2017
05.16

信州の発達障害支援を考えるシンポジウム

Category: 未分類

平成28年5月13日、信州大学子どものこころ診療部セミナー(シンポジウム)が開催されました。


シンポジスト
   新保 文彦 氏(長野県松本圏域発達障がいサポマネ)
   藤村 出 氏(NPO法人SUN理事長)
   高橋 知音 氏(信州大学教育学部教授)
コーディネーター
   本田 秀夫(信大病院子どものこころ診療部部長)


セミナー2017 


自分なりのまとめをシェアします。

会場外で聞き取りにくい無線で聞いていたので、自分フィルターを通して、最近読んだ本や当事者や会場での対話などを含め、考えたことを補足して自分の言葉でまとめた理解です。シンポジストの発言と細かい内容は違っていると思います。

支援の必要性に幼少期より気づかれ心配されていても連携がうまくつながらず支援が途切れてしまうことが多い。もったいない。特に思春期〜青年期前後で医療も教育も福祉的支援も空白地帯となる。大学、社会に出る段で失敗体験から二次障害に。ライフステージを見据えて関わることが大切。

気付かず型、がまん型の潜在ニーズを放置し二次障害をきたす事例にしないための啓発活動と、障害の有無をとわない出生時(出生前)からの広く一般を対象としたインクルーシブでユニバーサルな支援が必要。正しい理解と効果的な支援技術を広く一般に知ってもらう。親支援と親の仲間づくりも。

そもそもみんな違うことがスタート。ダイバーシティを前程とする。それぞれにあった育ち方、育て方がある。みんなと同じを捨てる。その上で社会に認められる生き方。協調性、同調圧力よりも社交、公共性。それぞれ得意なこと、苦手なことは認めあい、助け合う。それを認める社会に。

ASDやADHDへの理解は広まってきたが学習障害は見過ごされている。学習困難があるのは成績不良で分かる。学習効果があがらないのは教師の責任。合理的配慮(教育的配慮)は医療の診断を得なくてもどんどんすればよい。視覚支援、聴覚支援、テクノエイドなどはどんどん使っていけばいい。ただ入試などの試験での配慮には現状では医療的な診断が必要。

ASDでは趣味や余暇活動や仲間づくりにも支援が必要。学業や就労支援よりむしろこちらが先。行動援護やネスティングの場が鍵。好きなこと、興味のあることを通じて他者と活動することが自己肯定感を高め、社交スキルを養い、力をためる場になる。部活動などの課外活動を学校教育と切り離した場でできないか?

支援もスペクトラムで。バラバラの医療、教育、福祉の壁を超えるコーディネーターやサポマネのうごきが鍵。ケア会議が大切。ライフステージを見据え、ミクロ、マクロ、メゾの視点、バイオメディカル〜サイコソーシャルの視点をもち、病や障害をもちながらの人生計画の設計士たる医師ももっともっと現場にでていけるような診療上の体制になればいいなぁ・・。


セミナー20172 

いとぐるまの会で作成した啓発パネルも展示


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2017
05.16

子どものための精神医学

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「子どものための精神医学(滝川一廣著)」読了。

この本、めちゃくちゃいいっす。中井久夫先生のお弟子さんだけあって中井久夫の本を読んでいるときに感じるような重厚感と丁寧さ、教養の深さが感じられる本です。
発達をピアジェ的軸(認識の発達)とフロイト的軸(関係性の発達)の二軸から読み解く発達の話が中心ですが、医学生物学的なこと、家族や社会の変化などなことについても丁寧に述べられています。
いわゆるハウツー本のようにスラスラよめる感じではありませんが、骨太で自分が常々考えていたことに言葉やシェマをあたえてくれます。また事例や周辺の知識、具体的、実践的な考え方や姿勢もたくさん述べられており基本的な考えが理屈から整理できました。
子どもの発達にかかわるすべての人にオススメです。


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2017
02.18

人生はアウト・オブ・コントロール

Category: 未分類
<「統合失調症のひろば」の原稿(案)。意見求む。 >

  働くってなんだろう。働かざるもの喰うべからず、働かなきゃダメみたいな社会を支配する価値観がボクらを日々追い詰める。働くことは苦しいこと、お給料をもらっているのだから我慢しなきゃだめ?好きなことをやっていちゃダメ?お金をたくさんもらえるほうがエライ?誰のために?何のために働くの?いろいろ考えはつきない。英語でも「働く」という言葉にはレイバー,ジョブ,ワーク, コーリングなどといろいろあるらしい。レイバーは強制労働、コーリングは神様に呼ばれたというニュアンスで、もがきながらもできれば生きている間に少しでも天職に近づきたいと思う。 

