2018
02.04

ヘルスリテラシーとヘルスコミュニケーション

Category: 未分類
あるグループでの議論の途中でまとめたので、シェア。

何かが何かのリスクになる、あるいは効果があるというためには、科学的な方法論に則ったものでいないと、いくら主張しても受け入れられず、根拠の乏しいものを断定的、教条的に主張すると宗教や疑似科学の範疇にいれられてしまうことを覚悟しなければなりません。

科学的根拠(エビデンスといいます)にはレベルがあり、高いレベルのものほど質の高い科学的根拠になります。偏り(バイアス)の除去と再現性がポイントです。根拠のレベルはおおざっぱに以下のようになります。

①迷信や風習、伝聞、個人的な経験
②専門家の意見
③単発の事例報告
④複数の事例報告をまとめたもの
⑤過去のデータを集めて確認したもの
⑥未来に向けてデータを収集したもの
⑦条件をできるだけ揃えて治療法の場合は介入群(例えばお薬やある治療法など)、リスクの場合は暴露群、例えば科学物質や放射能など)と非介入群(非暴露群)を出来れば被験者や検査者にもわからないようにして追跡したもの
⑧ 複数の⑦をまとめて解析したもの

の順で、高いレベルの根拠になります。
ポイントは個人的な事例や伝聞でも一応根拠になるということです。
ただし、科学的根拠のレベルは低く、今後の検証や研究を待つ必要があります。
また一見科学的な体裁が整ったものでも批判的に吟味され、バイアスが検証されたり再現性が確認されなければなりません。

倫理的な問題に配慮しながら、細胞実験や動物実験(マウスやラット)なら同一の遺伝背景をもつものでの研究がなされてますが、ヒトの場合はクローン人間を使うわけにはいかないので、ある地域の集団(コホートといいます)や双生児を追跡調査したり(東大でやっていますね)、診断や年齢などできるだけ条件をそろえた人を募集して調査や介入研究をしたりして研究者は科学的根拠づくりにいそしんでいるわけですね。
そして今ある科学的根拠を吟味して診療ガイドラインなどが作成されています。

現実には十分な科学的根拠のない中で治療法やリスク回避を、本人の価値観を尊重しながら、取りうる選択肢のなかから選んでいかなければなりません。

毎日新聞の連載「健康を決める力」も参考になります。

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2018
02.03

プラットフォームとしての高等学校

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厳しい家庭環境、発達特性、中学までの不登校など様々な困難を抱えている生徒がたくさん通う県立の定時・通信制の高校での進路指導、SSTと情報交換会に参加させていただいた。
私も支援に関わっている方も多数お世話になっている。

なかなか先が見えない、先のことが考えられない、なんとなかると思えない子も多い。経済的に苦しくアルバイトしている生徒も多く、学業だけではなく、進路指導やデートDV防止講座、常設の相談室、個別支援計画などが丁寧で、生徒と先生との関係にもあたたかさを感じる学校であった。

3年次だけではなく、1年生も参加。大手スーパーに就職内定したばかりの生徒、働きだして1年のOB、その会社の教育訓練マネジャーのお話。新人研修の内容と同じであろう働く意味や、バイトと正社員の違い、小売業の歴史、社会的意義といった話も良かったが、働きはじめて1年の方の「マンガやアニメに自由に趣味に使えるお金が増えた。将来はそこそこ出世して結婚して家庭をもちたい。」という話に「二次元、三次元?」と先生が突っ込む掛け合いも素晴らしかった。

講演の後、準備、練習してきたグループに分かれて外部の方も交えての面接の練習だったが、「バイトの経験」と「休日の過ごし方」ってのがキークエッションだなぁ。

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2018
01.26

Ask what you can do for your client!

