係者がいないんだからそりゃ新しい事実はでてこないだろう。

不透明なところでコソコソやって一部の人達が政治を私物化したというプロセスを問題にしているところに、それを告発した前川氏への個人攻撃に終止する与党議員。
そこしか責めるところがないのだろうけど話のすり替えに必死で滑稽でした。
安倍首相も逃げている中、自民党の鉄砲玉として矢面に立たされた、平井卓也(元自民党ネットサポーターズクラブ代表)議員も、青山繁幸議員、お疲れ様でした。
もう次はないだろうね。

そして参考人としてでてきた加戸守行前愛媛県知事もまたおかしかった。

そもそも「政治が歪められたプロセス」を議論している本筋とは関係ない、四国の産業獣医師不足の悲願と、長年認可をもとめてきたという苦労話を延々としていたけど(そりゃ報道されないのも当たり前だ)、良く聞くとおかしいところばっかり。

あえてその話にのっかるとしても、四国に本当に公務員獣医師、産業獣医師が足りないなら、今わざわざ今治に加計学園の大規模な単科の獣医大学を新設しなくてもより低コストかつ効果的な方策はいくらでもあるだろう。

 まず、奨学金制度や処遇を充実させたりすればいいだろうし、獣医学部の入学定員ではなく、国家資格である獣医師免許の資格のあり方を議論してもいい。
 どうしても四国にも研究、教育機関としての獣医学部が必要というのなら実績もある愛媛大や香川大の農学部などをベースに増設するほうがよほど自然。国策として公務員の産業獣医師がもっと必要というなら、産業獣医大なり、自治獣医大なりをつくるほうが、数も読めるし質も量もコントロールできる。

 加戸さん、途中で話がかわっちゃってたけど世界と勝負できるライフサイエンスを充実させたいというのなら、理学部、農学部、医学部等の他のライフサイエンス系の学部も含めた研究教育費の配分の話しになるだろう。そこで何故、これまでの実績も経験もなく、実力も未知数、というかライフサイエンスっていうのなら今回、同じく獣医学部を新設したいといっていた京産大の案にくらべても圧倒的に期待出来なさそうな加計学園なのか。
それでもどうしてもつくりたければすべて私財を投じてつくってくださいという話です。

 そもそも国公立に比べて学費もかかる私立の大学で募集の時点での地域縛り、産業獣医師、研究職縛りをかけていない時点で、期待したような目的が達成できるともおもえない。国家試験の時点で苦労するだろうし、獣医師資格を得てもペット獣医になる人が多いのではないだろうか・・。

あ、授業の質とか学生の将来とかなんてどうでもよくって、ただたくさん学生さえがあつまればそれでいいのか・・。ビジネスだもんね。

 彼らが獣医学部にこだわるのは、今から地方に新たに大学をつくるとしても、作りやすいグローバル国際環境情報政策福祉学部とかだったら、全入時代の今、よほどの特色がないともはや学生が集まらないからだろう。そりゃよほどじゃないと地方の学生は都会行きたいでしょ。都会の学生もよほどじゃないと地方にはこないよ。
一方で今でも人が集まりやすい医療系だったら教育も許認可も大変そうだけど、獣医学部なら学生も集まりそう、簡単に作れそう、くらいの理由しか無いようにおもえる。

 しまなみバブルでうっかり開発してしまった「塩漬け状態」の土地の精算処分と、地方&国政の政治家とそのお友達の学校屋、土建屋連中に都合がいいだけのスキームを描いていたわけで、この人達は日本国民、今治市民、獣医師、そこで学ぶ学生の人生のことなんてこれっぽっちも考えていないように思えます。

こういった議論をあかるいところでやらないから、加計ありきっていわれるんだよ。

学生はあつまらないだろうなぁ、つくり始めた建物どうするんだろうね・・。
借金だけのこって今治市は夕張市、銚子市のようになるんだろうな・・。そしてそれは日本全体の未来でもある。きっと基地でも、原発でも、中央リニアでも、オリンピックでも似たような構造なんだろう・・。

市民は預けた税金の使いみち、みんなのルールの作成、運用に対してもっと厳しい目を向けならなきゃダメ。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.08

ユニバーサルデザインと合理的配慮

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バニラエアの件、乙武さんのイタリアン襲撃事件がデジャヴですね。(私の過去記事
乙武さんも今回の件に関して意見を述べられているようですが。

少数派ゆえに苦労することは不条理に感じることは多いだろうが、障害を持つ子どもたちには援助希求と、どういうことで困っているか、できればどういう助けが必要かを主張できるようにと関わっている身とすると(あとは社会の側の課題)、どういう配慮が必要か、航空会社としてどういうことが出来るか落ち着いた明るい場で対話はできなかったのかなとは思う。
過去の青い芝の会のバス闘争の頃とは違い、いまは障害者差別解消法もできたのだから、窓口や世論、裁判に訴えることもできたはず。

