夜回り先生(水谷修)のブログ記事について・・。
障がい児「カルテ」の報道について
”子どもたちの一生に関わるこの「カルテ」、書かないでください。こんなものがなくても、必要な児童生徒に対しては、次の学校が決まったときに、口頭で引き継ぐことは出来ますし、今までもそうして、子どもたちを守ってきたはずです。”
うーん。
これってアメリカなどの個別教育計画にならってのことですよね。
全ての子どもに対して個別に必要な支援をして教育の権利を守るという考えになれば、差別という話にはならないと思うのですが・・。
差別的だから差別と思えてしまうのかなぁ・・。
教育の世界と医療や福祉の世界のスタンスの違いでしょうか?
素人の教師に一生に関わる障害があるかないかを判断させるのが不安といいますが、一生に関わるからこそサポートが必要なんです。
教員がプロになれば良いのだと思いますが・・。ただ未来を担う子ども若者の育ちに関する、社会の関心も、予算も圧倒的に少ない中で、教師だけにそれを担うのは酷でしょう。
障害というのは支援の必要性で定義されるから、スペシャルなニーズに対してサポートをきちんと受ける権利は保証され、その支援の連続性が担保できるような方策は公の責任としてちゃんと取るべきだと思います・・。
もちろん全ての教員がきちんと理解とスキルがあり引き継ぎがきちんとなされれば良いのでしょうが、学校や事業所ごと、医療機関ごとで支援スキルのバラつきが大きい中で、情報をまとめておくことは必要でしょう。
それが教育現場のレベルアップや文化をつくることにもつながると思いますよ。
(ただ私もカルテという言い方は違和感があります。医療モデルで上から目線、プロブレムオリエンテッドで、秘密、権力、独占な感じです。主体はあくまで当事者におくべきです。)
現状の差別的な価値観の政府の元で公的機関が個人情報を集約することに抵抗がある人もいるだろうから、現状では本人、養育者の側でサポートブック、育児ファイル、ポートフォリオみたいな形で専門家がサポートしながら情報を集約化しているわけですが・・。
医療側もなかなかちゃんとアセスメントや伴走、教育現場との協業ができてはいないので、それは我々の課題ですね。
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