2014
01.03

リカバリーを目指す精神医療

Category: 未分類
安曇総合病院で何でも屋の精神科医をやっている樋端といいます。
本日は当事者や家族が精神医療や精神科医をどう使い、どう育てるかという話をします。
私も当事者さんや家族の方から育てられたなぁとつくづく感じています。

みなさんは『精神医療ユーザー』という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
私はこの言葉を面白いな、いいなと思います。
ユーザーに対し、医療の側の人は何といえばいいのでしょうか。
供給者といういみのサプライヤーでしょうか、提供者という意味のプロバイダーでしょうか。
私はパートナーという言葉が一番しっくり来ると思います。
ただ、医師の良いとする治療を唯々諾々と甘んじて受けるだけではなく、サービス受給者のお客様として権利を声高に主張するでもない。協力しながら治療にあたるというようなニュアンスです。

これは、精神疾患の多くががどんな名医でも、感染症や手術で治るがんのようには、「治すことができない」、つまり当事者や家族が医療者と協力しつつ主体的に付き合っていかなければいけない多いことと関係していると思います。

発達障害にしろ、統合失調症にしろ、他の精神疾患にしろ、疾患障害複合体を形成し本人と病気を切り離すことができません。
薬や治療で良くなる部分はあるにしても病気や障害をかかえながらも、病気に振り回される生き方を、まるごとひきうけ人生の物語の中に何らかの形で位置づけて治めていく必要があるということもあるということです。

このことをひとことで「リカバリー」(回復)といいます。病や障害に振り回されていた生活や奪われた尊厳、人生を当事者自らの手に取り戻すという意味です。

これは病気にかぎらず、親にめぐまれなかった、犯罪や自己や自然災害にあった、中途障害を負った。がんや難病にかかってしまった、子どもにめぐまれなかった、子どもが精神病をもってしまった・・。なんにでも当てはまります。

つらい経験をしたり、病気や障害をもっているからこそ分かることやできる事もあります。

精神医療はこのリカバリーを目指す『リカバリー志向』であるといわれています。
今日はこの『リカバリー志向』という言葉だけ覚えて帰っていただきたいと思います。

私も外来では自分の病気や特性とどうつきあうか、出来事や経験をどう自分の物語に位置づけるか、精神医療をどう主体的に使いこなすか、というような切り口から当事者研究を共同研究者としておこなうスタイルのリカバリー志向の診療を可能な限りおこなっています。
群馬大学の生活臨床や北海道の浦河べてるの家などが嚆矢のスタイルです。

支援者の役割は日常生活のこまかな相談に乗り、スキルや自己肯定感、成功体験、目標をもてるように支援する、いわばコーチのような役割です。
治すことはできませんが、回復していく環境を整えていくことはできます。

もちろんはじめからすんなりこのような段階までくるわけではありません。

まず最初に問題なのは当事者や家族が精神医療にどうつながり、どう使っていけばいいのかわからないことです。
さまざまな情報にアンテナをはり、講演会や相談会に出て行く元気があり、こういう場に足を運ぶことの出来るような方はいいのです。
混乱の渦中にいる当事者や家族にはそのような余裕もなく支援にもたどり着けなくなります。
そもそも精神障害とは極端に不器用だったり疑い深くなったり、思考や行動が混乱したりしていても自らを助けることができず、他者と上手くつながれなくなる障害です。

徐々に家族も含めて社会から孤立し、上手くいかない経験を繰り返し、社会からのつながりが断たれる状態が長期化することでますます社会生活のスキルが失われたり、妄想が形成されたりします。
その結果、支援を受けることそれ自体に支援が必要な状態に陥ることもあります。
あきらかに支援の必要な困難な状況であっても受け入れてもらえない場合は支援者同士が連携し、粘り強く機会をうかがい、わずかな接点をたぐり、チャンスをとらえて粘り強く治療の合意へ至る過程を寄り添う丁寧な関わりが求められます。

当事者や家族みずからが大変な思いでどこかの支援の門をたたいた際には、我々はこれまでの苦労に思いを馳せてねぎらい、歓待し、つながりが切れないようにかかわる必要があります。
最初の医療との出会いで躓いてしまうと、あとあと大変です。

出会った支援者としては当事者の声に十二分に耳を澄まし、あらゆる相談を一旦引き受け、自分の全てを総動員して全力でかかわること、見捨てないということを言葉と態度で示す必要があります。
全てを総動員というのは医学的な知識や技術はもちろんのこと、必要なら地域の中のネットワークを利用して他の支援者とのチームでかかわるということです。
今日の精神医療では多職種、多職域、さらに超職種、超職域からなるチームでアプローチが一般的なってきています。
サッカーでパスを回してゴールを決めるイメージです。
これは支援者自身が巻き込まれたり依存されたり、燃え尽きないためにも大切なことです。
ネットワークからは外れてスタンドアローンの支援者だけでは支えきれなくなり厳しくなったり、ひとりよがりになったりしがちです。
(家族だけで支えるのが厳しくなるのと同じ理屈です。)

