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 精神科医は何を知り、何を知らないのか。何ができ、何ができないのか。

 当事者の時代のキーワードはオープン、フラット、シェアだそうだ。これらは個々のケースにおいて、また社会全体において精神医療が目指すべきところでもある。オープンダイアログというフィンランドでの実践が注目をあつめているが、我が国でも当事者と家族、専門職がフラットな立場で対話をかさね協働する新たな治療文化が育ちつつある。統合失調症という事態に関しても、当事者が体験をオープンに語るようになることで、幻覚や妄想の体験から、認知障害、生活障害、対人関係障害などの生きづらさ、当事者、家族の苦悩、そして様々なリカバリーの物語が広くシェアされるようになった。

 この流れに一番乗り遅れているのはコミュニケーション力と想像力に困難をかかえた医師たちかもしれない。正体不明の難しい病気に圧倒され、社会から孤立し、全てをあけわたし、人生をあきらめた当事者と家族。社会から隔絶された閉じた避難所、収容所としての精神科病院、密室の診察室に閉じこもり、当事者の体験に耳をすまさず、強みに目を向けず、薬を増やすしかできない医師。そんな時代は終わった。精神疾患へのスティグマが減り、理解と支援が広まれば、悪循環から病状が悪化させることもなくなり、当事者や家族の苦悩も随分違ったものになるだろう。

 精神科医に出来ることは何であろうか?よい薬も増えてきた。医学、生物学的知識や統計データなどの膨大な医学知識のプールに適切にアクセスし、生命と暮らし、そして人生を守り支える最善の治療方針を考える役割は変わらないだろう。研鑽と勉強を続けなければならないし、製薬会社や医療産業の金儲けの手先になってはならない。そして精神保健指定医には一時的に人権を制限せざるを得ない決断を求められることもある。有限な医療福祉資源を適切に分配することも医師の大切な役割だ。医師は常に情報の非対称性や、権力構造、患者の体験や生活、人生を知らないことに自覚的である必要があるし人権感覚が求められる。

 しかしこれからは何よりも受け身の患者から主体的な当事者にすること、すなわちエンパワメントとリカバリーを支援することが求められる。そのためには当事者の人生によりそい、時に振り回され、病に翻弄された人生をとりもどす伴走者としての役割が求められる。そしてそれはコーチや共同研究者としての役割に変化していくだろう。医師がいい動きをすればチームはよく回る。当事者のストレングスや家族や地域の多職種、ピアにできること、地域のリソースを知っていることも必要である。治療や支援の設計図を描き、応援チームを形成し、つなぎ、支え、仲間を増やし、勇気づけ、そしてそっと離れることが理想である。さらに居場所づくりや、仲間づくりを手伝い、声をあげる場をつくることにも関わりたい。

私は研修医時代から地域に出ていき協働する文化のある病院・地域で育てられた。そして精神科医としての駆け出しのころから、地域の家族会からNPOを立ち上げ、居場所や働く場、情報交換や発信の場をつくることにかかわらせてもらうという幸運にもめぐまれ、精神科医として成長させてもらったという思いがある。精神医療のユーザーはまず見どころのある若手の医師と病棟や診察室から離れたオープンでフラットな場で対話をつづけ、病の体験やリカバリーの物語を伝えるとともに、現時点の医療にできることとその限界もシェアしていただきたいと思う。

(2016年3月25日〜26日の第11回 統合失調症学会のシンポジウム、【当事者と家族の体験としての統合失調症】の抄録です。)

アウトラインプロセッサのWorkflowyが秀逸すぎることについて

知識を整理したり、アィディアをだして頭のなかを空っぽにすると実にすっきりする。
もはやそれを覚えておかなくてもいいからだ。
その際にマインドマップという手法があり、それをPC上でおこなうアプリケーションも複数あるにはあるが、どれも今ひとつしっくりこなかった。

コンピュータの上では同じことをするのならばアウトランプロセッサを使ったほうが簡単だし素早いことに気づいた。
テキストエディタやWordなどでもできるのだが、Workflowyというオンラインのアウトラインプロセッサは実に軽快で秀逸だ。
スマホ用のアプリと連携すると、どこへでも持ち出せる外部脳として軽快に使うことができる。


Work


TODOやライフログ的にも使える。
ブログや講演のネタなどアイディアをいじるのにも便利だ。
ショートカットを使いこなせば、素早く、思考とズレなく操作できる。
毎日使っていると日々、ツリーが育っていく。
リンクもはれるしタグも付けることもできる。
自分の脳の中身全てを外部に取り出して思考全体を眺めているような不思議な気分になる。

惜しむらくは図を貼り付けたりすることが出来ないことだが、ヘビーユーザーはEvernoteなどと連携したりしているようだ。

無料版でも月に250アイテム追加できる。
試してみるにはこれでもまずは十分だが、外部脳としてこなれてきてどんどん使うようになると物足りなくなる。
無制限の有料版のProもあるが、以下のリンクからだと+250アイテム追加され500アイテムからスタートできる。
(紹介した私にも+250アイテム)

