2014
11.24

第5回長野県不登校を考える県民の集い

Category: 未分類
内田宏明氏の基調講演メモ
「子供の声を聴くことからはじまるつながり」

不登校で何が問題かというと学校に行かないことで親子ともに孤立してしまうこと。

貧困で問題なのは孤立無援になってしまうこと。
これは所得の問題ではない。

引き出し屋というのが流行ったが、これは意味がないばかりか傷つけてしまう。
ゆっくりじっくり子供の話、親の話に耳を傾けることが大切。
その中で育まれる安心感なしに、人同士はつながることはできないのではないか。

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長野県の子ども条例の制定にかかわったが、子供支援条例と子供権利条例とでは大違い。
だが、その違いを議論できる人は少ない。

子ども支援条例では子供に相談する権利、保護を請求権があるという法規定上の枠組みになっていない。
ここが変われば理念的なことではなく行政的な手続きも変わってくる。
一人の人間として、その存在を認められることを保証する必要がある。

多様性をベースとした教育にしなければ不登校はなくならない。
世界的にも教育は地方分権化するのが当然。
国民の権利は憲法で規定されているはずであるが、実務レベルでは子供の権利は民法の親権規定に阻まれている。
国政レベルでできないのであれば思いのある自治体レベルで出来ないか。

戦後、誰が子供を守ったか、それは学校である。
学校へ行けば勉強出来る。
給食が出る。友達がいる。村の一等地を学校に当てた。
子供の相対貧困率は16パーセント。
子ども手当と高校無償化がなくなってこの2年で2パーセント上がった。
母子家庭の貧困率は50パーセント以上。
公教育は確実に保証されなければいけない。

ところが学校に行けない貧困家庭の教育をNPOに委託という訳のわからないことが行われている。
外部専門職に委託している場合ではない。
本当に苦しんでいる子供や親の声に耳を傾ける事が出来るか。どこが踏ん張るのか。

しかし、公立学校は足元からその基盤を崩されている。
効率優先で公的なものを縮小するという新自由主義の小さい政府論という一方の正論。
お金のある不登校の子は多様性のあるフリースクールに移っていき残るのが貧困家庭。
東京のように私立が半分という事態が長野県でもおこりうる。
お金がないから公立にいく。
しかし公立は学級崩壊している。

不登校は表面的な事象である。

あの政権、あの総理が続いていると規制緩和と称して必ずさらにそこに手をいれてくる。

現状でも正常なものをもっと正常にする機能は私立が全部持っていってしまし、そのほうが上手くいく。
しかし子供の貧困率の高さを考えると公教育を堅持しなければならない。

学校は勉強ができる子、運動ができる子、お友達ができる子の3つの軸で運営されてきた。

教育の機会均等と多様化はどちらに片寄ってもいけない。
どうバランスをとっていくかは地方自治の問題。
国の施策としてはナショナルミニマムを保証すること。
一方で自由な発想の私学も私学助成で行うことも必要。

ネットワークづくりは名刺交換から初めてはいけない。
まず足元から。
飲み会などでぶっちゃけ話で腹をわって話す。
見栄や体裁ではなくだらしない部分を晒し会えるコミュニティーづくりが大切。
どんどん普通の父ちゃんになればいい。
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コメント
「孤立」が人間の精神に作用する力の強さを痛感しています。
また逆に、人間の「絆」は、ほんのちょっとしたこと、「大丈夫?」という言葉をかけることから結ばれるのです。先生達も孤立しています。「大丈夫?」と声をかけることができる社会が、今の政治によって失われようとしています。強い者達に政治はいらない。弱い立場の人を助けるのが政治。
とみちゃんdot 2014.11.25 15:35 | 編集
このコメントは管理者の承認待ちです
dot 2015.03.02 17:28 | 編集
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