最近になってチームのメンバーにはさまざまな専門職種の他に、病気を経験した他の当事者自身や家族、ピアとよばれますが、ピアスタッフも含まれるようになってきました。
当事者のグループや家族会などのいわゆるセルフヘルプグループは大切な治療や支援の資源であり、専門職としてもバックアップしていく必要があります。
サポーテッドピアサポートなんていったりします。

支援チームの中で医師は支援チームを束ね、さまざまな制約の中で人生の再生のプロジェクトの設計図を当事者とともに描き実行していくいわば設計士の役割を果たすことが望まれます。
もちろん必ずしも医師がやらなくてもいいのですが、医師は有限な医療・福祉資源を守り育て、医学的知識、科学的判断と医倫理にもとづいて適切に配分するという社会的責務を負っています。
さまざまな制度を利用したり、年金給付をうけたりするためには、医師の診断書やそれに基いて給付される精神保健福祉手帳などが必要になります。
最終的には主治医から離れ、忘れてもらうのが理想です。

また治療が必要な状態であっても本人の同意を得られない場合、強制的な治療に切り替えざるを得ない場合もあります。精神保健福祉法には医療保護入院や措置入院など精神保健指定医の診察で非自発的入院を可能とする制度がありますが、そういうときこそ丁寧に関わる必要があります。
混乱している当事者に支援者が振り回されて共に苦労して乗り越えた経験がその後の治療や支援で効いてきます。

精神科医にはリカバリーを信じ、チームをまとめ、回復への物語をつむぐ力がもとめられます。

医師の役割で大きいのが『診断』と『投薬』という行為です。

ただ、『診断』という行為も周囲の理解や支援の乏しい状態では単なるスティグマ(烙印)になります。
診立てただけで切り捨ててしまったりということになると、よけいに当事者を傷つけてしまいかねません。

スティグマの大きい統合失調症などの疾患が疑われる場合など、自分の望む診断をもとめて、幾つもの医療機関を渡り歩く人もいます。医療者側の問題ですが、あきらかに話が通じず問題のある医師や医療機関は、育てる余裕がなければ、あきらめて他の医療機関をあたりましょう。
セカンドオピニオンは権利ですが、サードオピニオン、フィフスオピニオンまでもとめて行かれて戻ってこられた方がいました。
これは患者さんの権利なのでいいですが、医療とのつながりが切れたまま薬なしでの治療をもとめて高価なサプリメントや民間療法にはしったり宗教だけにたよったりする方もいます。
そのようは物語を信じるのは自由といえば自由ですが、医療とくらべても最後まで付き合ってくれるところはなかなかありません。
耳辺りのいいだけの話、お金がかかるばかりの話には注意しましょう。

信頼できる周囲の人の意見もききながら、パートナーに決めた医師と協力しながら治療効果をあげていくことが必要です。

『投薬』に関しても、作用や副作用をオープンにして、しっかり納得して使ってもらうシェアドデシジョンメイキングという方法が提唱されています。
薬の種類も、飲み薬だけではなく月1回の注射でいいデポ剤なども見直されてきています。
副作用も多いけど、効果も今までの薬とは一段上の薬もでてきています。

ただ、当事者も他の支援者も医師にすべてを丸投げし、追い詰めて孤独にすると『薬』が増えるということも知っておくとよいでしょう。
チームから切り離され問題をまるなげされた医師には、それしか手もちの札がないからです。
当事者も支援者もそれぞれの立場でできる事を考えみんなでやっているということが大切です。

回復の道標となる『診断』と、それぞれの当事者にあわせてカスタマイズされた自助具としての『薬』を使いこなして当事者がリカバリー(回復)を果たしていくためには、まず周囲の人、特に家族が元気でいて当事者の回復を信じられるようになることが必要です。

当事者がひきこもっており接する人が少なければ少ないほど、近くにいる家族というのは本人にとって環境の中で大きな割合を占めます。

家族が元気でいて当事者が回復していける環境であるためには、そのためには専門職や他の家族当事者による家族に対する支援や家族会が大きな役割を果たします。

そしてリカバリーを果たしたあかつきには当事者や家族当事者が専門職の支援者と力をあわせて社会にむかって大きな声を上げ、地域に必要な医療・福祉を創り育て、バラバラになった地域社会を紡ぐ活動を粘り強く続けていくことだとおもいます。

その先に精神疾患に対する理解が広まり、さまざまな支援が増え、たとえ精神障害があっても居場所と出番のあり回復していける豊かな社会を創ることが出来るのではないでしょうか?

まずは、見どころの有りそうな若い医師を家族会などの勉強会に呼んだりして話をしてもらい、自分たちの話をきいてもらうところろからはじめて精神医療や精神科医を育てていくのがよいのではないでしょうか?

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