2018
07.16

日医”医師は過労死ラインを超えて働き、地域医療を守れ”

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過労死ラインが上限なら「救える患者も救えない」 - 日医、医師の働き方改革に関する意見書を公表(CBニュース)


“日本医師会(日医)は11日、医師の働き方について「自己研さんの在り方」や「宿日直の在り方」など重点分野12項目を盛り込んだ意見書を公表した。重点項目の一つの「時間外労働時間」の上限を設定する「医師の特別条項」を提言。松本吉郎常任理事は同日の定例記者会見で、長時間労働をする医師が多い実態を踏まえて、特別条項で設定する上限を「過労死ライン」で設定すると、医師不足などで地域医療が崩壊する危険性もあり、「命を救える患者さんも救えない状況になる」と指摘。「医師の特別条項」の上限を超えることも「特例」として認めるべきだとの認識を示した。”

主に開業医からなる団体である日本医師会によると医師は過労死で死んでも良い、あるいは過労死ラインを超えても過労死しないスーパーマン以外は医師になるなと言うことのようです。ふざけるな💢
この政策で犠牲になる過酷な病院医療の最前線にいる医師がほとんど入っていない団体が、自分たちは安全な場所にいて、医師の代表面して、こう言う主張をしていることに本当に腹が立つのです。この松本吉郎常任理事は医師になり8年で開業した皮膚科の開業医だといいますが、「当事者抜きに当事者の事を決めるな」ですよ。
日本医師会やその幹部連中は一体だれのために仕事をしているのでしょう?なぜ、こんなしょぼい提言しかできないのでしょうか?

自分は子どもを授かった後、患者を人質にとられた状態で、自分か家族か患者が死ぬかという状態に追い込まれた末、病院医療の第一線から逃げ出しました。10数年はくらいは全科当直も続け、消灯時間までは病棟に張り付き、休みも少しで頑張りましたが、ケア責任も生まれ、加齢による体力低下もあり頑張れるのは一時的なのだと悟りました。
日本医師会のこの主張が医師の総意とは思えませんし、スーパーマンや個人の頑張りに頼る医療ではサステイナブルではないし、その結果として医療がなくなってしまっては医師も市民も幸せにしないとおもいます。

ちなみに日本医師会は医師全入の職能団体と思われがちですが、病院勤務の若手の医師はほとんど医師会員ではなく、開業医や病院経営陣、病院幹部クラスになって入る人が多い開業医主体の団体です(企業における経団連に近い)。今回のその主張は経団連が主張し与党が強行採決した「働き方改革、高プロ制度」とそっくりですね。
国民を守るはずの法律を(権力者が)守れないなら法律の方を変えて現実に合わせてしまえと言う現政権のスタンスに沿ったものです。

賠償保険と抱き合わせで若い勤務医の医師会への入会を勧めているけど、若い医師はこんな事を主張する団体に入りたいと思うかなあ?大事なのは今だけ金だけ自分だけでだれも幸せにならない、こんなことを主張しているような日本医師会は先がないんじゃないかなと思います。

一方の地区医師会は日本医師会の下部組織ですが、こっちは隣組みたいな行政からの情報伝達や下請け、親睦、互助組織みたいな感じのところが多いように思います。職業ギルドというよりは役所や上部組織の伝達機関かつ、一方で日本医師会の役員の選出機関となっていることに問題があるのではないでしょうか。

医師が仕事をしていく上で関わる団体には診療科ごとの医局、それぞれの科の学会、医師会などの諸団体がありますが、最終的には患者さんのために独立した立場で関われるのが医師だとおもいます。
なんだか医師を取り巻く状況も、なんだかおかしなことになってきているように思います。

皆さん、どう思われますか?