 是非、こちらからお試しください。

自分の立ち位置が見えず世の中を把握したいASD特性のある人や、整理が苦手で忘れっぽいADHDの特性のある人には特にためしてもらいたいツールである。

当事者・家族団体など地域保健福祉でのコミュニケーション

とある教科書に書かせてもらった原稿(案)です。

DOs
  診察室から現場に出てニーズを肌で感じよう
  当事者や家族、地域の支援者から学ぼう。
  当事者・家族と協働して地域づくりにも参加しよう

1 精神科医は地域で育つ

ある地域や分野で覚悟をもって一生懸命医師を続けていると、自然と自分のテーマが定まってくるものである。もちろん自ら選んでという側面もあるが、当事者たちに選ばれてということもあるだろう。彼らのニーズに応えようと勉強したり、研究したり、共に活動したりすることで、自然と専門性が深まり、ネットワークもできてくる。当事者や地域の支援者の医師への期待は大きいものがある。まずは地域の当事者会や家族会に一参加者として足をはこんでみよう。偉ぶらなければ歓迎されるはずである。大切なのは当事者から学び、協業する姿勢であり、その謙虚さがないと医師は権力を持つだけに裸の王様になってしまうおそれがある。

2 現場でニーズを感じよう

診察室や病棟だけで患者さんと関わっていても実際の生活を想像するのは難しい。また精神障害とは支援を受けること自体に支援が必要な障害であるから、そもそもアウェイである診察室まで出て来られない患者さんも多い。フットワーク軽くできるだけ時間をつくって実際に自宅や日中活動している場、支援の現場におじゃましよう。現場に行ってはじめて分かることも多い。患者さんや家族の想像もしていなかった苦労や、強さを知ることになるだろうし、地域の中で使える資源を見つけることも出来るだろう。また回復、成長し、地域の中でどっこい生きている当事者の姿に触れると、こっちも元気になれる。地域の支援機関や、家族会、当事者会などにも積極的に顔をだし御用聞きにまわろう。問題解決に丁寧にかかわるうちにネットワークがひろがり、いろいろ頼まれたり頼んだりする関係になるだろう。

コツ
ひとりでしない、ひとりにしないこと。おっくうがらずにこまめに連絡を取ること。薬だけではなく人薬や時薬、役割を処方すること。


4 当事者の力を活用しよう

精神疾患の当事者や家族は、長い人では当事者歴ウン十年のベテランであり、その病状のために社会との間でさまざまな苦労を経験して生き延びてきたのである。その苦労に思いを馳せると、関わるのが大変な患者さんでも尊敬の念がわき襟を正さなければという気持ちになる。また障がい者は支援をうけるプロでもある。一人では生きていけないのも芸のうちというが、彼らには地域を紡ぎ、変えていく力がある。多問題で大変なケースには必然的に多くの支援者が関わることになるが、支援者間のつながりをつくり結束を固める力がある。長い経過の中で投げやりになったり、人生を諦めてしまったり、居場所を失っていったようなケースでは、他の当事者の力を借りることで勇気づけ、人生をとりもどすことができる。


3 リカバリー志向で行こう

目の前の当事者がその人なりに地域社会の中で幸せに生きていくために、よろず相談にのり、自分のすべてを総動員するというスタンスでかかわっていると、診察室だけでの関わりでは限界を感じるようになる。自助具としての処方薬をともにつくることに加えて、たとえ病気や障がいがあってもその人なりの人生をとりもどすリカバリーのプラン(設計図)をともにえがき、多職種や多職域の支援者で応援団をつくり生活全般を支援していくことが求められる。他の当事者によるピアサポートやセルフヘルプグループは大きな力になる。なければ地域の支援者や当事者に声をかけ新たに立ち上げるのもよい。コツはあくまでも裏方としてサポートに徹すること、参加者が少ない時期でも場を維持することである。また鈍くならずにめげないために医師にもピアサポートが必要である。愚痴を言い合ったり、相談できる仲間を大切にすべし。


 
Pitfall
なんでも自分でやろうとしすぎないこと。当事者の夢を奪ったり、力を削がないこと。

4 地域づくりに参加しよう

医師の役割は「臨床」、「研究」、「教育」といわれるが、これらに「弱者の権利擁護」と「地域づくり」を加えたい。医師は有限な保健医療福祉資源を守り育て、医倫理と科学的判断に基づき必要な人に配分するという重要な社会的役割を担っている。精神障害者の権利を擁護し、権利を行使することも支援しよう。当事者や家族、地域の人がゆるく集まれる場をつくり、当事者が声をあげられるイベントを開こう。行政や政治家、他の職種の支援者と協働して制度の改革にも関わろう。先進的な地域の取り組みをパクリ、地域に必要な「医、職、住、遊、友」をつくり育てよう。そうした運動や実践を続けることによって弱者をまもる地域文化が醸成されていく。そしてこのろくでもない世界がすこしずつではあるがマシなところに変わっていくことが感じられるのも楽しいことである。

Don’t 
 医師としての立場や力に無自覚であってはいけない。
 自閉的な診療で、気難しい使い勝手の悪い医師になってはいけない。

ゴーサンニの法則

私が初期研修を受けた長野県の佐久総合病院には、すべての職員が病棟業務に5、外来業務に3、地域活動に2の力を配分しなさいというゴーサンニの法則というのがあり、在宅医療や出張健診、病院祭や地域に出ての寸劇や文化活動をおこなうなど地域医療(運動)が根付いていた。また患者会や家族会との関わりも盛んであり、そこでの経験が自分の原点となっている。その後、精神科医として駆け出しの時期に、行政の建物の一角で精神障害者の居場所を運営する地域の家族会の方と知り合った。そこに出入りするなかで育てていただき、その会を母体にNPOにして生活支援、就労支援、地域づくりの拠点のコミュニティカフェをつくることにもたずさわらせてもらった。その他にも病院で毎日うまれる仕事(食器洗浄、クリーニング)を利用しての精神障害者の働く場をつくるなど、今もゴーサンニ(今は外来5、病棟3、地域2くらい?)で楽しく精神科医をやらせてもらっている。

