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2018
06.24

プライマリ・ケア連合学会in三重へ参加

Category: 未分類
6月16-17日と三重県津市で開かれたプライマリケア連合学会に行ってきました。

三重


総合診療学会、家庭医療学会のときに1度ずつ参加、その後プライマリ・ケア連合学会になってから札幌での大会以来の参加です。
学会員ではないのですが初期研修の同期(学生の時の佐渡ヶ島での社会医学セミナー以来の付き合い)の洪英在先生が企画したシンポジウム「大人になった障害者たちのケア 〜プライマリケアの出番ですよー」に登壇させていただきました。医療的ケア児と知的障害の健康管理の話に続いて、自分は「知的発達障害の移行期の現状と課題」というテーマでしたが、時間が20分と短かったので一気にしゃべくったので疲れましたが、伝えたいことは言えたかなと思います。
後半のディスカッションはプライマリケア医に対して不登校支援や学習支援、トランジション研究やっている人たちがメッセージを伝える場になっていました。
プライマリケアへの期待が大きいということでしょうか。地域に根ざした医療を行うには、さまざまな地域のフォーマル、インフォーマルなリソースとのコミュニケーションをとりながら繋げて支える仕組みづくりも必要です。
五十嵐先生の言う風邪っぴきの医者には、家族まるごとや、支援を受けることに支援が必要な精神障害の方々にさまざまな支援、ケア、医療に届けられるきっかけとなる可能性がありますが、ユースワーク、ユースメンタルヘルス、障害の医療にもまだまだ課題はありまくりだなあと思いました。

お願い

佐久病院の同期や先輩、後輩、大町病院の先生方、大学の後輩などたくさんの知人にも合うことができました。
精神神経学会より知り合い多いやろ・・。障害分野のプライマリケアはまだまだ医療過疎地です。
自分も分野としてはこっち側の人なのかなと再認識。


学会の印象として

•アカデミック色はあまり濃くない。基礎医学の研究は皆無。社会学っぽいのは多い。

•総合診療、家庭医療、地域医療は大学内では力を持ちにくいからか?
•いろいろな試行的な試みが多い。
•QRコードでの資料配布も結構あった。
•ラフな格好の人、子ども連れも多い。
•若い人も多い。高齢医師も多い。開業医か?
•カフェや参加型のミニイベントなどがありクリニックや小病院で働く若い医師が全国に仲間づくりができる。
•多職種をうたってはいるが基本的には医師が多い学会。あとは認定の研修のため一部薬剤師くらいのよう。
•発表のタイトルも新書のタイトルみたいに自由なものが多い。
•発表は現場に即した臨床研究、地域研究、教育、実践報告など、さまざま。
•ちょっと取り入れたいと思うようなアイデアや小ネタを集められる
•疑問に思ったことを小規模な前向き調査、後ろ向き調査、横断研究、介入研究などか多い。
•研究のやり方を指南するセッションもあり、大学などの使えない人のために学会で倫理委員会も持っている。ちょっとやってみようかと思わせる。
•知り合いにたくさん合う。精神神経学会に行くよりよほど合う。
•自分は救急外来に出ることもなくなり病棟もみなくなり、身体疾患はあまり見なくなったが疾患の症例報告などの発表は多くはないが、身体疾患の報告のポスターもまだ楽しめるレベルの知識や経験はある。特に高齢者医療の話題は十二分についていっている。
•プライマリケアケア医にアピールしたいいろんな団体の発表もあったりする。(学習障害支援、セクマイなど)
•運営会社(コンベンョンリンケージ)のスタッフの動きは良く気持ちいい。シャトルバスなどもキビキビ。さすが餅は餅屋。
•移動販売やテントの屋台村みたいなのが出ている(お金払って来てもらっているよう)
•企業展示などもクリニックなどで使える簡易検査機器、AI問診システムなどあり面白い。

学会として社会にいろいろ提言したりしている。
日本医学会や専門医機構、他の学会との関係で大変そうだが、認定医、専門医のプログラムとは別にしてもいろんな楽しみ方は出来そう。
現場、フィールドを持っている実践者が多く、無理くりな感じの研究のための研究があんまりないからかなあ。
オープン、フラット、シェアの雰囲気がある面白い学会でした。