「過労死ライン超えて働け」という日本医師会に対して現場から「お前が働け」の声多数


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2018
07.01

おめめどう®ハルさんの講演会

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2週間前にも”ワイドビューしなの”にのった気がしますが・・。

また始発の”しなの”と名鉄を乗り継いで約3時間、名古屋の南、知多半島の東海市、太田川まで行ってきました。
ダダくんのお母さんでおめめどう®を起業したハルヤンネ(奥平綾子)さんの講演を聞きに行くためです。畑や住宅地に囲まれた太田川は駅の周囲だけ妙に未来的で遠くには日本福祉大学の校舎ビルも見えます。

日福2018


Facebookなどではやり取りがあったものの、ハルヤンネ(奥平綾子)さんとリアルでお会いするのははじめてです。
セミナーは午前2時間(幼児期〜学童期)、午後2時間(思春期とQ&A)、パワフルでテンポのよい関西弁でしゃべくりどおしでした。グッズをつくるために株式会社として起業して商売にしたら、自閉症協会や育成会などの大手の団体、学術団体からはすっかり講演などには呼んでもらえなくなったそうです。それでも、いいと思ってくれる親の会や特別支援学校などの依頼をうけて全国を飛んでまわっているそうです。

今回のセミナーを主催した東海市の発達の気になる子どもをもつ母親の為の勉強会サークル”いえいく会”
パワフルな親の会で、自主独立な感じが独立独歩のハルさんのスタンスとぴったりあっているのか、講演会は今回で4回目とのこと。今回は信州から無理をいって参加させていただきました。



おめめどうのメソッド、哲学

おめめどうのメソッドは、ハルさんの自閉症のある息子さんのダダくん(通称レイルマン)のためにABAやTEACCHなど様々な療育などをやったり様々なお師匠さんについて勉強したり、思春期にはいってしくじったりしてきた経験から紡がれました。TEACCHなどのコンセプトも見事に取り込んで昇華しています。
日本でTEACCH が今ひとつ広まらず誤解されているのは、人権や本人が選ぶというのは彼の国では当然過ぎることで翻訳すらされなかったからとうこともあるのではとのこと。起業してから独自路線で突き進み、大きな団体や学会などのと袂を分かち、試行錯誤を重ねて今の方式にたどり着いたそうで、やっとその良さが認められてきていてボトムアップでじわじわと広がってきているようです。

意思決定支援と合理的配慮ということはやっと本日の障害者支援において重要と理解されるようになってきましたが、それを自閉症でどう継続的に保証するかというところがおめめどうの真骨頂です。その方法論としても、哲学としてもある意味完成の域に達している感じもうけました。
特に「人権尊重」や「年齢相応の対応」、「選択活動」、「母子分離」については繰り返し強調し、やりやすくしないと日本人には伝わらないというとミソで、市販もしている安価なアナログツールをつかって、人や場所や活動によらずに共通した支援が自然に継続できるように工夫されています。
個人的にはASDの支援で本田先生や福岡先生、その他の方法論にかけていたピースがピタッとはまったように感じました。

以下、講演のごく一部のエッセンスをまとめてご紹介しますね。

おめめ講演

幼少期〜学童期はまあるい目で手をかけて

 幼少期は子どもと十分に付き合うと後々が楽になるといいます。これは佐々木正美先生も主張されていたことですね。ポイントは言って聞かせる子育てではなく、見せて伝える子育てです。でも大抵の人はそういう育てられ方はしてきていないからここは学ばないとわかりません。・・。そしてマイノリティの子育てになるので仲間づくりも重要です。
 視覚的、具体的、肯定的な表現で、コミュニケーションを図り、幼児期から分かる情報を少しずつため、AAC(拡大代替コミュニケーション)のコミュメモのフォーマットに情報を載せていきます。コミュニケーションは親が媒介せず直接対峙でというのは、特に思春期以降に重要になってきます(後述)。絵カードなどでのコミュニケーションができるようになったら、文字との併記、次は筆談、それを経てはじめて音声言語を中心にしたコミュニケーションへの移行を考えますが、何故か筆談を飛ばしてしまう人が多いと言っていました。
そうやってお嫁道具(スケジュールやコミュメモなど)をつくり、学校に伝えていくことができると黄金学童がまっています。