絶望と希望、終わりと始まり

安全保障法案(戦争法案)が国会を通過したことになっているようです。

まあ、これからが本番です。

この国では国民のいのちや暮らしより、一部の人のお金や権力のことが大事な人達の手先が私達の国の重要なことをきめる場所に多くいるようです。彼らはルール(憲法など)をもまもりません。自分たちの都合のいいようにルールを変えていきます。
安全保障環境の変化などといいますが、これはもはや国家と国家との問題ではありません。資本主義の胴元連中(いわゆる1%)は世界中にいて、どの国にいようと、そういう連中はただ戦争をおこしたいのです。金儲けのチャンスが産まれますからね。

やつらの作戦はまず、NHKをはじめとしたマスメディアの多くを抑えることです。スポンサーがなければ干上がってしまう民法や新聞も抑えられているでしょう。秘密保護護法により、国家はこっそり物事をすすめられるようになりました。すでにインターネット上での言論の自由もあやしくなってきています。

次に多国間協定に見せかけたTPPなどの騙し手により医療や農業、制度、文化などの社会共通資本(≒いのちと暮らし)を破壊し、金儲け連中に差し出します。
そうすれば、市民の生活を貧しくして生かさず殺さずのカツカツになり市民はますます政治に参加する余裕がなくなります。そうすれば権力者(1%)のやりたい放題になり、経済徴兵制もしくことができます。
各国の国民、市民はいなくなり国畜、奴隷ばかりになります。

そういう世界を望んでいる連中がいるということです。

ただ、希望はあります。

今回のことで政治活動は選挙だけではないことに多くの国民が気づきました。
政治に参加するなんてなんかかっこわるいという空気から、ちゃんと見ていないと、しっかりかかわらないとヤバイと気づく人が増えました。
デモに参加することも普通のことになりつつあります。
上述したような、この世界のからくりにも多くの人が気づきつつあります。
まずは弱者の声をあげる場をたくさん作ることです。
身近なところから民主主義をとりもどしていくことです。


リレートーク

市民の側の不断の、そして普段からの努力が必要です。

私達の未来は私達が決める!

ただネットの中だけで声をあげていても、届く人は限られていますから、周囲の人と政治を話題に話してみたり、自分の車やカバンにステッカーを貼ることくらいからはじめてみましょうか。

歌

(すぐ近所の公園での集会に参加。一人ひとりの市民が声をあげていました。)

「発達障害についての基礎知識」

一般社団法人アンダンテ第2回記念講演会

「発達障害についての基礎知識」
 6月14日(日)13:00〜15:30
 庄内地区公民館 1階大会議室  入場無料

当事者が語る時代です。
新保文彦氏、上村聡美さん、木村明子さんとなかなか濃ゆいパネラーが集まりました。


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どこへ向かう?介護保険

平成27年度介護報酬改訂について、4月18日、長野市で厚生官僚の迫井正深先生のレクチャーがあったので聞いてきました。以下はその感想です。
 少子高齢化がすすみ国全体の貧困化がすすむなかで、介護保険をはじめとする社会保障費の削減、総量規制の方向は仕方ないのかもしれません。軍事費の増大や企業や投資家優遇などの政策をみると本当にそうか?という問題はありますが、それはここでは述べません。
 全体は切り下げられましたが、リハビリテーションにマネジメントの考えをいれたり、看取り期の対応を充実させたり、摂食嚥下、栄養管理、口腔ケアへの取り組みなど、さまざまな加算で人を雇い手間暇をかけている頑張っている事業所が優遇されるようにメリハリをつけ、ディテールに手が入れられていました。病院からの訪問看護を評価して推進するなどのことはとても素晴らしい仕掛けであると思いました。方向性としてはバランスもとれており、とてもよい改訂だと思いました。
高齢者が安心して地域で最期まで生活できるように支えるために医療の役割は大きいです。
 しかし、今回の改訂でも介護保険制度は特に重度の要介護者では介護者がいないと成り立たない制度であるという根本的な問題点は解消されていません。
 