今回の件に関しては本人はあえて航空会社側が求めていた5日前に予約で相談してないわけです。(対話に応じていないとも言える)。意図的であるようだから乙武氏のイタリアンのときと同じサプライズ(奇襲)であす。
その段階で車椅子を理由にお断りされたらそれを社会で問題にすべきだと思うが(差別解消法ができた今となっては裁判となれば負けないだろう)航空会社側にも安全のための緊急時の90秒脱出ルールとかいろいろあるようだし、他の車椅子の方との座席の兼ね合いなど準備も必要だろう。

現場では規則もあるわけだし、準備する余裕もなく対応せざるをえなかった航空会社側も怪我をした場合の責任問題とかいろいろ考えたのだと思う。まあ、その規則が合理的かどうかはともかく現場で決められないなら可能な限り上の判断を仰ぐくらいはしてもよかったかと思うが。

これが例えば人工呼吸器ならどうか、小錦ならどうか、風呂に入らないことがこだわりの精神障害者ならどうかなどと考えるとモヤモヤしてしまうわけです。

もちろんどんな障害がある人でも、いきなり求めて相応の配慮を得られれば理想ですがあらゆる障害に関してあらゆる備えをしておくのは現実問題として合理的ではないと思う。あらゆる場を100%のユニバーサルとするにはコストが無限に必要ですから不可能です。公共空間でのユニバーサルデザインでできるところはやりつくして、どうしても残った部分が個別の合理的配慮ということになるのだと思います。

そして合理的配慮(障害のある方から何らかの配慮を求められた場合、負担になり過ぎない範囲で配慮をする義務がある)とは対話だから。その場その場で判断は代わり、その妥当性については判例を積み重ねるしか無いというのが法律家の見解です。

木島氏は経験豊富でバリアフリーに関するコンサルタントや講演もされてきた方のようですし、相手は新興のLCCなのだから教えてあげて、それで応えてもらえなければはじめて問題にすればよいことだったのではないかと・・。

それでいろいろ批判もでているわけですが、炎上狙いだとしたら成功したんでしょうね。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.08

倫理とは何か?いかに身につけるのか?

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社会人大学院で「研究における倫理」の授業だった。学生として1日通しての授業は懐かしい感じ。

あらかじめCITIJapanのe-ラーニングを受けた上での、グループディスカッション。
現時点における基礎的な理解の共通基盤、テクニカルターム、キーワードについての理解がズレているとディスカッションにならないので、こういう教授法はとても良いと思った。

なるほどと思ったのは適法性と倫理性の違い。

適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。

そこに明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしか無い。

また科学的分野の研究活動自体、善意(嘘をつかない、不正はしない)ということに基づいているためはっきりいって不正を防止する方法はない。
研究結果はオープンなコミュニティの中でのピアレビューや追試などによる再現性などで評価検証されるが、事後措置としての不正行為に関しての監視はやりきれず、不正行為が増えると防止策や監視のためのコストもかかってしまい科学に対する信頼性も揺らぐ事態になる。

こういった事態の予防のための教育を研究者の卵のうちからしようという話になり、このような授業もあるわけだが、これもまた試行錯誤のようである。無知のための故意でないエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?

グループワークでは小保方氏らのSTAP細胞の事件を彷彿させる、「ばれなきゃOK」という小さな研究不正(捏造、改ざん、盗窃など)が積み重なり、データの捏造という不正が発覚し大事になり、研究者が自殺に至るようなシナリオについて話し合ったりした。

どうして、このようなことがおこるのか?

研究者になる人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、コミュニケーションが苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうのだろう。

どのような対策ができるのだろうか?そして過ちに気づいた時に度のタイミングでどのようにリカバリーできるのか?


一定数、平均的な見方に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくい脳のつくりの人はどうしても存在する。特に研究者を志向する人にはこういう人も多いかもしれない。告発窓口やチェック機構など、システムとしての解決も図られるべきだが、結局、ここでも大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、対話なのだろうということ。

さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティ(ひろくは一般市民を含めた社会全体)の中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができる。

やっぱりここでも「ひとりにしない、ひとりでしない」ことだろう。

ふと、考えたのはこの国の政治体制である。

言葉が乱れ、嘘や不正がまかり通り、対話が成り立たない権力者が、情報を秘匿し、過ちを指摘されても「指摘はまったく当たらない。問題ない。どうだっていいじゃん、そんなこと」と開き直って居座っているこの国の政治のあり方には不安をいだかざるをえない。

選挙を通じて国民の代表として厳正に選ばれた人たちのはずだが、何故か最低限の言葉や倫理性も通じない人たちが権力の中枢に居座って政治を私物化している状況が悪化している。これは国民にとっても政治家にとっても不幸なことであろう。

その結果、倫理性どころか適法性のレベル(憲法尊守など)で疑惑が次から次へとあふれでており情報統制や強権をもってしてももはや糊塗しきれなくなくなってきている。

知名度を売って勢いに乗った政党の公認を受けて当選し、党議拘束に従って投票する簡単なお仕事になりさがってしまっている政治家には、現時点での近代国家の民主主義の到達点の最低限の土台や言葉を学ぶe-ラーニング(特に人権、憲法に関してなど)で学んでもらうことも必要かもしれない。