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もう還暦なので、理不尽なことにも、かなり鈍感になってきた。 しかしそれでも、時には激しい怒りを抑えられないことがある。 大変残念なことだが、そのほとんどはケアマネがらみ、である。...
BLOG.DRNAGAO.COM

記事中にあるように、逆も真なのなのだろうし一部なのだろうが・・。この問題は認知症だけではなく障害者(特に精神障害)全体に言えることだと思う。 

 私自身、大変なケースを抱えたときにいろんなところから板挟みになり、目の前からいなくなれば、楽したいとは私も思ったことは何度もある。そういうケースが亡くなったり、転院したりしてほっとしたこともある。

 しかしケアマネに限らず支援者と呼ばれる人が、本人のために自分が何ができるかということを考えて動くことができず、ただおとなしくして欲しい、目の前から消えて欲しいという支援者のニーズに対して動いてくれるところをチョイスしていく。
 ここ一番しんどいときに何らかの力のあるところを一時的に頼るのは仕方ないと思うが、それだけを続けていった結果が果たしてどうなるか?。さまざまな悲惨な事件が物語っている。あすは我が身だ。 

 当地でも治療できる部分が少ない強度行動障害の方を精神科への入院医療だけでなんとかしてほしいと丸投げしつづけてきた結果、リソースを使い潰し地域の病院でも受け入れにトラウマティックになり受け入れられるところがなくなった。そこでコーディネーターがコネをつかって知り合いの偉い医師に頼み遠方の他地域の病院へ入院させたりしていた。そこまではしかたないとしても、そこにもいつまでもいられず当然治療もできず退院。先方の病院の医師から頼まれたので地域の方なら自分の仕事ですから出来ることはやりましょうと引き受けたら、本人にも合う前にそのコーディネータや行政の保健師がドヤドヤとやって来て囲まれた。そこでいきなり「入院をさせて欲しい、入院できる医療機関を紹介してつないで欲しい」と詰め寄られ非常に残念で悲しい思いをしたことがある。そういうことが繰り返されてきたために、このコーディネータにはこの一点突破しか手がないのだなぁと・・。  

 もちろん医療で出来る部分はきっちりやるが、医療とてなんでも解決できる魔法のような力はない。とくに障害の分野では・・。自分に何ができるかを問うとともに、あなたの仕事はなんですか、自分の全てを総動員して他あらゆる角度から自分たちに出来ることを検討しましたか、焼畑農業のようなことをいつまで続けるのですか、奇跡が起こるのを、スーパーマンが現れるのをいつまで待っているのですか、あなたには何ができますかと・・。病院だけにいても何もかわらないと学校や施設に出向いたり、自宅へ訪問診療したり、家族支援したり、ロビイングしたりして仲間を増やし・・。思えばそこらへんが出発点かな。  

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2018
01.10

高齢者と運転

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高齢者の運転にかかわる悲惨な事故がまた起きてしまいました。

楽隠居するのが難しい時代ですね。そもそも人は多様性を持って発達し、多様性を持って老化していく存在ではあります。
発達は年齢で横並びではないとは言え、どんなに認知判断能力、運動能力が優れていて18歳まで免許が取れません。また、どんなに元気な人でも多くの組織的な職場には定年というシステムがあります。

ただお金と車は自分の力を何倍にもしてくれるものですからそれを取り上げられるのは抵抗が強いです。また特に地方では車がないと通院や買い物など生活が成り立たないような地域のつくりになってしまっています。

いろいろな意見はあるでしょうが、長生きすればするほど認知症になる割合は確立は高まります。またてんかんなども高齢者で増えます。

認知症割合 tenkan.jpg

出典:日本神経治療学会治療指針作成委員会編集「標準的神経治療:高齢発症てんかん」463ページ、Fig. 1「年齢別てんかん発症数」

1)Epilepsia. 52: 1857–67, 2011. Sillanpää M, et al.: Regional differences and secular trends in the incidence of epilepsy in Finland: a nationwide 23-year registry study. 