 住み慣れた地域での生活を支えるため大規模な施設での介護は減らす方向で、さまざまな誘導がおこなわれ、在宅シフトがおこなわれています。サービスを自由に選んで契約することができるといっても特養などにはなかなか入所できません。在宅もどきの施設が増えるだけという意見もありますが、悪徳事業者に対する対策もおこなわれているようです。しかし利益を重視する民間企業ですからいたちごっことなり、書類が増えるなどのコストがかかるばかりのような気もします。
 本人あるいは家族にお金があれば民間の有料施設に入れるという選択肢もでてくるのでしょうが、親を一人で介護しているような人が介護離職を求められ、ますます貧困になっている現実があります。
 医療においては要医療度度などというものはなく、DPCなど診療報酬での縛りは増えていますが、まだ医師の裁量で入院ということが可能な部分がまだありますので、身体的、精神的、社会的に難しい方が医療に流れてきます。そしていったん入院されると、状態が安定してもなかなか退院していただけません。
 特に家族にとっては入院している方が福祉医療制度などを使うと介護保険をフルに使って自宅で介護したり、介護施設を利用するよりも安く入院でき、手厚いケアを受けられ、楽であり、さらに民間の医療保険からの給付を得られる場合もあるため、家族が本人の年金にぶら下がって生活しているなど経済的に困窮している場合など、あの手この手で逃げまわり退院から逃げ回るケースがあります。
社会的入院は許さない診療報酬に変わりつつある現在、病院経営者からの圧力も厳しく、患者の間に挟まれる臨床医が疲弊しています。
介護費が減っても医療費がふえては意味がありません。障害者施策、医療制度、貧困対策や失業対策などの他のさまざまな社会保障制度とも整合性がとれていなければ矛盾は医療機関、その最前線の臨床医にあつまります。
上記のような現状を述べ、他の社会保障制度との役割分担についてどのような話が政府や厚生労働省内で行われているかということについて聞いてみましが、「それは・・モラルハザードで、民間の保険なども含めて、どのような仕組みがいいのか皆で考えなければいけない問題で・・・。良いソリューションがあればいいのですが・・。」と明確な回答は得られませんでした。
結局、だれが本当に困っている人かということを誰が判断するのか?という問題に帰結すると思います。現状では医師がかなりの権限をもち医療福祉資源のトリアージをおこなう社会的な役割を担わされているのですが、限界もあります。
 選挙で選ばれた基礎自治体の首長(と行政)に責任と権限(裁量)を与えて、介護保険以前の措置の時代のように、困っている人を判断して救済できるような部分を介護保険制度にもとりこめるようにすれば良いのではないかと思います。
現状では虐待でもなければ措置という扱いにはしてもらえませんが、医療に矛盾をおしつけるのではなく、行政にもう少し責任と権限をもつ部分をつくってきちんと対応すべきだと思うのですが。
そしてその行政にきちんと動いてもらうためにも、市民もどのような生き方そして死に方をしたいのか、どのような社会の形を望み、制度をつくっていくのか、そして皆から集めたお金をどう配分するのかを日頃から真剣に考え議論し自分たちの代表である政治家を選ぶ必要がありますね。

家族会。スライド使わずにやってみた。

村の保健師さんからの依頼で、昨日は安曇総合病院から40kmはなれた松本平の南の端、朝日村の精神障害の家族会「たんぽぽの会」に、となり村に住んで通信制の高校に通う当事者の方(ピア活動で活躍中)と一緒に行ってきました。
会は村の健康センターの一室のディケアの一室でお茶やお菓子などをつまみながらの開催でした。
高齢化はすすんでいましたが、とってもいい雰囲気の家族会で、ボランティアの民生委員さんたちも元気でした。男性参加者(父親)が多いのがいいなと思いました。小さな市町村はいいですね。
参加者は15人程度と少人数なのでスライドは使わずにやってみましたが、ざっくばらんな感じで進行してよかったとおもいます。
当事者の場、家族の場、支援者の場、いろんな場が増えていけばいいですね。

平成27年2月21日(土)べてるがほたかに来ます。

べてるチラシ

衆議院選挙の結果を受けて

予想通りといえば予想通り。
何のために700億も投じておこなった選挙だったのか。
安倍自民党のの安倍自民党による安倍自民党のための、自民党の延命のための大義なき選挙。

わずかな希望の光は共産党の躍進と沖縄での自民党の全敗、逢坂誠二さんや中島かつひとさんの当選か・・。。

2大候補に収斂することで政権交代を起こしやすく民意を問うことが出来るコンセプトの小選挙区制であったが、民主党の体たらくで二大政党が成り立っておらず、野党の協力体制もなくてはこうなるのも当たり前である。
自民圧勝も何も、ほとんどの選挙区が対抗馬共産党のみで、民主党の本気度を疑う。
共産党が選挙協力したら野党側が勝ってた選挙区があるといわれるが、本気なら野党第一党の民主党は共産党のように全選挙区に立てるべきであった。
実際、共産党も沖縄では選挙協力しているし・・。
小選挙区に対応した二大候補者に収斂しての選挙戦の結果と捉えれば、「正しく」小選挙区制の選挙をやっているのが沖縄で、他がおかしいと言えなくもない。

それにしても、もう劣化自民党となってしまった民主党も、自民党の補完勢力の公明党、隠れ自民党の第3極、維新や次世代もいらないから、右の自民党と左の共産党の2大政党でいいとおもう。(生活の党が元気なら一番いいのだが・・)

もっとも政策的には共産党のほうが保守的で自由で民主主義的な国民政党っぽくて、自民党こそ新自由主義で独裁の北朝鮮かシンガポールみたいになってきているけどね・・・。

それにしても、もうおらが村の代表と言っている時代ではないので、世代ごとの代表をだす世代区による選挙にするとか、まず選挙制度をなんとかしたい。

務台俊介みたに国会議員としての仕事もそこそこに、地元の草野球から夏祭りまでなんでも顔を出したがるウザい議員がはびこるだけだから。
粘着しているわけでもないのに少々耳の痛いことを言うだけでツイッターやFBでブロックしているくせに、メルマガだけは一方的に送り続ける失礼なやつだぜ?