 そして特に大事なのは選択活動です。本人が選んでいる、こだわっているように見えても、まわりが選択肢を示すことなく、あなたはこれが好きだからとあてがいつづけたための同一性保持になっていることが現実には多いといいます。選択肢を示さないと、何を選んでいいのかも見えず、そもそも選んでいいということも彼らには思いもよらないことだったりするのです。とはいえ選択肢を示すと言っても嫌いなものばかりを提示したり、力関係を影響させたり誘導したりしないように注意は必要です。そうやって選択ができて初めて思考がはじまります。さらに選んだ後の後始末まで邪魔せず、葛藤を取り上げないことが大事で、そのことで身の振り方を判断できるようになります。

 また時間を読み取るのが苦手な自閉症児のために、時間の見える化をスケジュールで必ずおこないます。スケジュール、カレンダーの使用が、こころを支える基礎工事となります。ここでも脳に優しくわかりやすい巻カレンダー見通しメモなどのスケジューリングツールを挟んで徐々にやり取りにしていきます。こういった見える形でのコミュニケーションは有効なのではなく絶対に必要なものです。そしてそれを継続していくためには自作ではなく、市販のものを使うのがいいのだと強調されていました。特にこのことは後の母子分離にとっても重要になりますね。

子育てをやめる子育てをおこなう思春期以降

 それまではボトムアップだったのを、小学校高学年以上はトップダウンに切り替え、今持っている力で自助具をつかいながらQOLをあげていくという考え方にしていきます。そして、そのころから特に時間軸予算軸を意識してつくっていきます。自分で考える時間軸(スケジュール)と予算軸(お小遣い制)がないと、ご褒美もペナルティもわかりません。そして迎える13〜19のティーンの時期。思春期は二次性徴に伴い、カラダと心が変化する時期で、知能、障害の有無に限らずやってくるといいます。この時期には子育てをやめる子育てをすることが大事で、大事なのは母子分離です。自室をつくり、落ち着かないときも自分でカームダウンエリア(押し入れなど)でカームダウンできるようにしていきます。小4で風呂には一緒に入らないことからはじめ、徐々に離れ中1で別室で寝るくらいを目標にし、プライドとプライバシーを尊重し、年齢相応に扱うようにすることが必要です。パーソナルスペースを守る、ベタベタ触ってほしくなければ触らないなどのことは、してほしいようにまずはこちらがするのがポイントです。しかし母親はずっと代弁する形での子育てをしてきたので、コミュニケーション障害の自閉症の母子分離は圧倒的に難しいとのこと。お互いの脳みそが同化しやすいので、エスパーにならないように注意しましょう。何でもわかってしまいますがたとえ親子であっても違う人間ということに気づいてもらわなければなりません。特に言われてもいないのに先回りして手を出すと、それがない時に人のせいになりますので、見ざる、聞かざる、言わざるで言うてくるまで待つのが大事です。そして親が仲介せずに、コミュメモなどを使いつつ社会と直接対峙させるようにしましょう。それが社会性を育てます・・。
安定した成人期を送っている予後の良い人は、自分の裁量で自分の時間を過ごせる余暇活動、そして感謝される役割を持っているそうです・・。

これでもごくごく一部ですが、全体を通じて感じたのはなにより本人を中心とした人権をベースとした思想が根底にあるということ、そしてロジカルでプラクティカルで、いわばユマニチュードの自閉症版みたいな感じを受けました。
やっと求めていたものを見つけたという感じがします。

さらにくわしく知りたい方はおめめどうさんの冊子や、ブログ、講演。本、有料メルマガ、フェイスブックなどを参照してくださいね。

自閉症支援は医療や教育、親団体の偉い人たちが中心のトップダウンの方式ではなかなか変わりませんし、医療、教育、福祉、家族がバラバラに動いていて実際あまりうまくいっていないように思います。ハルさん的には親が学んで市販のツールを使いながら人や場所や活動が変わっても同じ支援を継続していく方法が現実的には良いのではと主張していました。
確かに、コミュメモをはじめとしたおめめどうのツールは適応はかなり広く使えますし、副作用もありません。
まず始めてみて、続けてみという形でやってみればいいし、多くのケースで実際、楽になるのを実感できるかと思います。

