Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://toipsy.blog.fc2.com/tb.php/480-6d7ce365

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

人生はアウト・オブ・コントロール

<「統合失調症のひろば」の原稿(案)。意見求む。 >

  働くってなんだろう。働かざるもの喰うべからず、働かなきゃダメみたいな社会を支配する価値観がボクらを日々追い詰める。働くことは苦しいこと、お給料をもらっているのだから我慢しなきゃだめ?好きなことをやっていちゃダメ?お金をたくさんもらえるほうがエライ?誰のために?何のために働くの?いろいろ考えはつきない。英語でも「働く」という言葉にはレイバー,ジョブ,ワーク, コーリングなどといろいろあるらしい。レイバーは強制労働、コーリングは神様に呼ばれたというニュアンスで、もがきながらもできれば生きている間に少しでも天職に近づきたいと思う。 

  さまざまなものの多様性が減少している時代、職の多様性も急激に減少している。機械化やグローバル化で、農林水産業などの第一次産業、ついで製造業などの第二次産業に従事する人がへり、海外に出ていってしまった。そして今や第三次産業だけで70%を占める。コミュニカティブでない人には辛い時代である。家族、親族や地域の人でやっているような身の丈にあった自営や小規模の会社が減った。そして地方都市はどこの町も同じようなイオンモールの間にセブンイレブンが点在する似た顔つきの町になりつつある。ネットを開けばアマゾンやグーグルはまるでボクの考えや趣味を知っているかのように次々と物欲を刺激して恐ろしくなる。そのバックヤードや配送に従事する人の顔は見えない。一見キレイな世界の裏側は簡単には見えないように隠されている。 頑張って勉強して借金までして大学に行ってよさそうな職場に就職しても、うかうかしていると生活の場から切り離され奴隷のような長時間労働を強いられかねない。株主利益を最大化することが目的にされれば、遠い未来のことなんか考えることもなく、まっとうな働き方なんてすぐにどこかに飛んでいってしまい非道な働かせ方がまかり通るようになる。国民はアンダーコントロールで、ブラック企業で人間の限界に挑戦するオリンピック?まるでブラックジョークだ。本当にこの道しかないのだろうか? 

  産業革命以後、機械を動かせるようになり、ICTも発展し人工知能がさまざまな人の仕事を代替してくれるようになった現在どうして少ない仕事のポストをあらそって、死ぬほど働かなければならないのか?何かがおかしい。仲間や家族と日々の生活を楽しんだり、じっくりと人を育てたり、いつどのように役に立つかわからないけど自分の興味のまま研究活動や、今の時代のだれにも理解されないかもしれないけど芸術活動などに思う存分皆いそしめる時代になったはずなのに。最後のサンクチュアリであった大学というところすら今やコミュニケーション力や即物的な成果をもとめられる。 

  私が勤務していた北アルプス医療センターあづみ病院のディケアでも就労支援プログラムというのがあり、「就労に向けて必要な病状の管理」みたいなテーマでのレクチャーを担当していたことがある。就労準備性を高めましょうという目的で、「コミュニケーション」、「働くこころがまえ」、「生活リズムを整えようとか」、「自分の調子に気付こう」とか、「だれに相談するか決めておこう」、みたいな内容でのレクチャーとディスカッションが中心のまあよくある内容だ。しかしこのような座学中心のステップアップ方式の就労支援ではなかなか上手く行かない印象であった。これは会社に就職するための職業訓練という発想だからだろうか?なにしろ参加者の状態や程度は様々だし、いろいろ出来ることはあってもハードルが高すぎて働ける場がないのだ。一方で就労支援をうたっている事業所も障害者を支援の対象者に追いやりあえて自立させずに、囲い込み、ビジネスとしてとらえているようななんだかなぁというところもある。地域密着でやっているとそういうところはなんとなく分かるが他に選択肢がなかったりする。 

  障害者就労支援業界では最近はIPS(Individual Placement and Support)モデルという方式が注目されている。まず本人の少しでも働いてみたい、こんなことをやってみたいという気持ちを大事にする。それをとにかく始めてみる。そのために必要なサポートがあとを追いかけていく。この子ども版の実践が「ぷれジョブ」活動で、若者版の実践が「静岡方式」とよばれているものに相当するのだろう。この方が天職に近づけそうな気がする。 そのためにはその人のことを理解した上で面倒をみてくれる人と連絡がとれるくらいの地域に広がるネットワークが大事である。どの街にも理解者やこのようなおせっかいな人がいる。見のいい人が町の何でも屋をつくり、障害支援の制度を利用して事業にしているところもふえてきた。見知った人間関係の中で、支援付きで試行錯誤する。試してみるだけで大成功。難しければ引き下がってもいいというような場だ。こういった場の開拓やつなぎを自分で直接やることもあるし、頼りにしている支援者にお願いすることもある。ピアの場で、他の当事者を元気にする役目をお願いすることもある。当事者からも支援者からも相談をうけ仲介するよろず相談所だ。別に医者がやらなくてもいいのかもしれないけど、ボクの大好きな青木省三先生も自分のやっていることは就労斡旋業だといっておられたから、まあダメではないのだろう。最近の言葉を借りれば社会的処方の一つだろう。 

 だいたい統合失調症の人はまじめな人が多い。過敏で空気を読みすぎるが、厳しい眼差しの中ではヘトヘトになってしまう。やっぱり働きたいと思っているが、自己理解をすすめ自分なりのペースを見つけて対処が上手になるまでには苦労を繰り返しがちだ。最低限のスキルを獲得したら、あとはあたたかいまなざしの中で、仲間を得て、役割をもつことができれば病状も安定することもよく経験する。ただ季節や天気も含め様々な要因で調子を崩しやすいし、無理はできない。このあたりが理解されにくく、精神障害者はわからないということになってしまう。通訳やコーチが必要だ。 あづみ病院では就労支援室というのをつくり、病院の食器洗浄、ついでユニフォームのクリーニング場を支援付きで働く場として提供している。さまざまな精神障害のことをよくわかっているスタッフも一緒に入り、いろいろ試してみることが出来る。これも病院の機能のひとつとしてすっかり定着した。ここを足場に仲間を得て、自信を、ついで人生を取り戻し社会参加の足がかりにしていく方も増えている。人が成長したり回復したりする現場に関わるのはこっちも元気になり成長することができる。その人にあった働き方をすることができ幸せ、支援をする人も仕事を得て幸せ。これぞ広い意味でのワークシェアリングだと思う。

 そもそも人生はアウト・オブ・コントロール。想定外の事態ばかりだ。ひとりでは生きられないのも芸のうち。自分や家族に何らかの障害がある人は、ただ生きているだけで存在役割を果たし、世界の多様性を担保しているという重要な仕事を担っている。自閉的な人は自閉的に、多動的なひとは多動的に、それぞれの表現方法をもって何らかの形でその体験を表現するだけでも十分立派である。さらに余力があり、猛烈なニーズがあれば、それで出来る事業、同じようなニーズのある人を助ける事業をそれぞれの身の丈にあわせて起業したりして行動役割を見つければいい。そんな人たちを日々、自分のできることでお手伝いする毎日が楽しい。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://toipsy.blog.fc2.com/tb.php/480-6d7ce365

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

toipsy

Author:toipsy
地域医療、リハビリ、地域ケアなどを経て、長野県の精神医療分野辺縁に生息。児童思春期青年期、発達支援中心。セルフヘルプ、ピア、地域づくりなどに興味があります。
2013年以前の記事はこちら

検索フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。