  さまざまなものの多様性が減少している時代、職の多様性も急激に減少している。機械化やグローバル化で、農林水産業などの第一次産業、ついで製造業などの第二次産業に従事する人がへり、海外に出ていってしまった。そして今や第三次産業だけで70%を占める。コミュニカティブでない人には辛い時代である。家族、親族や地域の人でやっているような身の丈にあった自営や小規模の会社が減った。そして地方都市はどこの町も同じようなイオンモールの間にセブンイレブンが点在する似た顔つきの町になりつつある。ネットを開けばアマゾンやグーグルはまるでボクの考えや趣味を知っているかのように次々と物欲を刺激して恐ろしくなる。そのバックヤードや配送に従事する人の顔は見えない。一見キレイな世界の裏側は簡単には見えないように隠されている。 頑張って勉強して借金までして大学に行ってよさそうな職場に就職しても、うかうかしていると生活の場から切り離され奴隷のような長時間労働を強いられかねない。株主利益を最大化することが目的にされれば、遠い未来のことなんか考えることもなく、まっとうな働き方なんてすぐにどこかに飛んでいってしまい非道な働かせ方がまかり通るようになる。国民はアンダーコントロールで、ブラック企業で人間の限界に挑戦するオリンピック?まるでブラックジョークだ。本当にこの道しかないのだろうか? 

  産業革命以後、機械を動かせるようになり、ICTも発展し人工知能がさまざまな人の仕事を代替してくれるようになった現在どうして少ない仕事のポストをあらそって、死ぬほど働かなければならないのか?何かがおかしい。仲間や家族と日々の生活を楽しんだり、じっくりと人を育てたり、いつどのように役に立つかわからないけど自分の興味のまま研究活動や、今の時代のだれにも理解されないかもしれないけど芸術活動などに思う存分皆いそしめる時代になったはずなのに。最後のサンクチュアリであった大学というところすら今やコミュニケーション力や即物的な成果をもとめられる。 

  私が勤務していた北アルプス医療センターあづみ病院のディケアでも就労支援プログラムというのがあり、「就労に向けて必要な病状の管理」みたいなテーマでのレクチャーを担当していたことがある。就労準備性を高めましょうという目的で、「コミュニケーション」、「働くこころがまえ」、「生活リズムを整えようとか」、「自分の調子に気付こう」とか、「だれに相談するか決めておこう」、みたいな内容でのレクチャーとディスカッションが中心のまあよくある内容だ。しかしこのような座学中心のステップアップ方式の就労支援ではなかなか上手く行かない印象であった。これは会社に就職するための職業訓練という発想だからだろうか?なにしろ参加者の状態や程度は様々だし、いろいろ出来ることはあってもハードルが高すぎて働ける場がないのだ。一方で就労支援をうたっている事業所も障害者を支援の対象者に追いやりあえて自立させずに、囲い込み、ビジネスとしてとらえているようななんだかなぁというところもある。地域密着でやっているとそういうところはなんとなく分かるが他に選択肢がなかったりする。 

  障害者就労支援業界では最近はIPS(Individual Placement and Support)モデルという方式が注目されている。まず本人の少しでも働いてみたい、こんなことをやってみたいという気持ちを大事にする。それをとにかく始めてみる。そのために必要なサポートがあとを追いかけていく。この子ども版の実践が「ぷれジョブ」活動で、若者版の実践が「静岡方式」とよばれているものに相当するのだろう。この方が天職に近づけそうな気がする。 そのためにはその人のことを理解した上で面倒をみてくれる人と連絡がとれるくらいの地域に広がるネットワークが大事である。どの街にも理解者やこのようなおせっかいな人がいる。見のいい人が町の何でも屋をつくり、障害支援の制度を利用して事業にしているところもふえてきた。見知った人間関係の中で、支援付きで試行錯誤する。試してみるだけで大成功。難しければ引き下がってもいいというような場だ。こういった場の開拓やつなぎを自分で直接やることもあるし、頼りにしている支援者にお願いすることもある。ピアの場で、他の当事者を元気にする役目をお願いすることもある。当事者からも支援者からも相談をうけ仲介するよろず相談所だ。別に医者がやらなくてもいいのかもしれないけど、ボクの大好きな青木省三先生も自分のやっていることは就労斡旋業だといっておられたから、まあダメではないのだろう。最近の言葉を借りれば社会的処方の一つだろう。 