(COIはありません(^_^;))。

最近、おめめどうの回し者を自認する同僚と二人であちこちで紹介していますが、松本や安曇野あたりでも徐々にブレイクしはじめていると聞きました。
このままこれを文化にしていくために来年あたりにハルさんを松本〜安曇野あたりで呼べればなと思っています。
有料のほうが参加者も真剣さが違うとのことですししっかりお代を頂いて(今回は非会員は2500円でした)、せっかくなので親子あるラボを母体に教育、福祉、医療、家族をまたいでの実行委員会方式がいいなかなぁ。

今から一緒に動いてくれる人募集します〜。



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2018
06.24

プライマリ・ケア連合学会in三重へ参加

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6月16-17日と三重県津市で開かれたプライマリケア連合学会に行ってきました。

三重


総合診療学会、家庭医療学会のときに1度ずつ参加、その後プライマリ・ケア連合学会になってから札幌での大会以来の参加です。
学会員ではないのですが初期研修の同期(学生の時の佐渡ヶ島での社会医学セミナー以来の付き合い)の洪英在先生が企画したシンポジウム「大人になった障害者たちのケア 〜プライマリケアの出番ですよー」に登壇させていただきました。医療的ケア児と知的障害の健康管理の話に続いて、自分は「知的発達障害の移行期の現状と課題」というテーマでしたが、時間が20分と短かったので一気にしゃべくったので疲れたー。伝えたいことは言えたかな。
後半のディスカッションはプライマリケア医に対して不登校支援や学習支援、トランジション研究やっている人たちがメッセージを伝える場になっていた。
期待は大きいが、さまざまな地域のフォーマル、インフォーマルなリソースとのコミュニケーションをとりながら繋げて支える仕組みづくりも必要。地域に根をはった風邪っぴきの医者(五十嵐先生)には、支援を受けることに支援が必要な精神障害の方々にさまざまな支援、ケア、医療に届けられるきっかけとなる可能性があります。
ユースワーク、ユースメンタルヘルス、障害の医療にもまだまだ課題はありまくりだなあ。

お願い

佐久病院の同期や先輩、後輩、大町病院の先生方、大学の後輩などたくさんの知人にも合うことができました。精神神経学会より知り合い多いやろ・・。


学会の印象として

•アカデミック色はあまり濃くない。基礎医学の研究は皆無。社会学っぽいのは多い。

•総合診療、家庭医療、地域医療は大学内では力を持ちにくいからか?
•いろいろな試行的な試みが多い。
•QRコードでの資料配布も結構あった。
•ラフな格好の人、子ども連れも多い。
•若い人も多い。高齢医師も多い。開業医か?
•カフェや参加型のミニイベントなどがありクリニックや小病院で働く若い医師が全国に仲間づくりができる。
•多職種をうたってはいるが基本的には医師が多い学会。あとは認定の研修のため一部薬剤師くらいのよう。
•発表のタイトルも新書のタイトルみたいに自由なものが多い。
•発表は現場に即した臨床研究、地域研究、教育、実践報告など、さまざま。
•ちょっと取り入れたいと思うようなアイデアや小ネタを集められる
•疑問に思ったことを小規模な前向き調査、後ろ向き調査、横断研究、介入研究などか多い。
•研究のやり方を指南するセッションもあり、大学などの使えない人のために学会で倫理委員会も持っている。ちょっとやってみようかと思わせる。
•知り合いにたくさん合う。精神神経学会に行くよりよほど合う。
•自分は救急外来に出ることもなくなり病棟もみなくなり、身体疾患はあまり見なくなったが疾患の症例報告などの発表は多くはないが、身体疾患の報告のポスターもまだ楽しめるレベルの知識や経験はある。特に高齢者医療の話題は十二分についていっている。
•プライマリケアケア医にアピールしたいいろんな団体の発表もあったりする。(学習障害支援、セクマイなど)
•運営会社(コンベンョンリンケージ)のスタッフの動きは良く気持ちいい。シャトルバスなどもキビキビ。さすが餅は餅屋。
•移動販売やテントの屋台村みたいなのが出ている(お金払って来てもらっているよう)
•企業展示などもクリニックなどで使える簡易検査機器、AI問診システムなどあり面白い。