SDH(健康の社会決定因子)のシンポジウムにも出ましたが、若手を中心に学会としてそこに取り組むというスタンスを明確に打ち出しているのはすごいなと思いました。SDH(健康の社会的決定要因)への取り組みを学会として宣言として出したのも素晴らしいですね。

SDHに関しては、もし社会的課題を発見してしまったら、
①第一線の現場で事例とチームで格闘してローカルな仕組みを作り上げるだけではなく、
②学術方面へは調査研究を通じた検証と実態調査エビデンスづくり(③、④のベースになります)
③政治方面へは政治活動(ロビイング)を通じたシステムづくり(政治参加にもいろんな方法があります)
④一般方面へはメディアなどを通じて啓発し文化づくり(当事者が語るということを大事にしています)
⑤仲間を増やし、後進を育てる。
とアプローチすることが大事かと。
これらがつながっていることが大事で、それぞれが得意なところでやればいいとおもいます。
結果としてそれがSDHへの上流へ迫ることになるのではないでしょうか?



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2018
06.24

当事者の側からの体験談

Category: 未分類
長野県の中信地区で就労支援業界で関わる人達の集まりに参加させていたいた。

IQ144(これも孤独で苦しい。高知能障害だと。MENSAは自助グループ。)、仕事も20種類やったがどれもうまく行かず、生活が崩壊し、解離で人格が分裂し、何度も死にそうになりながら苦労し、自分と世界を研究してきたASD当事者(自閉症哲学詩人。真城源哲氏)の話を聞く。
考え抜き、シミュにレーションを繰り返し練りに練られた話。ドナ・ウィリアム、ズディンプル・グランディン氏やニキ・リンコ氏、東田直樹氏らの上をいく逸材と思う。

スクリーン

”曰く、自閉スペクトラム症の診断基準(社会性、コミュニケーション、想像力の三つ組の障害のような診断基準は、意味がわからない。当事者の目線や感覚からは著しく乖離している。発達特性を的確にとらえ、言語化(発信)することは、専門家すらも、本人すらも困難な代物。

多数派とは異なる独自の感性とシステムによる世界(概念体型)がある。言語が獲得していない人はそもそも発信ができないし、言語が獲得している人でも一般の世界の概念体型では対象を認識して発信することは難しい。思考にどれだけの言語が使われているかの度合いに応じて、独自の感性の世界の上にヴェールが張られていく。結局、言語の獲得の有無に関わらず、当事者本人が自分の特性や世界を体系的にとらえて発信することは難しい。当事者も外からの知識や情報を言語で取り込むが、それでさらに混乱することもある。
周囲の情報が全部入ってきて認識されるが、その情報を言葉に置き換えるのを意識してやらなければならない。だから疲れる。

支援者には知識に依存せずにその人を細やかにみてほしい。

不安になって〜、思い通りにならないと〜、パニック・・。は外から目線。こころや感情は二次的なもの。
ほとんどすべての反応は感情とは別系統の脳の特性から来ているものであり、ちゃんと切り分けて考える。

特に上書き困難(切り替え困難)という脳の特性によるもの。いつもと違う流れが始まってもいつもの流れの映像が流れていて、重ね書き状態になってしまう。大混線して発火。パニックは脳内の大混線、ショート、発火あり、発火したときは水はかけない(治るまでエネルギーを吐き出させる)。電気をとめる(刺激の少ない環境に)、目を話さない(放置、孤独は寂しい。最低限が理想)、あとで配線の状況を改善する(こころへの寄り添いと肯定)。電車のポイントが切り替わらないようはもの。同じミスを繰り返すのも同様のメカニズム。ただし特性と連動する1.5次的感情作用はある。自己の尊厳を深く強く持っており、少数派としての現実の体験の厳しさから、被害、被抑圧意識をいだきやすく、その反作用として自己否定意識が強まる。