 だいたい統合失調症の人はまじめな人が多い。過敏で空気を読みすぎるが、厳しい眼差しの中ではヘトヘトになってしまう。やっぱり働きたいと思っているが、自己理解をすすめ自分なりのペースを見つけて対処が上手になるまでには苦労を繰り返しがちだ。最低限のスキルを獲得したら、あとはあたたかいまなざしの中で、仲間を得て、役割をもつことができれば病状も安定することもよく経験する。ただ季節や天気も含め様々な要因で調子を崩しやすいし、無理はできない。このあたりが理解されにくく、精神障害者はわからないということになってしまう。通訳やコーチが必要だ。 あづみ病院では就労支援室というのをつくり、病院の食器洗浄、ついでユニフォームのクリーニング場を支援付きで働く場として提供している。さまざまな精神障害のことをよくわかっているスタッフも一緒に入り、いろいろ試してみることが出来る。これも病院の機能のひとつとしてすっかり定着した。ここを足場に仲間を得て、自信を、ついで人生を取り戻し社会参加の足がかりにしていく方も増えている。人が成長したり回復したりする現場に関わるのはこっちも元気になり成長することができる。その人にあった働き方をすることができ幸せ、支援をする人も仕事を得て幸せ。これぞ広い意味でのワークシェアリングだと思う。

 そもそも人生はアウト・オブ・コントロール。想定外の事態ばかりだ。ひとりでは生きられないのも芸のうち。自分や家族に何らかの障害がある人は、ただ生きているだけで存在役割を果たし、世界の多様性を担保しているという重要な仕事を担っている。自閉的な人は自閉的に、多動的なひとは多動的に、それぞれの表現方法をもって何らかの形でその体験を表現するだけでも十分立派である。さらに余力があり、猛烈なニーズがあれば、それで出来る事業、同じようなニーズのある人を助ける事業をそれぞれの身の丈にあわせて起業したりして行動役割を見つければいい。そんな人たちを日々、自分のできることでお手伝いする毎日が楽しい。

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2017
02.07

多様な親、多様な育ちを支えるために出来ること

Category: 未分類

長野県の子ども白書2017に執筆予定の原稿(案)です。ご意見よろしくおねがいします。

【育ちの臨床に関わるようになったわけ】

 昔から私はどうも世間離れしすぎていて生活者としての実感がもてないというコンプレックスがありました。しっかりと地域に根を張って生活している人たちに接したくて、農山村部での地域医療を、そしてリハビリテーション医療(障害の医療)をこころざしました。思うところがあって精神科に軸足を移し、有床総合病院の精神科という第一線の現場で、外来、訪問、病棟と昼夜休日を問わず働いてきました。あらゆる精神疾患と様々な人生が交差する場で地域医療の最後の砦であるという誇りをもった多職種チームで困難なケースに取り組むのは大変だけど、楽しい日々でした。そのうちに思春期や発達障害のケースを多く診るようになり、子どもを授かったのを機に子どものこころや育ちの支援について大学でも学ばせてもらっています。

【ボクらの産後クライシス】

 うちは夫婦とも医師の共働きですが子どもがなかなか授からず不妊治療をおこなってきました。治療中の負担も大きかったですが、先の見えない治療中、子どもがいる人といない人の分断を感じ、親戚や同僚、友人の子どもの話を聞くのも辛いと感じたこともありました。子どもを授かったことは喜びではありましたが、それまでと全く違う生活に突然放り込まれることになりました。小さな子どもは誰かが常に側でケアしなければならない存在で、周囲の大人に生活を変えることを要求します。これまでも家族のケアをしている人に関わることも多かったのですが、本当のところ育児や介護などケア責任を負う生活をイメージできてはいませんでした。どちらの実家も遠方で、寝不足で体力も削られ、仕事もまわらず家は修羅場となりました。遅ればせながら仕事の軽減を職場に求めるも上手くいかず、いったん退職することを決めました。そのころ同じような問題意識をもつ佐久医療センターの仲間が、アイナロハの渡邊大地さんを呼んで父親学級を開催しました。それに夫婦で参加しましたが、産後は夫婦のスレ違いが大きくなり危機となりやすい時期であり、産後の大変さ、夫婦の考え方、感じ方の違いを知り、対話を促すような機会は必須だと痛感しました。