学会として社会にいろいろ提言したりしている。
日本医学会や専門医機構、他の学会との関係で大変そうだが、認定医、専門医のプログラムとは別にしてもいろんな楽しみ方は出来そう。
現場、フィールドを持っている実践者が多く、無理くりな感じの研究のための研究があんまりないからかなあ。
オープン、フラット、シェアの雰囲気がある面白い学会でした。

SDH(健康の社会決定因子)のシンポジウムにも出ましたが、


若手を中心に学会としてそこに取り組むというスタンスを明確に打ち出しているのはすごいなー。SDH(健康の社会的決定要因)への取り組みを学会として宣言として出したのも素晴らしいですね。

SDHに関しては、もし社会的課題を発見してしまったら、
①第一線の現場で事例とチームで格闘してローカルな仕組みを作り上げるだけではなく、
②学術方面へは調査研究を通じた検証と実態調査エビデンスづくり(③、④のベースになります)
③政治方面へは政治活動(ロビイング)を通じたシステムづくり(政治参加にもいろんな方法があります)
④一般方面へはメディアなどを通じて啓発し文化づくり(当事者が語るということを大事にしています)
⑤仲間を増やし、後進を育てる。
とアプローチすることが大事かと。
これらがつながっていることが大事で、それぞれが得意なところでやればいいとおもいます。
結果としてそれがSDHへの上流へ迫ることになるのではないでしょうか?



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2018
06.24

当事者の側からの体験談

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長野県の中信地区で就労支援業界で関わる人達の集まりに参加させていたいた。

IQ144(これも孤独で苦しい。高知能障害だと。MENSAは自助グループ。)、仕事も20種類やったがどれもうまく行かず、生活が崩壊し、解離で人格が分裂し、何度も死にそうになりながら苦労し、自分と世界を研究してきたASD当事者(自閉症哲学詩人。真城源哲氏)の話を聞く。
考え抜き、シミュにレーションを繰り返し練りに練られた話。ドナ・ウィリアム、ズディンプル・グランディン氏やニキ・リンコ氏、東田直樹氏らの上をいく逸材と思う。

スクリーン

”曰く、自閉スペクトラム症の診断基準(社会性、コミュニケーション、想像力の三つ組の障害のような診断基準は、意味がわからない。当事者の目線や感覚からは著しく乖離している。発達特性を的確にとらえ、言語化(発信)することは、専門家すらも、本人すらも困難な代物。

多数派とは異なる独自の感性とシステムによる世界(概念体型)がある。言語が獲得していない人はそもそも発信ができないし、言語が獲得している人でも一般の世界の概念体型では対象を認識して発信することは難しい。思考にどれだけの言語が使われているかの度合いに応じて、独自の感性の世界の上にヴェールが張られていく。結局、言語の獲得の有無に関わらず、当事者本人が自分の特性や世界を体系的にとらえて発信することは難しい。当事者も外からの知識や情報を言語で取り込むが、それでさらに混乱することもある。
周囲の情報が全部入ってきて認識されるが、その情報を言葉に置き換えるのを意識してやらなければならない。だから疲れる。

支援者には知識に依存せずにその人を細やかにみてほしい。

不安になって〜、思い通りにならないと〜、パニック・・。は外から目線。こころや感情は二次的なもの。
ほとんどすべての反応は感情とは別系統の脳の特性から来ているものであり、ちゃんと切り分けて考える。

特に上書き困難(切り替え困難)という脳の特性によるもの。いつもと違う流れが始まってもいつもの流れの映像が流れていて、重ね書き状態になってしまう。大混線して発火。パニックは脳内の大混線、ショート、発火あり、発火したときは水はかけない(治るまでエネルギーを吐き出させる)。電気をとめる(刺激の少ない環境に)、目を話さない(放置、孤独は寂しい。最低限が理想)、あとで配線の状況を改善する(こころへの寄り添いと肯定)。電車のポイントが切り替わらないようはもの。同じミスを繰り返すのも同様のメカニズム。ただし特性と連動する1.5次的感情作用はある。自己の尊厳を深く強く持っており、少数派としての現実の体験の厳しさから、被害、被抑圧意識をいだきやすく、その反作用として自己否定意識が強まる。

