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多様な親、多様な育ちを支えるために出来ること


長野県の子ども白書2017に執筆予定の原稿(案)です。ご意見よろしくおねがいします。

【育ちの臨床に関わるようになったわけ】

 昔から私はどうも世間離れしすぎていて生活者としての実感がもてないというコンプレックスがありました。しっかりと地域に根を張って生活している人たちに接したくて、農山村部での地域医療を、そしてリハビリテーション医療(障害の医療)をこころざしました。思うところがあって精神科に軸足を移し、有床総合病院の精神科という第一線の現場で、外来、訪問、病棟と昼夜休日を問わず働いてきました。あらゆる精神疾患と様々な人生が交差する場で地域医療の最後の砦であるという誇りをもった多職種チームで困難なケースに取り組むのは大変だけど、楽しい日々でした。そのうちに思春期や発達障害のケースを多く診るようになり、子どもを授かったのを機に子どものこころや育ちの支援について大学でも学ばせてもらっています。

【ボクらの産後クライシス】

 うちは夫婦とも医師の共働きですが子どもがなかなか授からず不妊治療をおこなってきました。治療中の負担も大きかったですが、先の見えない治療中、子どもがいる人といない人の分断を感じ、親戚や同僚、友人の子どもの話を聞くのも辛いと感じたこともありました。子どもを授かったことは喜びではありましたが、それまでと全く違う生活に突然放り込まれることになりました。小さな子どもは誰かが常に側でケアしなければならない存在で、周囲の大人に生活を変えることを要求します。これまでも家族のケアをしている人に関わることも多かったのですが、本当のところ育児や介護などケア責任を負う生活をイメージできてはいませんでした。どちらの実家も遠方で、寝不足で体力も削られ、仕事もまわらず家は修羅場となりました。遅ればせながら仕事の軽減を職場に求めるも上手くいかず、いったん退職することを決めました。そのころ同じような問題意識をもつ佐久医療センターの仲間が、アイナロハの渡邊大地さんを呼んで父親学級を開催しました。それに夫婦で参加しましたが、産後は夫婦のスレ違いが大きくなり危機となりやすい時期であり、産後の大変さ、夫婦の考え方、感じ方の違いを知り、対話を促すような機会は必須だと痛感しました。

 共働きであったため双方が仕事をセーブして家事と育児をシェアすることにし、妻の職場への本復帰にあたり、退職前にほぼ使ったことのなかった有給を使いきり慣らし保育の送迎をしました。思春期や発達障害中心の外来のみを継続して、大学で比較的自由のきく立場で勉強させてもらうことにしました。

【子どもや親にも厳しい社会】

その頃から不思議な事に診ていた患者さんたちが次々と子どもを授かり始めました。精神疾患をもちながらも結婚し、お薬も調整して何度かの妊娠で子どもを授かった女性がいました。能力はそれなりに高いものの疲れやすく無理はできず、不眠や対人関係のストレスで調子を崩しやすい方でした。本人は自分の病状もよく理解しており、周囲の支援者に頼るスタンスもありました。しかし例にもれず夫は長時間労働で、親も高齢で要介護状態といった状況で、本人と夫、支援者でも何度も話し合い、ヘルパーや訪問看護の導入など出産前から準備を重ねました。しかし周囲が「母親」に求めることはただでさえ多く、特にサポートの必要な産後でもフォーマルな支援は乏しい状態です。父親が育休を取ることができればまた違ったのかもしれませんが、結局、自宅での子育ては無理と判断され子どもは乳児院に保護されました。母も精神不調となり入院も必要となり、紆余曲折の末、面会と外泊を繰り返し、保育園を利用できるタイミングで子どもも家へもどることになりました。なんとか皆でささえていければと思っています。
 出産時期が遅くなると親世代も高齢となり介護を要する状態となる可能性も増えてきす。ただでさえ大変な子育てですから、ダブルケアや親や子どもに何らかの障害があるなどのケースはなおさら大変です。長時間の労働の必要なく生活ができ、男性もあたりまえに育休がとれる文化、出産直後に家族が育児に慣れていける施設やサポート体制、誰もが子育てや教育にお金の心配をしなくてもいい社会制度、そしてフィンランドのネウボラのように切れ目なく全ての子どもと家族に寄り添うフォーマルな支援と地域に様々なインフォーマルな支援がたくさん必要です。