 共働きであったため双方が仕事をセーブして家事と育児をシェアすることにし、妻の職場への本復帰にあたり、退職前にほぼ使ったことのなかった有給を使いきり慣らし保育の送迎をしました。思春期や発達障害中心の外来のみを継続して、大学で比較的自由のきく立場で勉強させてもらうことにしました。

【子どもや親にも厳しい社会】

その頃から不思議な事に診ていた患者さんたちが次々と子どもを授かり始めました。精神疾患をもちながらも結婚し、お薬も調整して何度かの妊娠で子どもを授かった女性がいました。能力はそれなりに高いものの疲れやすく無理はできず、不眠や対人関係のストレスで調子を崩しやすい方でした。本人は自分の病状もよく理解しており、周囲の支援者に頼るスタンスもありました。しかし例にもれず夫は長時間労働で、親も高齢で要介護状態といった状況で、本人と夫、支援者でも何度も話し合い、ヘルパーや訪問看護の導入など出産前から準備を重ねました。しかし周囲が「母親」に求めることはただでさえ多く、特にサポートの必要な産後でもフォーマルな支援は乏しい状態です。父親が育休を取ることができればまた違ったのかもしれませんが、結局、自宅での子育ては無理と判断され子どもは乳児院に保護されました。母も精神不調となり入院も必要となり、紆余曲折の末、面会と外泊を繰り返し、保育園を利用できるタイミングで子どもも家へもどることになりました。なんとか皆でささえていければと思っています。
 出産時期が遅くなると親世代も高齢となり介護を要する状態となる可能性も増えてきす。ただでさえ大変な子育てですから、ダブルケアや親や子どもに何らかの障害があるなどのケースはなおさら大変です。長時間の労働の必要なく生活ができ、男性もあたりまえに育休がとれる文化、出産直後に家族が育児に慣れていける施設やサポート体制、誰もが子育てや教育にお金の心配をしなくてもいい社会制度、そしてフィンランドのネウボラのように切れ目なく全ての子どもと家族に寄り添うフォーマルな支援と地域に様々なインフォーマルな支援がたくさん必要です。

【それぞれの育ちを見守りささえる】

 子どもは親とは違う人間であり、親の思うようには育たないものです。それぞれのペースやこだわりがあり、興味や能力を育んでいきます。大人は子どもが本来持っているものを最大限に発揮するための環境を用意すること以外大したことはできません。子どもにとって楽しく、安心でき、やっていることの意味がわかり、あなたは大切な人で生きている価値があるというメッセージがあふれる環境を整え、共に学び、楽しめばいいのだと思います。

 不登校も問題になっていますが、平均的な人向けに仮に用意された教育メニューがどうしても合わない子どももいます。「特別」と「普通」という2匹の魔物にとらわれると、苦しむことになります。同調圧力の強いこの国の学校では個性的な子は、いじめをうけたり、過剰適応して“がまんエネルギー”を使い果たしたりして学校にいけなくなります。障害特性に応じた合理的配慮も必須となり、特別支援教育も以前よりは整備されてきましたが日本で対象となるのは3%弱、これがアメリカだと10%、フィンランドでは30%だそうです。日本の教育の文化が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 思春期には将来の自立に向けた試行錯誤が必要となり、一律の教育よりもだれもが支援をうけながらさまざまな体験を積めるような環境が重要です。自分の権利を守ることができ、他者の権利を侵害しさえしなければ、あとは得手に帆を揚げてナリワイを見つけて生きればよいのです。今ある仕事や組織が将来に渡って安泰とはとても言えません。案外、今後はスローで丁寧な暮らしが見直されるのではないかとも思います。