それにしても自民党は争点はアベノミクス!消費税!経済成長!って言っておいて選挙がおわるとさっそく「憲法改正にむけて」とか言い出している。
信任を得たとか言ってやりたい放題されるから政治から目を離さないようにせねば。
自民党もかつては派閥なんてのがあってバランスがとれていたが、いまやそれもなくなり独裁がすすんでいます。多様性のない政治ってのは正直怖いですよ。




選挙の争点

ところで今度の選挙の争点は断じてアベノミクスの評価や消費税増税などではない。
このまま自公政権(売国政権)が続くと・・。

①原発による国土と生活の破壊
②TPP締結によるアメリカ等の大資本から徹底的な収奪を受ける
③集団的自衛権行使によるアメリカが起こす不正義な戦争への参加
④在日を始めとしたマイノリティへの差別公認
⑤アジアを始め国際社会からの孤立
⑥秘密保護法による情報統制の強化、民主主義の死

自民党は国民からこれらの争点を隠し、ごまかしている。
マネー資本主義の胴元連中の手足となって動いている。
社会共通資本を破壊して金儲けの種にしている。
国民を抑えこみ反民主主義的な政策の実現に邁進している。

これらをわかった上で投票しましょう。

参考リンク)
資本主義末期の国民国家のかたち(内田樹の研究室)


第5回長野県不登校を考える県民の集い

内田宏明氏の基調講演メモ
「子供の声を聴くことからはじまるつながり」

不登校で何が問題かというと学校に行かないことで親子ともに孤立してしまうこと。

貧困で問題なのは孤立無援になってしまうこと。
これは所得の問題ではない。

引き出し屋というのが流行ったが、これは意味がないばかりか傷つけてしまう。
ゆっくりじっくり子供の話、親の話に耳を傾けることが大切。
その中で育まれる安心感なしに、人同士はつながることはできないのではないか。

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長野県の子ども条例の制定にかかわったが、子供支援条例と子供権利条例とでは大違い。
だが、その違いを議論できる人は少ない。

子ども支援条例では子供に相談する権利、保護を請求権があるという法規定上の枠組みになっていない。
ここが変われば理念的なことではなく行政的な手続きも変わってくる。
一人の人間として、その存在を認められることを保証する必要がある。

多様性をベースとした教育にしなければ不登校はなくならない。
世界的にも教育は地方分権化するのが当然。
国民の権利は憲法で規定されているはずであるが、実務レベルでは子供の権利は民法の親権規定に阻まれている。
国政レベルでできないのであれば思いのある自治体レベルで出来ないか。

戦後、誰が子供を守ったか、それは学校である。
学校へ行けば勉強出来る。
給食が出る。友達がいる。村の一等地を学校に当てた。
子供の相対貧困率は16パーセント。
子ども手当と高校無償化がなくなってこの2年で2パーセント上がった。
母子家庭の貧困率は50パーセント以上。
公教育は確実に保証されなければいけない。

ところが学校に行けない貧困家庭の教育をNPOに委託という訳のわからないことが行われている。
外部専門職に委託している場合ではない。
本当に苦しんでいる子供や親の声に耳を傾ける事が出来るか。どこが踏ん張るのか。

しかし、公立学校は足元からその基盤を崩されている。
効率優先で公的なものを縮小するという新自由主義の小さい政府論という一方の正論。
お金のある不登校の子は多様性のあるフリースクールに移っていき残るのが貧困家庭。
東京のように私立が半分という事態が長野県でもおこりうる。
お金がないから公立にいく。
しかし公立は学級崩壊している。

不登校は表面的な事象である。

あの政権、あの総理が続いていると規制緩和と称して必ずさらにそこに手をいれてくる。

現状でも正常なものをもっと正常にする機能は私立が全部持っていってしまし、そのほうが上手くいく。
しかし子供の貧困率の高さを考えると公教育を堅持しなければならない。

学校は勉強ができる子、運動ができる子、お友達ができる子の3つの軸で運営されてきた。

教育の機会均等と多様化はどちらに片寄ってもいけない。
どうバランスをとっていくかは地方自治の問題。
国の施策としてはナショナルミニマムを保証すること。
一方で自由な発想の私学も私学助成で行うことも必要。

ネットワークづくりは名刺交換から初めてはいけない。
まず足元から。
飲み会などでぶっちゃけ話で腹をわって話す。
見栄や体裁ではなくだらしない部分を晒し会えるコミュニティーづくりが大切。
どんどん普通の父ちゃんになればいい。

スクラップ ”医療者の皆さん、診察室から出てもませんか”

精神科臨床サービス。
 夏苅郁子先生の新連載「届かぬ声を、伝えたい」第一回から。

「医療者の皆さん、診察室から、出てみませんか?
訪問診療とか、そういう既存の出方ではなく、講演会の講師という形でもなく、一参加者として家族会や当事者の会に参加してみれば、私たち以上にこういった方たちが強いものを持っておられることがわかると思う。
 考えてみれば医療者などよりはるかに過酷な体験をしそれを受け止めているだけでも、強い方たちですよね。
 もし参加して遠巻きにされたら、「遠巻きにされる苦痛」の体験と思えばいい。「遠巻きにされない」ためには、どうすればよいかの宿題になるとも思う。」

強く賛成します。
ひよっこ精神科医の自分を家族会の勉強会に畏れ多くも講師としてよんで下さり、いろいろ教わったことを思い起こしました。
まっとうな専門家めざして精進します。

精神科におけるNIRS(ニールス)検査と患者中心の医療。

信州大学にて、安曇総合病院の鬼頭先生が前座をつとめ、群馬大学の福田教授をお招きしてのNIRS(光トポグラフィ検査)を中心とした講演会(信州うつ病フォーラム)が開催されました。