そして国民全体が賢くなり、社会における対話の総量を増やし、発言、行動していくことが必要なのだろう。

明日は今日より少しでもマシな世界に。


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2017
07.04

ひとりでしない、ひとりにしない

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自閉症で行動障害がでて手がつけられなくなった方のパターンとして、特別支援学校などで熱心だがスキルに欠ける先生が、素と素で関わりすぎ本人の要求に応えすぎて属人的な対応になり、先生の移動や本人の卒業などでその関わりができなくなった時に本人が混乱してというパターンが多い気がする。

ひどい場合はその先生がお休みのときは対応できる人がいないので休んでくださいといわれたとか・・。大変なケースほど、ひとりでしない、ひとりにしないで、関わり方を統一しつつ多くの人がかかわり手がかりを人からシステムに移して構造化をすすめていくのがセオリーであろう。

 もっともこれは支配性の裏返しと言うか、親や支援者にもあるパターンではある。他に支援がないというのもあるだろうが、何事も一人で頑張っちゃったらいけない。佐久の若月俊一先生や、夕張の村上智彦先生もよくおっしゃっていた事ですが、 地域医療におけるスーパードクターも同じ事。

「ひとりでしない、ひとりにしない」「できることは助ける、できないことは相談する」
これをみんなが自然にこれができる社会ならどれだけ生きやすい社会になることだろう。

明日を今日よりも少しでもマシな社会に。


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2017
06.18

安倍チルドレンの中に”りりぽん”はいないのか?

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学級会以下の崩壊状態の国会が終了し「共謀罪」が成立した諦めと無気力が蔓延する日本という国ですが、国民の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?


政治に関心を持たせないための国策の「パンと見世物」の一環ともとれる、心底どうでもいい第7回AKB選抜総選挙の発表イベントが開催されました。

沖縄のビーチでの開催も悪天候のために観客なしでの開催だったそうですが・・。


そこで”りりぽん(20)”なるNMBメンバーのアイドルが、「恋愛禁止、うんこもしない」とファンを信じさせるのが掟であったはずのプロアイドルとしては掟破りの電撃結婚発表(超個人的な空気を読まない言動)をしたということが話題になっています。 
そして得票は20位ながら、”さしこ”のトップ、”まゆゆ”の卒業などをすっ飛ばしてすべて話題をかっさらっていったそうです。

「風穴をあけるっす」「面白い未来はりりぽんに任せてくださいっ!!」などと言っていたそうだから、確信犯でのブルーオーシャン戦略なのでしょうか?

まさに目的は達成されたわけであります。

それともそうでもしなければ抜けられないなどの深い事情があったのでしょうか?


いやむしろAKB商法も賞味期限切れの感じもあり、スキャンダルも含めての商品だから、すべて秋元康(&電通&自民党)あたりもかんだ上での仕込みの炎上商法の可能性も捨てきれない。むしろそっちの可能性の方が高いかもしれません。
ファンの悲鳴や先輩方の反応やコメントも話題になっていますし。

だとすると狙い通りなのかもしれません?


ところで、この話題を聞いて個人的に感じたことです。

それは国民からも自民党執行部からもバカにされている職業として政治家を選んだ安倍チルドレンたちのことです。


どう考えても政治家としての資質にもとる元バレー選手や、アイドルユニットスピードのメンバー、料理研究家などが「知名度を元に当選し、党議拘束に従って投票するだけの簡単なお仕事」につられ選挙にでて当選して議員になりました。


しかし今の安倍政権のモラルにもコンプライアンスにも欠ける言動をみて、国民の声を聞いて一人くらい電撃記者会見を開いて政権のあり方に疑問を投げかけ、共謀罪に反対票を投じる与党の議員はいないものかと、こう考えるわけであります・・。


党執行部は過去の経歴からの知名度はあっても、ポリシーはない、執行部に逆らわない、考えもしない、そんな力も無い人、国民ではなく党の方しか見ない人だけを第一に厳選して公認しているのでしょうが・・。

しかしおっちょこちょいで目立ちたがり屋でどうせポリシーなど無いのならば、今こそ人生最大の最大の見せ場だったかもしれないのです・・。

党執行部に反対する自体は違法でもないし、まさか生命まではとられまいでしょう。

今、このタイミングなら国民の多くも全力応援します。


いや、もはやそうでもないのか?

すでに弱みも握られていて見せしめで御用メディアを総動員した人物破壊や、なんだかんだの罪状で無理やり逮捕されたり、裏社会にも手をまわされ家族を人質にとられている奴隷たちなのでしょうか?

((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル)。


私が発達障害の人に期待し希望をもっているのはこういう部分であります。

集団の論理に取り込まれず、普段は集団に排除、迫害されながらも、そのマイペースさ、KYさゆえに集団の危機を救うこともあるかもしれないのです。


明日を今日よりも少しでもマシな社会に。




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