【医療に出来ること、出来ないこと】

 社会には多様な家族があり、多様な育ちがあります。本人の少数派の特性ゆえに居場所が見つけられず排除され苦労することもある一方、社会的弱者を包摂し救うのもまた文化と社会の多様性です。しかし様々な障害をもって生活することを他者が想像するのは難しいことです。それぞれの体験に耳をすまし、対話をつづける中で、仲間づくりをしたり、だれもが声をあげていける場をつくったりすることが必要でしょう。診察室にはさまざまな悩みをかかえた親子が訪れます。医療に出来ることはあまりないのですが、時にはお薬も使いますし、医学、心理、社会的知見を活かして皆が動きやすいように診立てて、家族や周囲の人との対話がつながるように支援します。心理的、情報的サポートだけでなく、実際的なサポートも圧倒的に足りません。よろず相談かつ自分のすべてを総動員しますが、自分が出来ることは助け、できないことは皆に相談して一緒に悩みます。専門家としてだけではなくときには枠を超えて隣人や友人として付き合わざるを得ないこともあります。

【子どもたちの未来のために】

 子どもの貧困や教育への投資を通じた社会的格差の是正の必要性を強く感じています。お金では幸福を買うことはできないかもしれませんが、不幸は減らすことが出来ます。みんなから集めたお金の使い道や、皆が気持ちよく生きていけるための社会のルールとは自分たちで考えよく話して決めたいものです。まずは生活から切り離された姿の見えない巨大なブラックボックスのシステムに自分たちの生活を委ねるのはやめ、身近な顔の見える関係から対話を重ねることからでしょうか。
 オープン、フラット、シェアが現代のキーワードだそうです。共感する仲間を増やし、様々な社会的課題に挑み、地域に必要な様々な社会共通資本(ソーシャル・キャピタル)を守り、作り、育て、真の意味で豊かな社会をつくっていきたいものです。

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2017
02.05

精神科は患者の医師への依存性が高い?

Category: 未分類
いやはや、なんとも・・という事件。


薬物容疑の医師再雇用 「代わりいない」苦渋の選択 北九州の療育センター 警視庁が書類送検


北九州市と同市福祉事業団は2日、市立総合療育センターの30代男性精神科医が、東京都内で危険ドラッグを所持したとして医薬品医療機器法違反の疑いで、警視庁から東京地検に書類送検されたと発表した。医師は1月30日に依願退職したが、センターを運営する同事業団は「代わりの医師がいない」として同31日付で臨時職員に再雇用。3月末まで診察を続ける。

 同事業団によると、医師は昨年12月10日、東京都内で警察官の職務質問を受けた際、危険ドラッグの「ラッシュ」を所持していたことが発覚。1月18日付で書類送検された。尿検査は陰性で同事業団に「知人にもらった。自分で使うつもりだった」と話したという。

 医師は2015年4月から勤務し、発達障害やうつ病の中学、高校生の外来患者など約450人を担当。センターの精神科医は1人だけで、思春期以降の子どもを診る精神科医は全国的にも不足しており、同事業団は臨時雇用の間に代わりの医師や患者の引き継ぎ先を探す。罰金刑以上が確定すれば厚生労働省の「医道審議会」で医師免許停止など行政処分の対象になるが、現時点で診察に問題はないという。

 同事業団は「精神科は医師への依存性が高く、急にいなくなれば、患者が自殺や自傷行為を起こす可能性もある。苦渋の選択だ」と説明。発達障害の子どもがいる福岡市の女性(52)は「医師として正しい判断ができるのか疑問。診てもらいたくないと思う親も多いのでは」と話した。

=2017/02/03付 西日本新聞朝刊=



確かに思春期以降の子どもをちゃんと診ることのできる精神科医は不足しているが・・。 
かつて指導医から「自分に依存させ、自分がいなくなったら自殺するような患者をつくってはいけない。それは下手な治療もいいところ」と教わった。

 これは組織としても個人としてもマズイ治療。
医師一人に依存させ続ける状態を作ってしまってはダメでしょう。
もしもそういう患者がいたとしてもせいぜいクライシス状態の数人のはず。 

多問題で大変なケースほど多職種、多職域で抱え、医師は治療チームの一部としてだんだん引き下がっていくのが理想です。 

容疑の段階ではあるが、本人への治療が必要な状態なのか?どうして危険ドラッグの保持していたのか?好奇心からか新奇追求性からか、危険ドラッグにハマる患者の体験を知りたかったのか?
職務質問を受けたということはみるからに怪しい言動だったのか・・・。

 年度末まで勤務するということは、ひたすら引き継ぎのための申し送りと、患者への説明だろうが、こうなった以上は主治医の弱さと回復を患者にも見せることで治療的になるような関わりとするしかないだろう。

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