2017
07.11

道徳教育は対話をベースに

Category: 未分類
生命倫理学のレポートを出せと言うので以前のまとめをやや改変。学校教育現場ではいまだに効果が薄いとされるベル・ランカスター方式の一斉授業が多く、政治的な議論を避けているのは単に時の権力者に都合がいいからだよねと思わざるをえない。不道徳ら連中が推進する道徳教育(安倍首相の写真が何度も出てくる教科書を使って!)なんて笑い話にもならない。

「適法性(コンプライアンス)は最低限のラインであり、ルールになっているものは議論がある程度なされ評価の定まった普遍的なもの。一方、倫理性というのはその上にあり、「僕はこう思う」というのがあり、個人個人、また時代、文化によってことなるもの。倫理に明確な答えはなく、社会の中で対話を繰り返していくしかない。

 知識の伝授では無知に起因するエラーは減らせるかも知れないが、そもそも倫理とはどのように教えられるものなのか?研究不正を予防するための倫理の教育もまた試行錯誤のようであるが、e-ラーニングとディスカッションを組み合わせた授業などは、ベースとなる知識とともにさまざまな視点も得られ、対話の練習にもなるなど効果的だと思った。我が国でも義務教育の学校教育の時期から一方的な道徳の授業を導入するよりも、このような対話をベースとしたアクティブラーニングを推進すべきだろう。

 自分が強すぎて社会常識に気づきにくかったり、心の痛みを感じにくかったりする脳のつくりの人は一定数どうしても存在する。特に研究者を志向する人は、視点や考えがユニークな人も多いだろうが、反面、コミュニケーションは苦手な人も多いかもしれない。閉じたコミュニティにいて、対話がなされない環境だと名誉や地位、金銭的な見返り、ハラスメント、様々なプレッシャーの中で優先順位がくるってしまい暴走してしまうこともありうる。ルールやガイドラインの明確化や、告発窓口やチェック機構を整備するなどシステムとしての解決も推進すべきだろうが、その上で大切なのはオープンな環境でのコミュニケーション、継続的な対話をあたりまえにすることだろう。

 オープン、フラット、シェアがベースのコミュニティをベースに市民とも対話を繰り返す。さまざまな見方、考え方の人のいるオープンなコミュニティの中でダイアローグを密にしていれば、倫理的に問題の大きい研究や研究不正は問題が大きくなる前の小さなうちから芽をつむことができるのだと思う。
 そしてそれは科学の世界のみならず、一般社会においても差別の解消、民主主義、世界の平和にもつながる人類普遍の根本的な考え方だと思う。」

明日は今日より少しでもマシな世界に。

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