2015
12.27

 精神科医は何を知り、何を知らないのか。何ができ、何ができないのか。

Category: 未分類
 当事者の時代のキーワードはオープン、フラット、シェアだそうだ。これらは個々のケースにおいて、また社会全体において精神医療が目指すべきところでもある。オープンダイアログというフィンランドでの実践が注目をあつめているが、我が国でも当事者と家族、専門職がフラットな立場で対話をかさね協働する新たな治療文化が育ちつつある。統合失調症という事態に関しても、当事者が体験をオープンに語るようになることで、幻覚や妄想の体験から、認知障害、生活障害、対人関係障害などの生きづらさ、当事者、家族の苦悩、そして様々なリカバリーの物語が広くシェアされるようになった。

 この流れに一番乗り遅れているのはコミュニケーション力と想像力に困難をかかえた医師たちかもしれない。正体不明の難しい病気に圧倒され、社会から孤立し、全てをあけわたし、人生をあきらめた当事者と家族。社会から隔絶された閉じた避難所、収容所としての精神科病院、密室の診察室に閉じこもり、当事者の体験に耳をすまさず、強みに目を向けず、薬を増やすしかできない医師。そんな時代は終わった。精神疾患へのスティグマが減り、理解と支援が広まれば、悪循環から病状が悪化させることもなくなり、当事者や家族の苦悩も随分違ったものになるだろう。

 精神科医に出来ることは何であろうか?よい薬も増えてきた。医学、生物学的知識や統計データなどの膨大な医学知識のプールに適切にアクセスし、生命と暮らし、そして人生を守り支える最善の治療方針を考える役割は変わらないだろう。研鑽と勉強を続けなければならないし、製薬会社や医療産業の金儲けの手先になってはならない。そして精神保健指定医には一時的に人権を制限せざるを得ない決断を求められることもある。有限な医療福祉資源を適切に分配することも医師の大切な役割だ。医師は常に情報の非対称性や、権力構造、患者の体験や生活、人生を知らないことに自覚的である必要があるし人権感覚が求められる。

 しかしこれからは何よりも受け身の患者から主体的な当事者にすること、すなわちエンパワメントとリカバリーを支援することが求められる。そのためには当事者の人生によりそい、時に振り回され、病に翻弄された人生をとりもどす伴走者としての役割が求められる。そしてそれはコーチや共同研究者としての役割に変化していくだろう。医師がいい動きをすればチームはよく回る。当事者のストレングスや家族や地域の多職種、ピアにできること、地域のリソースを知っていることも必要である。治療や支援の設計図を描き、応援チームを形成し、つなぎ、支え、仲間を増やし、勇気づけ、そしてそっと離れることが理想である。さらに居場所づくりや、仲間づくりを手伝い、声をあげる場をつくることにも関わりたい。

私は研修医時代から地域に出ていき協働する文化のある病院・地域で育てられた。そして精神科医としての駆け出しのころから、地域の家族会からNPOを立ち上げ、居場所や働く場、情報交換や発信の場をつくることにかかわらせてもらうという幸運にもめぐまれ、精神科医として成長させてもらったという思いがある。精神医療のユーザーはまず見どころのある若手の医師と病棟や診察室から離れたオープンでフラットな場で対話をつづけ、病の体験やリカバリーの物語を伝えるとともに、現時点の医療にできることとその限界もシェアしていただきたいと思う。

(2016年3月25日〜26日の第11回 統合失調症学会のシンポジウム、【当事者と家族の体験としての統合失調症】の抄録です。)
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://toipsy.blog.fc2.com/tb.php/458-eb51ee28
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top