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当院の鬼頭医師は昨年まで信州大学でされていたお仕事である老年期うつ病とアルツハイマー型認知症の鑑別補助にNIRSをつかう基礎研究について発表されました。
苦労の末に論文化され国際学会でも発表されるようです。
研究の苦労話なども伺うことが出来ました。

群馬大学の福田教授はNIRSの実用化に向けた実践の第一人者であるとともに、生活臨床や当事者主体の最近のムーブメントのなかでも中心となって活躍されている先生です。
これまで先進医療(つまりは治験)としてしか使えなかったNIRSも、関係者の努力の甲斐があって安いですが保険収載されました。
日本初のNIRSはfMRI同様のリアルタイムな脳機能を画像化できる検査ですが、時間分解能に優れた簡便な検査であり今後の臨床応用が期待されています。
NIRSの基礎から臨床における位置づけ、精神科にも他科のように当事者とともに検討することの出来る明確なバイオマーカーができることで日常臨床がどのように代わるかというお話をされていました。

身体医療が検査漬けの反省から問診などが見直されれている一方で、精神医療では検査がもとめられているのが面白く感じられました。いづれにしても丁寧な問診や精神療法の大切さには変わりはありません。
安易に検査結果に頼った自動販売機のような医療になる危惧はないではありませんが、コミュニケーションツールとして新しい可能性が広がりそうです。

本気で5アンペア: 電気の自産自消

東日本大震災の時に福島にいて原発事故などを取材した新聞記者の著者。
電気に頼った生活のアンチテーゼとして隠された5A契約(完全従量)での生活を始めます。
それは500W以上は使えない生活。
エアコンやトースター、ドライヤーなどは使えません。

電気製品を見直しリストラをおこないます。
それは生活全体の見直しにもつながりました。
様々な工夫。ミニマムな生活。

ただそれは決して悲惨なものではありません。
そして太陽電池をもちいた自給自足にも挑戦していきます。

本人も述べていますがが突っ込みどころは有ります。
それでもいろいろと刺激をうける本だとおもいます。

人口減少で省エネとなってきているのですから、今までのような電力供給は不要です。
リニアモーターカーなどもっての外とおもいます・・。

工夫を楽しみ皆でアンプラグしましょうよというすすめに思えました。


本気で5アンペア: 電気の自産自消本気で5アンペア: 電気の自産自消
(2014/03/05)
斎藤 健一郎

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脳に棲む魔物

この本はニューヨーク・ポストのジャーナリストであったスザンナ・キャラハンを突然、不眠、幻聴や妄想が襲い回復するまでの記録である。本人の体験と家族の残した記録、医師へのインタビューなどからノンフィクションとしてまとめあげられている。翻訳は専門用語などに不満はのこるが、興味深く読ませてもらった。

 前半の時系列で追った丁寧な記述は精神病になるとはこのような恐怖かというのがよく描かれており芥川龍之介の「歯車」を彷彿させるスリリングな内容である。何故かトコジラミが気になりだし、手がしびれ、インタビューができず記事がかけなくなったり、時に妄想的となり、誇大的となるなど感情が不安定になったりといった自分の立ち位置がわからなくなるような症状に約一ヶ月間苦しむ。神経内科や精神科のオフィスをまわされるが、ウィルス感染、アルコール依存症やノイローゼ、双極性障害などだとといわれ正体がつかめない。


脳に棲む魔物脳に棲む魔物
(2014/06/26)
スザンナ・キャハラン、澁谷 正子 他

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 そして痙攣発作がおこりERに駆け込まれるが入院は出来ず、実家で療養するが病院に連れて行こうとする車から飛び降りようとするなど家族も大変な思いをする。そしてやっと入院した病院で複数の医師の診察をうけ、脳生検までうけて自己免疫性脳炎、それも当時ダルマー医師らにより疾患概念が確立しつつあった抗NMDA受容体脳炎であるとわかる。この疾患は腫瘍随伴性の脳炎であり50%にみつかるという卵巣奇形腫はスザンナにはみつからなかったが、28日間の入院中に血漿交換やステロイドパルス、IVIg療法などをうけ退院。外来や在宅でも引き続き治療をうける。そして認知機能や精神病症状は徐々に改善し、もとの職に復帰できるまでになった。スザンナがまとめたこの病気の体験についてのニューヨーク・ポストの記事は多くの人の目にとまりこの病気を啓蒙する役割を果たす。

 ちょうど同時期に、私も当時明らかになりはじめたこの病気を疑い格闘した患者さんがおり、学会などでも発表した経験があったので面白く読めた。神経内科や精神科のオフィスに予約をとってたらい回しされたり、入院中も実に多くの医師やスタッフが関わったり、入院期間も最低限であるのに治療全体で100万ドルもかかったりといったアメリカの医療事情も興味深かった。

 この病気も広く知られるようになったものの未だに気付かれずに精神病として扱われて不幸な経過をたどっているケースも多いと思われる。またNMDA受容体の機能低下は統合失調症や自閉症などの精神疾患とも深く関わっており、精神疾患の生物的基盤の解明にもこの疾患の病態解明はマイルストーンとなるのではないか。特に今後、統合失調症とされている患者の一部に抗NMDA受容体脳炎のように自己免疫の機序でおこっているものも明らかになってくるのではないかということを予感させられた。

安全保障の方法論について。

日本の敵である安倍自民党政権は憲法無視のクーデターを推し進めています。
長野2区の務台議員もぴったり安倍晋三氏に追従しているようです。

憲法を軽んじているとしか思えない務台議員がまた以下のような残念なツイートをしていました。




こういう考えだとコストは際限なくかかります。
お互いに不幸ですね。

この議員さんは日本国憲法の前文をご存知なのでしょうか?