【それぞれの育ちを見守りささえる】

 子どもは親とは違う人間であり、親の思うようには育たないものです。それぞれのペースやこだわりがあり、興味や能力を育んでいきます。大人は子どもが本来持っているものを最大限に発揮するための環境を用意すること以外大したことはできません。子どもにとって楽しく、安心でき、やっていることの意味がわかり、あなたは大切な人で生きている価値があるというメッセージがあふれる環境を整え、共に学び、楽しめばいいのだと思います。

 不登校も問題になっていますが、平均的な人向けに仮に用意された教育メニューがどうしても合わない子どももいます。「特別」と「普通」という2匹の魔物にとらわれると、苦しむことになります。同調圧力の強いこの国の学校では個性的な子は、いじめをうけたり、過剰適応して“がまんエネルギー”を使い果たしたりして学校にいけなくなります。障害特性に応じた合理的配慮も必須となり、特別支援教育も以前よりは整備されてきましたが日本で対象となるのは3%弱、これがアメリカだと10%、フィンランドでは30%だそうです。日本の教育の文化が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 思春期には将来の自立に向けた試行錯誤が必要となり、一律の教育よりもだれもが支援をうけながらさまざまな体験を積めるような環境が重要です。自分の権利を守ることができ、他者の権利を侵害しさえしなければ、あとは得手に帆を揚げてナリワイを見つけて生きればよいのです。今ある仕事や組織が将来に渡って安泰とはとても言えません。案外、今後はスローで丁寧な暮らしが見直されるのではないかとも思います。

【医療に出来ること、出来ないこと】

 社会には多様な家族があり、多様な育ちがあります。本人の少数派の特性ゆえに居場所が見つけられず排除され苦労することもある一方、社会的弱者を包摂し救うのもまた文化と社会の多様性です。しかし様々な障害をもって生活することを他者が想像するのは難しいことです。それぞれの体験に耳をすまし、対話をつづける中で、仲間づくりをしたり、だれもが声をあげていける場をつくったりすることが必要でしょう。診察室にはさまざまな悩みをかかえた親子が訪れます。医療に出来ることはあまりないのですが、時にはお薬も使いますし、医学、心理、社会的知見を活かして皆が動きやすいように診立てて、家族や周囲の人との対話がつながるように支援します。心理的、情報的サポートだけでなく、実際的なサポートも圧倒的に足りません。よろず相談かつ自分のすべてを総動員しますが、自分が出来ることは助け、できないことは皆に相談して一緒に悩みます。専門家としてだけではなくときには枠を超えて隣人や友人として付き合わざるを得ないこともあります。

【子どもたちの未来のために】

 子どもの貧困や教育への投資を通じた社会的格差の是正の必要性を強く感じています。お金では幸福を買うことはできないかもしれませんが、不幸は減らすことが出来ます。みんなから集めたお金の使い道や、皆が気持ちよく生きていけるための社会のルールとは自分たちで考えよく話して決めたいものです。まずは生活から切り離された姿の見えない巨大なブラックボックスのシステムに自分たちの生活を委ねるのはやめ、身近な顔の見える関係から対話を重ねることからでしょうか。
 オープン、フラット、シェアが現代のキーワードだそうです。共感する仲間を増やし、様々な社会的課題に挑み、地域に必要な様々な社会共通資本(ソーシャル・キャピタル)を守り、作り、育て、真の意味で豊かな社会をつくっていきたいものです。
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プロフィール

toipsy

Author:toipsy
地域医療、リハビリ、地域ケアなどを経て、長野県の精神医療分野辺縁に生息。児童思春期青年期、発達支援中心。セルフヘルプ、ピア、地域づくりなどに興味があります。
2013年以前の記事はこちら

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