(高齢者のてんかんの有病率:てんかんネットより)


これらを考えれば例えば75歳なり81歳になったら免許を全員返納した上で、社会として公共交通の多様性を増やし、モビリティの自由を保証するシステムを作ることに創意工夫するという考え方もあるのではないでしょうか・・。認知症だけではなく交通弱者に優しい社会になるとおもいます。


身体面の衰え以上に、認知機能や精神面の衰えは気づきづらく認めづらいものです。

医師にとっても判断能力の判断というのは難しいものですし、免許更新のたびに認知症検査をヒヤヒヤしながら受けて、ピックアップされて、自尊心を傷つけられながら診察をうけたあげく免許を取り上げられるというよりは段々と諦めや納得感が得られやすい気もします。


免許と金銭管理をいかに手放し諦めるかという問題は認知症診療をしていたときにはかならずぶつかりました。(認知症診療の山場の一つ)
認知機能検査の結果と画像などを示しながら、事故のリスクの割合、事例などを説明しながら、医師として運転は許可できない。他の医療機関を受診してもよいが、どの医師でもそういう判断をするだろう。
これを聞いていて事故をおこしたら民間保険がおりないこともある。家族が責任をとわれることもある。と本人家族に伝えカルテに仰々しく記載することが精一杯でした。
車の維持費とタクシー代を計算したりということもやったりもしました。
今は運転シュミレーターをもちいてリスク判定して自覚を促したり、免許返納に当たっての相談窓口を警察や行政が開いていたりいろいろと仕組みはできてきていると思います。

明日を今日より少しでもマシな世界に。


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2017
11.26

「自分のこと」のおしえ方

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平成29年11月25日。吉田友子先生を招いての、信州大学子どものこころ診療部セミナー「発達障害の子ども本人への診断告知」まとめ。

 まず、こんな「告知」は危険という話から。幾つかの例があったけど、結局、準備なく告知するのと、周り都合で告知するのがダメ・・。一方で本人が知りたい気持ちを持ち始めたのにごまかすと、何かまずい聞いてはいけないことなんだなというメッセージを受け取ってしまう。
 自分はどうもみんなと違っているようだと気づき始めた時期を狙って説明する。だいたい8歳を過ぎたら聞かれることに備えて準備をしておく必要がある。計画的な告知では安全な診断名との出会いを設定できる。その際には本人も保護者も具体的な支援をうけて生活が安定し、苦手があっても工夫によってうまくいく、特性は強みにもなるということを体験をつうじて実感している大事。支援をうけた体験があると抽象的なキーワードも理解できる。また他の子どもの治療計画をまもるためにも、誰彼話すことはしない能力があることも大事。大事なことだから同じくらい大事におもってくれる人にのみ話そうねと伝える。
 一方で小さいときから継続的に支援をうけられていない子どもたちの場合は、診断説明(告知)で、診断を受け入れずに支援拒否したり、逆に診断を「ご印籠」のように使用するなどの副作用がでることも・・。

 担任の先生を信用している年度で、変化の大きい春休みを避ける、親子ともに相談の場があることが望ましいなど細かな配慮も必要・・。

 脳のタイプ名としての自閉スペクトラム(約10%?)とサービスの入場券としての自閉スペクトラム症(自閉スペクトラム障害)(約1〜2%?)を意識する。医療や福祉が必要なくなれば診断名はつかなくなる。診断告知は流れの中の一つ、自己理解支援の一段階にしかすぎない。血液型や利き手のように優劣のない少数派の一つということを伝えたい。親とも相談して本人に合わせて記載を変更して、長所や苦手が、なるほど自分にはあてはまるということを確認していく。
 診断告知の意味は「なぜ、技術を学ぶ必要があるのか」を伝えられるから。それは「劣っているからではなく少数派だから」ということ・・(日本人が英語圏に旅行するために、安全安心な滞在のために英語を学んだり、翻訳機などの支援機器をつかうのと同じ)。
 自己否定的な技術向上を避けることが肝心。(特別な工夫や技術を使えば使うほど自分が普通でないと感じて、自己嫌悪(=目標は普通になること))では、せっかくの技術習得が自己肯定につながらない。

 学齢期、成人までに生きる上での必要な技術全てを身につけることはできない(例えば契約やパートナーシップなど)から、相談する技術が大切。相談したら良いことがあったという実感が相談意欲を育て、相談者としての成長につながる。

詳しくは著書も参照ください。


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