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

安倍自民党は集団的自衛権を是としたどうかんがえても無理のある憲法9条の解釈変更を閣議決定しました。
それに引き続き前文の解釈も変えるつもりなのでしょうか?

私は軍事力や軍事同盟をアピールして挑発するという下策ではなく、他国に文化や医療や技術支援、真の平和施策などを通じて日本のファンを増やすと同時に、インテリジェンス機能はこっそりと高めるというやり方がいいと思います。

ラテンアメリカ諸国で活躍できる医師を大量養成して周辺諸国を味方につけ、省エネを推進、都市農業を盛んにして自給をめざしている国があります。
反グローバリズムで自給・自立しているキューバをお手本とすべきです。

アルコール健康被害対策法

精神神経学会でアルコール界の赤ひげ先生とこと猪野先生の講演会を聞いてきた。

「精神科医のこころの中には墓がある。」という。
そしてアルコールやっているとこの墓がすごく多いという。
社会的損失(4兆)と人々の不幸、毎年35000人の死亡者。
見逃されるアルコール依存症、ボロボロの身体、悲惨な家族、そして精神医療からすら見捨てられる人々。
日本の社会はアルコールの健康被害に対してタブー視していた。

こんな現状をかえ、悲惨な状態に陥る人が減り、本人や家族が人生を取り戻せるように・・。

そうした願いがあつまって昨年12月にアルコール健康障害対策基本法が制定され、本年6月より施行された。
アルコール対策を推進する人の大きな武器になり、対策はすすむであろう。
これまでは連携はボランティアであったがこれからは手当(予算)もついてくることになる。

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しかし法律はだけでは片手落ちでそれを運用することではじめて車の両輪となり動き出す。

法律の制定によって不適切な飲酒の防止によって健康障害と関連問題を防止すること、これが関係者の責務となる。
関係者とは。国、地方公共団体、事業者(酒類の製造、販売、提供)、国民、医師等、健康推進事業実施者である。

精神科医には国民の付託に応える精神科医として現場で推進していただきたいとのこと。
つまりは良質かつ適切な医療を行うように努めなければならない。

そしてこれから2年間で地方自治体等は基本政策を策定していかなければならない。
安易な3点セット(通達、ポスター、講演会)でおわらない取り組みをお願いしたい。

飲酒行動はスペクトラムであり、進行するのを予防することが大切である。
そのためには、一般内科医や健診に関わる医師などのSBIRT(エスバート)が合言葉となる。

SBIRTとは

Screening
 CAGE,AUDIT、AUDIT-C、ICD-10を活用
Brief Intervention
 介入によって危険な飲酒患者には摂酒を勧め、乱用や依存症患者には断酒をすすめる。
 うつ病治療初期には厳格に断酒をすすめる。
Referral to Treatment
 専門治療の必要な患者には紹介をおこなう。

の頭文字である。

アルコールは当初は依存症に依存するのは依存性物質の快楽がもたらす報酬だけではなく、苦痛の軽減という報酬によることがあることを理解しておく必要があるだろう。
しかし飲酒をつづけるうちにアルコールが入ると機能し、抜けると機能しなくなる脳になり、不快な状態を改善するために飲酒する。(好きで飲んでいるわけではなくなる)
そして、前頭葉機能の障害により、多量飲酒した状態が認知されない、記憶されず、多量飲酒時の客観的現実と本人の体験のギャップがあり、その家族との解離が家族を苦しめる。

アルコールとうつと自殺、死のトライアングルを理解する必要がある。
アルコールはレム睡眠を崩壊させ、うつ病を誘発するとともに、うつ病からの回復を妨げ、希死念慮が浮かんだ際に自殺への距離を縮める。
うつ病治療中はアルコールは厳禁である。


ということで、関係者はアルコール健康障害対策基本法についてまず知ろう。
   
     こちらに詳しく資料等があります→アル法ネット
 


コウノメソッド批判

レビー小体病を提唱してきた小阪憲司先生の講演が松本であった。
内容はさすがのまっとうさとわかりやすさだった。

レビー小体型認知症は、REM睡眠行動障害、幻視、薬物過敏、うつ、自律神経症状などの症状から、知れば知るほど診断できて、コリン不活躍、メマリー、抑肝散、セロクエル、LDopaなどを上手に使うとアルツハイマー型認知症以上に患者さんにとってメリットは大きいということがわかった。
(アルツハイマー型認知症との併存も多い。)

面白かったのはコウノメソッドについて・・。

・コウノメソッドの河野先生についてあれは問題がある。
・かってに私に教えをうけたと言っているが、教えたことはない。
・認知症学会のランチョンセミナーによばれて調子にのっている。
・名古屋のあたりではいいと思っている人はいない。
・(長寿の?)遠藤くんといっしょに飲んだ時に、河野くんをよびだしてしめてやらんといかんといっているんですよ。