「肯定」とはなにか、ポジティブに返すこと?でもない。
「それが、そのまま、そこにあって、それでいいい」こと。ここから入ってほしい。
感情や攻撃性や自己否定意識が加速器のように作用、加速したもの。自己否定意識が強いほど、発達特性がより強いコントラストをもってより刺激的な様相で表現・表出されてしまう。
周囲に危害を加えるレベルになると周囲はどうしても否定からはいるが、悪循環になる。
よっぽど意識しないと特性が見えてこない。発達障害者の純粋な特性そのものは、本来何一つ是正、矯正されるべきものではない、その方が実は存在貢献が大きい。尊厳が肯定、尊重される環境こそが大切。

LGBTQの人も打ち明けていないけどたくさんいる。いったんは受け止めてやらせてあげる。いくところまでいっちゃうひとは限られている。どこかでバランスをとる。ずっと性別違和があり解離し、死にかけたが、大震災のあと、35才になって女装をして半年暮らしたが、誰にも何もいわれなかった・・。警察にも別に声もかけられなかった。何度も死にかけたが、それからものすごく自己肯定感が芽生えて、こうして楽しく生きている・。”
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2018
06.11

幼児の虐待死、無差別殺傷事件の報道に接して

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先日、新幹線のぞみ車内で青年による無差別殺傷事件がありました。
容疑者が精神疾患(発達障害、アスペルガー症候群?)で入院歴があるとの報道があります。また5歳の幼児が、行政的、医療的支援からはずれ虐待死したという悲惨な事件の報道も続いています。これらに紙一重の事例は現場の支援者は日々経験されていることと思います。

殺人自体は減っていますが、自殺者は多いままですし、こういった事件はなくなることなく続いています。政府がやろうとしていることを見ると、強者の今だけ、金だけ、自分だけの政策で、ますます弱者に厳しくなってきているように思います。

虐待や発達障害と反社会的行為との関連は私自信、注目せざるを得ない分野です。最近のさまざまな事件の精神な鑑定には必ず発達特性と養育環境の双方の視点もはいるようになってきています。

少し古い本ですが、「非行と広汎性発達障害(藤川 洋子著、日本評論社)」などがわかりやすいと思います。発達特性と親子の関係から解きほぐしています。観念上の父殺しと自然死に近い形での母との別れが必要と説いています。

また、犯罪にいたる要因の研究ではリスク因子と保護因子の関係で説明するのが一般的かと思います。教育ジャーナリストの品川裕香さんの著作などに詳しいです。

発達障害はその育てにくさゆえに虐待のリスクにもなりますし、少数派ゆえに理解や支援を得られにくく家や学校、社会での不適応を繰り返すと被害的認知をもちやすいなどの成人期以降の社会不適応のリスク因子の一つにもなりえます。

しかしその一方でASDの場合は自閉性が保証されれば自分なりの世界や楽しみを持った上で、社会生活においてはユニークな視点を持ちながらもむしろルールをしっかりまもる良き市民(研究職や職人、アーティストなど)になるでしょう。

またADHDの場合は多動性や衝動性、向刺激性を保証されればアスリートや冒険家、ベンチャー、危険を顧みない仕事に従事するなど危機要員として、また世界の限界や楽しみを広げてくれる存在として活躍できるでしょう。

発達障害を社会不適応のリスクにしないために、理解と支援、場合によっては幼少期から継続した支援と親も含めたケアが必要で、医療も教育も福祉もバトンをとぎらせることなくつないで伴走していくことが必要です。
不適切な養育環境に関しては、親への支援をベースとしながらも、どうしても家族での養育が難しければ適切なタイミングで社会的養護(里親など)も必要と思われます。

また格差や貧困を解消し、社会全体で子育てを支援する体制を充実させ、リスク要因のある子どもや家庭環境でも虐待に至らず、保護要因が十分に上回るように、子どもの貧困の解消、一般の子育て支援を拡充することが、結果として親の養育能力に乏しい子ども、発達障害の子どもも救うことになります。

少数派が声をあげられる場を維持し、社会全体の対話を促進しすること。
そしてすっかり歪んでしまった我が国の政治をまっとうに機能させることも必須と思います。

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