「肯定」とはなにか、ポジティブに返すこと?でもない。
「それが、そのまま、そこにあって、それでいいい」こと。ここから入ってほしい。
感情や攻撃性や自己否定意識が加速器のように作用、加速したもの。自己否定意識が強いほど、発達特性がより強いコントラストをもってより刺激的な様相で表現・表出されてしまう。
周囲に危害を加えるレベルになると周囲はどうしても否定からはいるが、悪循環になる。
よっぽど意識しないと特性が見えてこない。発達障害者の純粋な特性そのものは、本来何一つ是正、矯正されるべきものではない、その方が実は存在貢献が大きい。尊厳が肯定、尊重される環境こそが大切。

LGBTQの人も打ち明けていないけどたくさんいる。いったんは受け止めてやらせてあげる。いくところまでいっちゃうひとは限られている。どこかでバランスをとる。ずっと性別違和があり解離し、死にかけたが、大震災のあと、35才になって女装をして半年暮らしたが、誰にも何もいわれなかった・・。警察にも別に声もかけられなかった。何度も死にかけたが、それからものすごく自己肯定感が芽生えて、こうして楽しく生きている・。”
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2018
06.11

幼児の虐待死、無差別殺傷事件の報道に接して

Category: 未分類

先日、新幹線のぞみ車内で青年による無差別殺傷事件がありました。
容疑者が精神疾患(発達障害、アスペルガー症候群?)で入院歴があるとの報道があります。また5歳の幼児が、行政的、医療的支援からはずれ虐待死したという悲惨な事件の報道も続いています。これらに紙一重の事例は現場の支援者は日々経験されていることと思います。

殺人自体は減っていますが、自殺者は多いままですし、こういった事件はなくなることなく続いています。政府がやろうとしていることを見ると、強者の今だけ、金だけ、自分だけの政策で、ますます弱者に厳しくなってきているように思います。

虐待や発達障害と反社会的行為との関連は私自信、注目せざるを得ない分野です。最近のさまざまな事件の精神な鑑定には必ず発達特性と養育環境の双方の視点もはいるようになってきています。

少し古い本ですが、「非行と広汎性発達障害(藤川 洋子著、日本評論社)」などがわかりやすいと思います。発達特性と親子の関係から解きほぐしています。観念上の父殺しと自然死に近い形での母との別れが必要と説いています。

また、犯罪にいたる要因の研究ではリスク因子と保護因子の関係で説明するのが一般的かと思います。教育ジャーナリストの品川裕香さんの著作などに詳しいです。

発達障害はその育てにくさゆえに虐待のリスクにもなりますし、少数派ゆえに理解や支援を得られにくく家や学校、社会での不適応を繰り返すと被害的認知をもちやすいなどの成人期以降の社会不適応のリスク因子の一つにもなりえます。

しかしその一方でASDの場合は自閉性が保証されれば自分なりの世界や楽しみを持った上で、社会生活においてはユニークな視点を持ちながらもむしろルールをしっかりまもる良き市民(研究職や職人、アーティストなど)になるでしょう。

またADHDの場合は多動性や衝動性、向刺激性を保証されればアスリートや冒険家、ベンチャー、危険を顧みない仕事に従事するなど危機要員として、また世界の限界や楽しみを広げてくれる存在として活躍できるでしょう。

発達障害を社会不適応のリスクにしないために、理解と支援、場合によっては幼少期から継続した支援と親も含めたケアが必要で、医療も教育も福祉もバトンをとぎらせることなくつないで伴走していくことが必要です。
不適切な養育環境に関しては、親への支援をベースとしながらも、どうしても家族での養育が難しければ適切なタイミングで社会的養護(里親など)も必要と思われます。

また格差や貧困を解消し、社会全体で子育てを支援する体制を充実させ、リスク要因のある子どもや家庭環境でも虐待に至らず、保護要因が十分に上回るように、子どもの貧困の解消、一般の子育て支援を拡充することが、結果として親の養育能力に乏しい子ども、発達障害の子どもも救うことになります。

少数派が声をあげられる場を維持し、社会全体の対話を促進しすること。
そしてすっかり歪んでしまった我が国の政治をまっとうに機能させることも必須と思います。

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