などとメタメタだったこと。
特に、

・フェルガードにそまっていて業者とつるんでいること。(得にこの点に批判的)
・アリセプトなどのコリン賦活薬を3mg以下の少量でなければいけないと決めつけていること。治験でも少量でいいケースもあるが量を増やした方がいいケースもあるというデータがでている。
・いまさらシチコリンなどは使わなくてもいいということ。

などの点に批判的だった。

河野先生の著書にはけっこう現場で使えるコンセプトや処方のコツなどはあり、他にこれほどプラクティカルな治療マニュアルはないのでよく利用させてもらっているのだが・・。
その後、そのことを、河野先生の医院の近くで認知症診療をやっている先生にもきいてみたが、最近は言葉や症状の組み合わせで自動的に薬がきまるような診療で、サプリメントのフェルガードを使わない人は診ないそうであり、それで上手くいっている人は残るが、がっかりして逃げ出してきている人もいるとのことであった。

あまりにたくさん診すぎているためだろうか、介護者にもアセスメントを依頼し、患者さんにあわせて丁寧にカスタマイズをするというコウノメソッド当初のコンセプトが河野先生自身から抜け落ちるような事態が発生してしまっているのだろうか?

優れた臨床家であったのかもしれないが、あまりに科学的でない一方で、いつのまにか教条的になりすぎている点が批判されている点なのだろうと思う。

アウトリーチ

アウトリーチなんていったら、なんだかカッコいいけど要は出前医療。例の「事件は現場でおこっているんだ。」ってこと。出張っていけば診察室や大学の研究室では絶対にわからない気付かず型、我慢型の潜在ニーズが見えてくる。そして手の届かないところに手が届く。偉い人にはそれがわからんのですよ。(失礼)

 私は、農民とともに医療を作ってきた佐久総合病院での初期研修では断らない医療を、その後、すすんだリハビリテーション科では障害医療と当事者とともに創り育てていく医療を、地域ケア科では訪問診療や緊急往診をおこない365日24時間の地域での生命と暮らしを支える医療福祉を体得した。

 車いすで生活している人の当事者の会ではその生活や苦労を教えてもらい、自分たちのパートナーとしてのドクターを育てようという思いをヒシヒシと感じた。そして同じ程度の身体障害でも、障害にこだわり支援者を困らせつづけうつうつと自宅に引きこもっていた人と、障害をもったからこそ自由に生き、寄付金をつのって地域の仲間とともにスイスアルプスにまでいった両極端な人生に出会った。そして、その違いはどこにあるのか、人はどのように回復(リカバリー)をしていくのかということに興味をもった。さらに見えない障害である高次脳機能障害の支援で行き詰まったこともあり、精神医療の世界に移ることを決めた。

 そうしてやってきた安曇総合病院の精神科では超職種の協働によるチーム医療が根付いていた。そこでも、やってきたことは同じで、ニーズがあれば宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩のごとく、そこに出かけていってオロオロした。様々な障害の当事者や家族のあつまりにもしょっちゅう勉強会の講師などとしても参加させてもらったがいつも教えてもらうことのほうが多かった。

 都会のように人口の密度しているエリアではないから型どおりのACT(Assertive Community Treatment)のような体裁はととのえることは叶わない。田舎ではあるものをブリコラージュ(つぎはぎ)してやるしかない。自慢の病棟は多機能に使える母艦のようなもので、深夜はホットラインの窓口の役割も果たしているし、治療やリハビリとしての場の他に、危機介入が必要なときには一時的な避難所にもなる。ディケアに訪問診療、訪問看護もフル活用し気分はサンダーバードだ。多職種が毎朝顔をあわせて情報交換をおこない、地域の支援者や支援機関ともツーカーだ。ただし怪獣マルナゲドンは許さない。おっくうがらずにこまめに連絡をとり、ケア会議もしょっちゅうやり、当事者の強みを見出し、皆が活躍できる条件をととのえ、ともに成長する。家族会やピアサポーターとのコラボレーションもすすんでいる。「医療は文化なり」というが、地域に医・職・住・遊・友をつくり育てるこうした取り組みをつづけることで地域にリカバリーをささえる豊かな文化的土壌が育まれている。

このムーブメントの広がりを偉い人達にも感じてもらいたいと思う。 

ポプラの会総会の研修会

長野の当事者主体のNPO「ポプラの会」の総会の研修会に出向いてきました。

会は盛況で80名の参加者があり用意した資料がたりなかったそうです。
「教えて!精神科の先生」というタイトルをいただき栗田病院の田中先生とともに壇上にあがりましたが、いろいろ教わることのほうが多かったです。ミニ講演のあと、3人の当事者の方の発表と質門がありました。

質門は主に、

①コミュニケーションについて。
②お薬について。特に止められるのかどうか?
③障害とどうつきあうかについて。

というむしろ当事者の方に教えていただきたい内容でした。
会場の当事者の方から「ありがとうと言われれば言われるほど回復する病気だと聞いた。」「笑いはコミュニケーションを円滑にし、副作用のない薬。」などの至言を教えていただきました。

打ち上げの飲み会では、熱い当事者活動(地域活動支援センターの運営、政策提言や県や厚生労働省などへの陳情、行政との協業、さまざまな講演会やピアサポート活動)について教えていただきました。

Appendix

プロフィール

toipsy

Author:toipsy
地域医療、リハビリ、地域ケアなどを経て、長野県の精神医療分野辺縁に生息。児童思春期青年期、発達支援中心。セルフヘルプ、ピア、地域づくりなどに興味があります。
2013年以前の記事はこちら

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